現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

脚下照顧

2021-07-24 11:50:19 | 心の問題

脚下照顧とは?
「人生は暗夜行路、暗闇を行くには足元をよく見よ」に
始まって、「自分が今どうゆう立場にいるか、よく見極めて
事に当たれ」とか、「灯台下暗し。他人のことはよく分か
るが、自分のことは分かりにくいもの。他人のことを批判
するより、まず自分を見つめよ」とも。

さらには、「脚下照顧とは履物をそろえよということ」
「忙しいときでも、履物をそろえて脱ぐくらいの心の
ゆとりが欲しいもの。履物をそろえることは、自分の
心の整理整頓になる」

そして、「玄関を見れば、その家の生活態度が分かる。
履き物がそろっている家は、家族の心も一つに清らか」
と、まぁいろいろな人がわかったよう講釈をしている。
が、いまひとつ腑に落ちない。

NHK教育TVで、昨年1月に106歳で亡くなった永平寺
貫首(曹洞宗管長)宮崎奕保老師の映像は圧巻だった。
すべてを削ぎ落として無駄がない。
「スリッパをそろえる。心がまっすぐだったら、まっすぐに
するでしょ。そろえないのは心が曲がってるからだ」
その一言で、腹に落ちた。以後、玄関もトイレも、履物は
まっすぐにそろえるようになった。

「食べて寝る、日常の生活すべてが禅」とも。ならば、
尺八を吹くのも禅だ。
そして「死ぬのが怖くなくなるのが悟りではない、平常心で
生きることが禅の悟りだと悟った。死んだら死んだでいい」と。
私も何か見えてきた。




「過去、現在、未来」は自分だけの尺度

2021-07-24 11:49:50 | 心の問題

佐治博士の【へぇ~そうなんだ】から

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「過去、現在、未来とは」

光の速度は 毎秒30万kmですから、
月までの距離は 38万kmなので、およそ1秒前の姿です。
大いぬ座の1等星「シリウス」までの距離は 9光年ですから、
9年前の姿です。つまり宇宙全体に共通する時間は
存在しないのです。「過去、現在、未来」は人間だけの
尺度にしかすぎないのです。

4世紀の聖人「サンタ・クロース」が、毎年、12月24日に
一瞬にして世界中の子供の家を駆け巡る。これも、
もしかして、サンタさんと私たちの時間の尺度のズレ
かも。
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フ~ん。わかったような、わからぬでもないような。

そういえば、犬や猫、いや人間以外の生き物には、過去も
未来も無いようだ。私も過去を捨てよう。まだ未来はある。
そのうち、明日も無くなった時が 死ぬ時か。


「捨てられない」という気持ちを「捨てる」こと

2021-07-24 11:49:24 | 心の問題

東京で独り住む母は、だいぶ体力が落ちてきた。
ゴミを捨てに行く体力がない。その前に、部屋を
片付ける気力がない。もう「ごみ屋敷」だ。
「このままでは(恥ずかしくて)、死ぬに死ねない」と、
片付けたいのだが、それができず、ストレスと
なっているようだ。

ポリ袋や広告のチラシ、ボロ布を 私が捨てようと
すると、「捨てないで」という。

 捨てたいのに、捨てられない
 捨てたいのに、捨てない

「捨てたいのか、捨てたくないのか」その
ジレンマに苦しんで、ノイローゼになっている。

全部捨てれば、すっきりする。まず「捨てられない、
捨てたくない」という気持ちを「捨てる」ことだ。
「過去の思い出にこだわる気持ち」「いつか 要る
かもしれない」という未来にこだわる気持ち」。
全部捨てるのだ。

かく言う私、今日ようやく、本をダンボール3箱分
捨てた。「Book-Off」に持っていったのだ。81冊で
1,910円。一冊平均1,000円の本が「25円」。
悲しいが、それでもゴミに出すよりは 救われる思い。

まだ30箱、捨てられずにある。どうしよう。


「汝の敵を愛せるか」

2021-07-24 11:48:53 | 心の問題

以前に書いた記事の再掲です。

朝日新聞に対象的な二つの記事がありました。
一つは、一人娘を殺された母親の怒りです。
「犯人3人を死刑に」と、署名を集め 訴え続けた
が、「死刑一人、無期懲役二人」の判決に、怒りを
あらわにしているという内容。

もう一つの記事は、「キム・フック」さん。40年前、
ベトナム戦争で、ナパーム弾を受け、服を脱ぎ捨てて、
すっ裸で泣きながら走ってくる少女の写真が、世界に
衝撃を与えました。「この一枚の写真が、世界の世論を
ベトナム戦争終結に向かわせた」とさえ云われる写真
で、ピュリツァー賞を受賞。私も記憶しています。
その少女が「キム・フック」さんでした。もう49歳に
なり、今 アメリカに住んで、教会などで講演をして
いるそうです。「私を傷つけた人たちを呪い、私
以上の苦しみを味わえばいい、とさえ思った。しかし、
聖書の「汝の敵を愛せよ」という言葉に触れて、
許すことを学んだ」と。
 
 
 はたして、「決して許さない」と「許す心」、どちらに
軍配をあげたらいいのでしょうか。私も若い時は、「もし
妻子が殺されたら、必ず仇をとってやる。犯人が服役して
出所してきたら、この手で殺してやる」と「松本清張」の
推理小説などを読みふけっていました。しかし、最近は
「すべては その人の運命」と悟れるようになりました。
理不尽に殺された人も、そのような定めにあったと。
 

太平洋戦争で、1000万人以上もの人が、肉親を失いました。
怒りの声も挙げられず、復讐もできず、ひたすら耐えて
前に進んだ、多くの先人の “心” に、学びたいものです。


 


「すべて良し」と思う生活で運気向上

2021-07-24 11:48:24 | 心の問題

なにごとも「現実大肯定」。「これで良かった」と思うのが

「実践倫理」の今日の学び。


過日 読んだ 法話から

事故に遭ったが、怪我はなかった。

「無事で良かった~」

・多少の怪我をした

「良かったじやな~い。軽症で済んで」

・重症を負っだったら

「命だけは助かって、良かったねぇ」

・即死だったら

「まぁ、せめて苦しまずに済んで・・・・・」

・翌日、息を引き取った

「死に目に会えて、良かった・・・・・」

・手当ての甲斐なく、何日か後に亡くなったら

「精一杯、尽くすことができたのだから・・・・」


すべては、心の持ちよう。

私の講演内容も「会社がつぶれてくれたおかげで、

今虚無僧として生かされている」というのがテーマです。

なにごとも「おかげさま」。「難(なん) 有って、有難う」が

実戦倫理の学びです。




無関心のすすめ

2021-07-24 11:47:59 | 心の問題

「ひろさちや」の「無関心のすすめ」。

老後の不安やお金の心配、人間関係の軋轢……人生のあれこれに
憂うのではなく、無関心=「あとは野となれ山となれ」の精神で、
現状を受け止め“今を楽しむ”ことが今の日本人には必要だと言う。

「世間」の 有形無形の常識や価値観、「お金」「出世」「名誉」と
いったモノサシのすべてを捨て、「無関心になれ」と。「他人にも
無関心になれ」とも。


では、中国で今騒がれている事件はどう考えたらいいだろう。
「ひき逃げされた2歳の女児を18人の通行人が、誰も助けようと
せず、後続のトラックに轢かれて死亡した」という、そら おそろ
しい事件。

その背景には、以前、バス停で転倒して骨を折った女性を
病院に運んだ男性が、「押し倒した」として訴えられ、
約4万5千元(約54万円)の賠償を命じられたことが
あったからだとも。

日本も、すでにそうなりつつある。電車に乗ろうとして倒れた人を
誰も助けようとせず、またいで電車に乗り込んでいったという話もある。
 
 
虚無僧で立っていても、世間の人は、全く無関心。無視するように
なってきたことを 痛切に感じる。

「ひろさちや」氏が“すすめる”までもなく、世間は「無関心」
派が激増している。いいのか、悪いのか・・・・・。


知って不幸になる?

2021-07-24 11:47:35 | 心の問題

以前、こんな記事を読んだ。

アフリカの奥地を取材した人の話。
原住民の子供らに“缶ジュース”をあげようとしたら、
母親が跳んで来て、取り上げて返してきた。
母親が言うには「やめてください。この子は、
今後もずっと、缶ジュースを買うことも、
飲むこともできないのですから」

おいしい味を知ってしまうと、それを欲しがり、
かえって不幸になる、というのだ。

考えさせられる。一生知らずにいた方が
その子らにとって幸せなのだ。

多くの種族の文明が 外来の文明によって滅びていった。
それを思うと、その母親は賢明である。
ありがた迷惑、いらぬおせっかいを、我々は時として
していないだろうか。

 

山本有三の『波』。「ドブの中のボウフラが かわいそうだからといって、

一匹一匹救い上げて洗面器に移しかえてやったとて、

それがボウフラにとって幸せだろうか」というような一節があった。

 


「いじめをなくすには」 ひろさちやの解答は

2021-07-24 11:47:05 | 心の問題

「ひろさちや」氏の「人生相談」。

「いじめをなくすには どうしたらよいですか」という質問に、

宗教家の私になぜそんな質問をするのか。それは「政治家」や
「教育者」「家族」が考えればいいこと。

「宗教家は、いじめをなくそうとしてはいけない」。
そう言うと、聞いた人は皆、びっくりする。その心はね、
いじめは昔からあった。同じように、殺人も昔からあったし、
泥棒も昔からあった。だから、私たち宗教家の仕事は、
いじめをなくすことではない。仮に、いじめをなくそうと
したらどうなるか。なぜいじめが発生したのか、誰が
いじめたのかという犯人追及になる。

その結果、犯人を追い詰めて いじめることになったり、
いじめられている子が、ますます いじめられることにもなる。

では、私たち宗教家はどうすべきなのか。昔は いじめを
かばう子供がいた。今の世の中の問題は、「いじめを失くす」
ことではなくて、いじめをかばう子供や大人が少なくなった
ことなんだ。この、かばう子供、かばう人間を多くして
いくのが、宗教家の仕事だ。

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ふゥム。わかったような・・・・わからんような。はてさて。
「親鸞」が自分に敵対する者を、次々に悔悛させていった
ようなことはできないものか。


待つこと、見守ること、寄り添うこと

2021-07-24 11:35:17 | 心の問題

 

 ㈱ 新規開拓の社長で、自己啓発の各種セミナーを開催している「朝倉千恵子」さんのブログから転載させていただきました。 

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Aさんは、3人の子供を持つ父親です。

ある朝、家族そろって外出しようという時、3歳になる長男の着替えを手伝っていると

妻が「パパやらないで」と。

Aさんは「自分が着せてやったほうが早いのに」と不足心を出していると、

「最近、自分で着替えられるになったのをパパに見せたがってるのよ」と妻。

Aさんは、そこでハッと気づきました。

「自分の都合で、 子供が成長するチャンスを潰そうとしていたな」と。

思い返せば、職場でも部下の仕事の進捗を待てずに、 自分が代わりにしていた自分。

相手のことを信じて待つことが大切なのだと感じたAさんでした。

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これは、「倫理法人会」が発行している 【職場の教養】に書かれていた話とのこと。

実戦倫理宏正会(朝起き会) でも 全く同じことを教えている。

子供に(部下に)「待つこと、見守ること、寄り添うこと」と。

 

かく云う私、朝起き会の若い会友さんの行動に、ついつい口出ししてしまう。

本人のためにと思って、いろいろアドバイスしてしまう。

しかしである。

「成功の秘訣」「お金持ちになる本」等々ノウハウ本は 世に氾濫しているが

「それを読んで、成功した人、金持ちになった人は一人もいない」という本も

出ている。つまり、どんな助言、忠告、アドバイスも、その人を変えることは

むずかしい。すべては、本人自身の意識の心がけ次第

余計な口出しは、心の無駄、時間の無駄

「待つこと、見守ること、寄り添うこと」でいいのだ。

 

 


辛い時こそ“笑う力” 映画監督 関口祐加

2021-06-14 04:46:12 | 心の問題

『一番大変な時こそ 笑う力 忘れないで』
 映画監督の「関口祐加」さんの話。

母親の日常にカメラを向けたドキュメンタリー映画『毎日が
アルツハイマー』は、老いや認知症という深刻なテーマを
「明るく前向きに捉えた」と評判になった。

「ドキュメンタリーは真面目に撮ると深刻になりがち、
それをコメディにするには、どうしたら良いだろうと、
試行錯誤の末できた」と。

 

「NHKビデオコンテスト」でドキュメンタリー賞をとった
 私の『あつーい1日』も、受験地獄の中で“笑い”があった
のが「大賞」につながったと思える。あの“笑えるシーン”で、
審査員もみな目に涙をためていた。

「一番大変な時に笑うことは“生き抜く力”」と関口さん。
チャップリンの言葉に「人生はクローズアップで見ると悲劇、
ロングショットで見ると喜劇」と。



風呂嫌いな母に「お風呂はいろ」「いや絶対はいらない」と
毎日押し問答。介護する方も される方も必死なのだが、
はたから見れば、お風呂一つにバカバカしい争論。笑える
でしょと、関口祐加さん。

ほんとにその通り。“いじめ”にしても“体罰”にしても
本人は深刻でも、神様の視点でみれば「愚かしい」と笑える
のかも。そう思ったら解決の糸口はある。何も死ぬことはない。
この年になって そう思える。