現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

真如苑の清掃奉仕

2007-11-01 07:36:05 | 心の問題
10/29 (月)真如苑中京本部の清掃奉仕に参加する。
“させていただく”のだ。平日なのに総勢500名が参加。
持ち場の分担が決められ、私は外のガラス拭き。トイレ
など、普段なら人の嫌がる所も、希望者を募ると、皆、
積極的に手を挙げる。

いつも、塵一つ落ちてない、トイレもピカピカの“清浄
なる精舎”に心洗われるのだが、それは、こういう
ご奉仕の人の陰の働きがあってのことと知る。

精舎の中では皆善男善女。使う雑巾、バケツそれぞれ場所
によって細かく定められ、常に“上から下へ”など手順も
厳しく決められていて、知らずにミスをする人も出るが、
それに対して、決して叱ったり責めたりはしない。
真如苑の教えは、あくまで“本人の自覚”なのだ。ミスが
あっても、優しく(本人が気を害さないように)教えるか、
本人が気づくように諭すのであって、ミスを咎めたり、
叱ったりはしない。

今教団を束ねるのは女性の継主。真言密教醍醐寺の法継を
継ぎ、醍醐寺1000年の歴史で、女性が法要の導主を務めた
のは前代未聞のこと。

今継主は、東南アジア諸国を歴訪しているが、ベトナム、
タイでの歓迎会で、政府高官が、「いろいろな仏教団体の
訪問を受けますが、教団のトップが随行の方々に気を使わ
れている、このような団体は初めて。我国もこういう教え
が必要です」とコメントされたとか。

なるほど、他の団体はどこも、トップにお付きの人が気を遣う。
真如苑は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の教えなのだ。