現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

もりたなるお『虚無僧秘帖』

2018-10-22 18:42:54 | 虚無僧って?

もりたなるお著『虚無僧秘帖』(新人物往来社)。虚無僧を主人公に
9編の話を綴った短編集。

虚無僧が 食事の時も 風呂に入る時も、寝る時も 天蓋をとらない
など、「えぇ!?」と思う箇所はあるが、その他は 涙が
出るほど うれしい内容だ。

たとえば、幕末最後、新撰組は官軍を迎え討つべく甲州勝沼に
出兵する。その時、多くの兵が戦う前に逃亡していく中で、青梅
鈴法寺の虚無僧が 「徳川への恩顧」と、新撰組に味方する。
といっても、刀、鉄砲で戦うのではない。尺八を振りかざすのでも
ない。ただ尺八を吹いて、官軍の進撃を阻止する盾となる。死をも
怖れず、ひたすら尺八を吹き続け、散華する。これぞ「普化宗」だ。

「家康公のお墨付」によって特権を得ていた虚無僧である。幕府に
殉じて 消えていく。それを象徴的に描いたのだ。

もうひとつ、普化宗は明治政府によって廃止される。社会の迷惑的
存在だった虚無僧は、村人から石つぶてを投げられる運命に転落する。
虚無僧といっても悪ばかりではない。善なる虚無僧もいた。その一人
「冬山氷人」は、村人から追われ、山中深く籠もる。そして、毎日
滝に打たれての修行を続け、滝の水も凍る寒い日、滝の中で氷づけと
なって死んでいく。これぞ究極の「全身脱去」の行。

虚無僧集団をよく理解した上で「こんな事もあったかもしれない、
あってもよかった」という リアリズムがある。作家の推理力に脱帽。



 


「女虚無僧」はいたのか

2018-10-22 18:41:07 | 虚無僧って?

天明6年(1786)大坂で初演された『彦山権現誓助剣
(ひこさんごんげんちかいのすけだち)』は、女が
虚無僧に扮して仇を探すという「女虚無僧」の登場。

これ以外にも「女虚無僧」の話はいくつかある。

それで、浮世絵や大津絵でも「女虚無僧」は 結構
描かれているが、実際に「女虚無僧」がいたのかは
謎なのだ。

「虚無僧寺」としては、『家康公のお墨付』で
「虚無僧は“士分の者”に限る」と規定しているから、
女性に「虚無僧の三具」を与えることはできない。

だが、『お墨付』で「尺八は 虚無僧以外吹くべからず」
と規定しているにもかかわらず、実際には、大名、旗本
はじめ、一般の侍や 庶民、遊女なども尺八を吹いていた。
遊女が尺八、箏、三絃の合奏をしている浮世絵もある。

正規の免許を持たずに、勝手に天蓋や袈裟を自前で作って、
尺八も自己流で覚えて、門付けして廻る「偽(にせ)虚無僧」も
結構いたようだ。幕府は「一月寺、鈴法寺」に、再三
「偽虚無僧」の取締りを命じている。

「女虚無僧」がいたとしたら、その「偽虚無僧」だ。
天蓋で顔を隠せるので、逃亡するか 仇を探すには
一番良い格好だ。だが、「一曲所望」されて 尺八を
吹けないと、「偽虚無僧」として 身ぐるみ全部はがされ、
指を折られる。そんなスリルと なまめかしさが、
小説や芝居の格好の題材となったのであろう。





『虚無僧』しぐれ

2018-10-22 18:28:36 | 虚無僧日記

ネットで買った『虚無僧しぐれ』風早恵介著。

昭和33年の古本。だいぶ前に買って、ざっと読んだの
だが、さっぱり理解できなかった。「仙石騒動」を
扱っているのだが、先の『風聞』とはえらい違いで、
「神谷宇多太」を主人公にし、敵方の仙石左京の倅
「小太郎」を悪役にしてのバトル。「神谷転(うたた)」が
「宇多太」になっている。芸妓や、姫様、忍者も出てきて、
恋とチャンバラのオンパレード。

史実では、「神谷転」は 南町奉行所に捕らえられる
はずだが、そのくだりもなく、事件の全体像が見えない。

小説家は、どうも史実から離れ、メチャクチャにして
しまうので、始末が悪い。

その点、『風聞』(丹波 元)は、「仙石騒動」を
比較的客観的にとらえ、史実にのっとって、小説としての
肉付けがされていて、読み応えがある。

「仙石騒動」は、これまで「家老の仙石左京」が
わが子「小太郎」を次の藩主にしようと企んでいる
として、お家のっとりの“悪玉”とされてきたが、
『風聞』は、そのタイトルどおり、「倅を藩主に
しようとしている」というのは“風聞”にすぎず、
「瀬兵衛」ら反対勢力が噂を流し、貶(おとし)め
られたというのが真相のようだ。


虚無僧は幕府隠密に非ず

2018-10-22 18:26:27 | 虚無僧って?

内田康夫の推理小説『喪われた道』が、以前TVドラマ化
された。冒頭、虚無僧の死体が青梅で発見され、「今時
虚無僧なんかいるの?」という疑問からスタートし、虚無僧
研究会会長の小菅大徹師はじめ会員も出演協力した。

虚無僧の解説で「虚無僧は幕府の隠密だったので、明治政府は
普化宗を廃止した」と、さかんに強調していた。
このドラマの影響か、私が虚無僧で立っていると「虚無僧は
幕府の隠密だったんですってね」と話しかけてくる人が多い。
テレビの影響は大きい。

残念ながら、その事実はない。吉川英治の『鳴門秘帖』から
そのように思われているようだが、あの目立つ恰好で、どう
やって他国に潜入できるというのだ。公儀隠密だとしたら
すぐ捕まってしまう。刀も隠し持てない。天蓋や袈裟など
逃げるにも邪魔でしかない。

越後新発田の村上藩では、藩主の堀丹後守が、虚無僧に理解を
示し、越後下田に明暗寺が建てられた。そこの虚無僧が図に
乗って、「大阪の陣で、家康公を助けた功により」とか、嘘
デタラメを寺の縁起に書き、岡っ引きのような「情報提供の
役を務める」と書き残しているのが唯一の記録だ。
しかし、そのような実績は残されていない。

幕末の京都明暗寺の看首は、禁門の変で長州人を匿った廉で
捕えられている。幕府の隠密どころか、討幕派だったのだ。