現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

念仏で雨は降るか?

2011-05-25 11:05:58 | 五木寛之
中日新聞に連載されている五木寛之の『親鸞』。
日照り続きで雨乞いの法会に親鸞が狩り出される。
盛大な法会を行って、雨が降らなければ命は無い。
なぶり殺しの目に遭う。

五木・親鸞は「念仏は、そのような加持祈祷ではない。
念仏で雨は降らない」と判っているが、あえて、
「自分が生贄になろう」と7日間の法会を行う。

はたして、雨は降るのか、降らないのか、やきもき
しながら、毎朝、新聞が来るのを待ち遠しい思いで
待っている。

今朝(5/25)、6日目でまだ、雨は降らない。親鸞は
6日間、不眠不休、飲まず食わず、糞尿垂れ流し。
もう、汗も尿も、声も出ない。壮絶な行だ。

五木寛之は、そんな「行」を体験したわけではない
だろうに、その心理状態、体の反応がどうして判るの
だろう。実にリアルで、精魂尽きる筆致に、感動を
覚える。

「自分が生贄になる」とは、こういうことだったのか。
命を捨てる覚悟。まさに「捨て身」「捨身飼虎」の
御仏になろうとしている。

親鸞の念仏が、今、これほどまでに世に浸透している
理由が、私には判らなかったが、事実かどうかは
ともかく、五木寛之は、私の疑問に応えてくれている。

痴愚に帰れ (親鸞)

2011-04-20 04:12:29 | 五木寛之
4/18 中日新聞『親鸞』五木寛之

「痴愚に帰れ、それは無理なこと。人はいったん身につけた
ものを捨てても、何も持たなかった者になることはできない」

「それは たとえば、富者がその財を捨てて 乞食になっても、
“ 昔 富者だった乞食 ” でしかない」ということですか。

「自分は今、痴愚のふりをしても、過去は消えない。それどころか、
人に四書五経を教え、智恵者のような顔をして 日々を生きている。
恥ずかしいかぎりです」


ウ~ム。今の私の姿 そのものだ。
「もとリッチ」は、「今 無一物の虚無僧」となっても、過去は
捨てきれず、生活も心も 以前より 豊かだ。

海の底に憧れながら、もぐることもできず、海面に浮いて
助け舟を 期待している自分。ああ、いやだ。親鸞は どう
対処するのだろう。



禿に「ハゲ、カムロ、トク」と三つの意味 

2011-01-15 08:13:33 | 五木寛之
「禿」は、「ハゲ」だが、「かむろ」と読むと、前髪を
垂らし、後ろ髪は肩で切りそろえたた童子、童女の
ヘアー スタイルだから、毛の無いのと有るのと、全く
相反する漢字となる。遊郭で、花魁(おいらん)に仕える
童女。花魁のタマゴも「かむろ」と言った。日舞でも
「禿(かむろ)」がある。

平清盛は、14歳、15歳の童300人を選んで、赤い直垂
(ひたたれ) を着せ、市中を徘徊させ、平家の悪口を
云う者があれば 捕らえさせた。その童子たちも、髪を
「かむろ」にしていたことから「禿」と呼ばれた。清盛は
中国の「文化大革命」の紅衛兵に似たことをしていた。

中日新聞『親鸞』(五木寛之)で、親鸞は「禿(とく)親鸞」と
名乗っている。どういう意味か?ネットで調べたらあった。

「禿人(とくにん)」とは、非行を行う僧侶のこと。食べ物
欲しさに出家した者。自己の名聞や利養を得るために
出家、剃髪した人のことをいう」と。

親鸞は流罪の身。恵信尼を妻としており、破戒僧という
自戒の意をこめて、「愚禿」と名乗っていたのだ。


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五木寛之『親鸞』 13

2011-01-14 12:44:37 | 五木寛之
1/14 中日新聞『親鸞』(五木寛之)

「物乞いを見て、哀れと思ってはならぬ。ありがたいと
手を合わせよ。病に身は膿み崩れ、身に糞まみれの
ボロをまとっていても、それはすべて仏の姿である。
あの者たちは皆、そなたたちの業を背負って苦しんで
くれている仏たちなのだ」

松本清張の『砂の器』も、ライ病を煩って、物乞いと
なった父の、惨めな生活が描かれている。そういう人に
対して、ゲドイン(外道院)は「哀れと思ってはならぬ。
有り難い仏と思って、布施せよ」という。

五木「親鸞」は、この「外道院」を是認するのか、
はたして、「外道」と断ずるのか。先が読めない。

虚無僧を見て「哀れ」と思って 布施される人もいれば、
「ありがたい」と手を合わせて喜捨される方もいる。
虚無僧は「忌み嫌われ、蔑(さげす)まされるる者」から、
「哀れみの目で見られる存在」。そして「崇(あが)め
奉られる対象」なのか?。

五木寛之の『親鸞』の読者は、虚無僧を見る目も変わって
いくことだろう。


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五木寛之 『 親鸞 』 激動編 12

2011-01-13 12:34:52 | 五木寛之
1/13 中日新聞 『親鸞』(五木寛之)

前日は「ゲドインの行列の後から続く集団は、親鸞の
想像を絶していた」で 終わった。一体 何だろう?。
早く続きを読みたい。朝5時前、朝刊を受け取るのも
もどかしい。

「すげえ」。それは「何百人もの乞食 ( こつじき ) の
集団」だった。「家族から見放された重病人、目や
手足の不自由な者、気のふれた娘、ぼろくずのような
人の群れ」。そして、彼らを護衛する白覆面の大男が
大音声でいう。「よいか、皆の衆、世の偉い坊さま方は
『悪業の報い』というが、それは違う。この人々は、
そなたたち世間の業を背負って、病み、貧にあえぎ、
苦しみを受けているのだ。世の中で もっとも 心やさしく、
汚れなき者たちが、そなたたちの身代わりとして、
業を引き受けてくれているのだ。そなたたちは、一度
でも嘘をついたことはないのか?」と。

もう涙があふれる。障害者を『世の中でもっとも
やさしく、汚れ無き人』と。

浄土真宗の信徒でも、このような法話を聞いたことは
無いのでは?。五木寛之の『親鸞』はフィクション(創作)
だろうが、氏は語っている。「親鸞が 私に書いてくれと
云われている。その声に導かれて、自然にペンが走る
のだ」と。

“ぼろくず”のような人を「聖人」として崇 ( あが ) める
習慣が古来日本にはあったのだ。虚無僧は、その元は、
薦(こも)を被った「こも(薦)」。ボロをまとった「暮露(ぼろ)」
だった。その「こも」も「こも僧」として、布施する対象と
なったのだ。

40年ほど前、初めて虚無僧の旅に出た時、「おこもさん」と
呼ばれたことがあった。「こもそう」の丁寧な呼び方かと
ホクホクしたものだが、「おこもさん」は「乞食」の別称だと
知ったのは、随分後のことだった。
天蓋は「薦(こも)」の名残りかと思えてきた。


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五木寛之「親鸞」再スタート

2011-01-06 16:33:06 | 五木寛之
五木寛之の『親鸞』の後編が、1/1から 中日新聞に
掲載されることとなったので、また1月から新聞を
とることとなった。中日新聞は、五木寛之に感謝
せねばなるまい。

五木寛之のすごいのは、毎回、「この続きはどう
なるのだろう」とワクワクさせて終わることだ。
今5回まできて、キーワードは「ゲドイン」。
聞きなれない言葉だ。何だろうと、早く続きを
読みたくなる。次の日の朝刊が待ち遠しい。


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五木寛之 VS 梅原猛

2010-07-28 09:41:36 | 五木寛之
7/28 今朝のNHK「ラジオ深夜便・明日への言葉」に、
またまた五木寛之 氏が登場。6月放送されたものの
アンコール再放送。

『親鸞』を出版されてのインタビューだ。

「平安時代末期から鎌倉にかけて、人々は飢えに
苦しみ、人を襲い、物を盗み、殺(や)るか殺られる
かの悲惨な生活だった。母親が子供を殺して食べた
という話もあり、まさに生きるも地獄。誰しもが、
窃盗、殺戮の罪を犯さなければ生きていけない
世の中だった。そうした罪深き人々が、死んでの
後も地獄にしかいかれないのでは、ますます自暴
自棄の閉塞感があった。

そうした人々に「南無阿弥陀仏」を一回唱えるだけで
極楽往生を遂げられるという法然の教えは、センセー
ションだった。正に法然は、迷える大衆を救うために
仏教を解りやすくして説いた。それを深めたのが親鸞。
そして、津々浦々にまで広めたのが蓮如 と。

7/26 の中日新聞・夕刊には、梅原猛氏が「平安時代は
死刑が無く、王朝文化が花開き、平和な時代だった」と
書いている。梅原猛氏も『歎異抄』を翻訳している。

梅原氏の視点は「仏教哲学」であり、為政者側からの
理解だ。五木寛之氏は「草の中の虫の目で、“書いて
くれ”という声無き声に後押しされて、『他力』によって
書かされている」と云う。哲学者と作家の違いか。


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親鸞の妻

2009-04-15 09:25:26 | 五木寛之
五木寛之『親鸞』

話は戻るが、範宴(後の親鸞)が、吉水の法然の元に
通い始めた時、紫野の妹鹿野に呼び止められ、姉の消息
など聞かされる。姉紫野とは腹違いの妹だけに、鹿野は
田舎育ちの明るい屈託のない娘だった。その鹿野に範宴が
「どうじゃ、法然房の話は。ありがたいお話ではなかったか」
と聞くと、鹿野は「別に」とにべもない。村娘にとっては、
高僧の説法より、念仏を唱える若い僧たちのセクシーな声や
顔立ちに惹かれていたのだ。その後鹿野は、甲斐甲斐しく
範宴の世話をするのだが、範宴の心が、いつまでも自分より
姉の方にしか向いていないことを知って嫉妬する。

そして、範宴への腹いせもあってか?鹿野は、法然の高弟
遵西房の誘いに乗って、いかがわしい会合で身を任せてしまう。
法然の高弟といえども、表では高邁な言葉を吐きながら、
裏では、念仏→陶酔→セックスという五木の設定は大胆で
面白い。このような話は、一面、宗教につきものだ。

五木『親鸞』は、以前、當麻御前に惚れ、惚れられ、彼女を
自分の身代わりに殺している。鹿野も行くへ不明。その罪を
悔いて、犬丸の所に助けを求めてきたのだ。

親鸞の妻については諸説あってはっきりしないが、吉川英治
『親鸞』では、月の輪関白九条兼実の娘玉日姫となっている。

さらに、妻は二人、それも同時期に二人いたという説もある。
さて、五木『親鸞』は、紫野と鹿野の姉妹を同時に妻にする
のか?。(果報者じゃのう)。まさかとは思うが。

私のメールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp

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4/15 五木寛之「親鸞」

2009-04-15 06:57:00 | 五木寛之
五木寛之の『親鸞』。
このところ、親鸞が意中の人紫野と、その妹の鹿野を
めぐっての色恋沙汰で、「女性は仏道修行の妨げ、
困ったものよ」という目で読んでいたが、今朝、
五木寛之の意図がようやく解った。
範宴改め棹空(しゃくくう=後の親鸞)が、元下人
だった犬丸の妻サヨに説教される。

「(夫の)犬丸は人買い業です。だから自分たちは
神も仏も縁の無い極悪人だと承知しています。たく
さんの人を踏み台にして坂をのぼり、人をだし抜いて
商売を広めてきました。必死になればなるほど、真剣
に生きようとすればするほど悪を避けることはできま
せん。お武家衆は戦場で人を殺して生き残ります。

そんな私たちを救ってくださるのは、偉いお坊さまじゃ
ない。わたしたちよりもっともっと罪の深い、極悪中の
極悪人が「この自分でも救われるのだよ」と教えて
くださってこそ信じられる。世間のお坊さまほど罪の
深い方々はいません。だったら心底、極悪の自分だと
悟ってくださらねば。ほどほどの悪人に悪人面されたん
じゃ、迷惑というものです。自分はおまえたちより十倍
も百倍もの極悪人なのだと、はっきりおっしゃってくだ
さいませ」

う~ム。五木寛之の『親鸞』。ますます核心を突いてきた。
「念仏を唱えるだけで救われる」というカンタンでいて
難しい問題をどう解いてくれるのか。「中途半端な悪人面」
とは私もそうだ。「世間の坊さんほど罪深い人はいない」
とは、言いえている。戒を守るべき僧が、飲む打つ買うの
やりたい放題。嘘だらけ。人を騙すことでは人買いと変わ
らぬ。それも中途半端な悪人の真似事か。

これを書いていて思った。現代の派遣業も、往古の人買いと
同じかと。みな人は罪深い。


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五木寛之 『親鸞』

2009-03-16 20:43:19 | 五木寛之
3/15 中日新聞 五木寛之『親鸞』
「叡山では学生(がくしょう)たちが、夜を徹して議論する
のも珍しくない。両手をポンと叩いて、さて右手が鳴った
のか左手が鳴ったのか。そんなことを議論することは空しい。
仏陀とは覚者のことであり、無明の闇の中で光を受け、その
光を反射してみずから光を放つ存在が仏陀だ」

そして3/16 の『親鸞』
範宴(後の親鸞) は、もう比叡山には帰らず、吉水の法然の
もとに日参して法話を聞く。「夜は鴨川の橋の下で寝る。
周囲には骨が散らばっている。衣はすでにぼろぼろ、汗と垢
にまみれ異臭を放っている。これこそ糞掃衣(ふんぞうえ) だ」。

吉川英治の『親鸞』では、事前に法然に面会を求める書状を
送り、特別待遇で迎えられている。ま、昨日のTVドラマ城山
三郎の広田弘毅同様、小説家によって創られた親鸞だ。事実
はどちらかわからんが、五木寛之の親鸞はリアリティがある。

大徳寺の開祖大灯国師は、20年 鴨の河原で乞食(こつじき)行を
して、帝に見出された。親鸞もそのくらいの覚悟と行を積まな
ければ、ただの人だったろう。

ところで、私も一昨年京都に行き、鴨の河原で野宿しようと
したが、ホームレスが一人もいない。清水寺や金戒光明寺では
警備員に咎められた。先日、金戒光明寺で休んでいた人が警察に
突き出された。捕えてみれば仏像盗みの常習犯だったとか。

京都は、ホームレスには厳しい町だ。条例で締め出している
ようだ。寺はそういう人を救う場ではないのか? 四国はどこも
野宿自由。虚無僧には優しい町だった。

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