現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

8憶円の話。またまた来ました。三人の女性から同じ内容のメール

2020-06-18 23:35:03 | 虚無僧日記
「吉良良子(Kichro Yoshiko)」さんからのメールが途絶え、その Facebookも消されました。
そしたら、またまた 二人の違う女性の名前で Facebook に友達リクエスト。そして同じ内容のメッセージがきました。
そして、もう一人。これまた、夫の名前も内容も同じ。これで詐欺メールということがはっきりしました。同時に三人から来るなんてアホですな。全文を公開します。
あなたの所には来ていませんか。
 
 
私の要求を受け入れてくれてありがとう。 あなたとあなたの家族は元気ですか? このパンデミック時代にあなたが無事であることを願っていますか? 暖かい心で。 私はあなたに私の友情を提供します 私は、この手紙が良い時間にあなたに会うことを願っています。私はあなたに悲しみに満ちた感情に満ちた心からこの手紙を書きます。 それは、親切で愛情のある元気な人からの思いやりが必要です。 地球上で誰が私の最後の願いを実行します。あなたの心が純粋で誠実である限り、私はあなたが今日後悔しないことを約束します。私の名前は。ポール・エミコ・タカシ夫人。私は58歳で、金沢の石川県出身です。 Facebookで検索しているときにあなたのプロフィールを見つけました。神と私の霊は、助けを求めてあなたに連絡するように私を押した。私は長い間乳がんと喉がんに苦しんでいます。すべての兆候から、私の状態は本当に悪化しています。 そして、私が仕事をしたり、ストレスの多いことをしたりすることができないことは明らかです。私の医師によると、彼らは私に次の2ヶ月は生きられないかもしれないと忠告した。だから私はこの機会を利用して、慈善団体への私のすべての相続財産を犠牲にします。これは、がんの段階が非常に悪い段階になったためです。 私は母なしの赤ちゃんの家で生まれ育ちました。私は、亡き夫と20年間結婚しましたが、子供はいませんでした。私の夫、後期アレクサンドラポール、アメリカ大使館ワシントンD.Cで11年間働いた。致命的な自動車事故で亡くなる前。私の夫は2013年に亡くなりました。彼の死以来、私は再婚しないことに決めました。私は、相続財産をすべて売却し、合計230万ドルを預けました。 (200万、300、1000、ドル)。 私の非住宅口座に。亡くなった夫の兄が1,800,000ドルを引き取りました。 そして、それを知らずに逃げました、私の亡き夫は私の名前でいくらかのお金を残しました。私の名前で残された合計金額は100万ドルでした。 すべての物件を売却した後、私は230万ドルを実現し、トルコの非住宅口座に預金しました。だから、私が今持っている合計金額は2.3ドルです。 数百万ドル。私は、この人生で、故夫の兄弟と二度と何もしないことを決心しました。それの最もよい部分は、支払い銀行が手紙で私に、彼らが私によって承認された私の承認された人に、資金を解放することができると言ったことです。 そのため、この資金は世界中の彼または彼女の銀行口座に送金されます。現在、ロンドンの病院でラップトップを使用しています。ここで、私は病気のために治療を受けています。それ以来、私は話す能力を失い、私の医者は私に、あと2ヶ月しか生きられないと言っています。私の最後の願いは、少なくともこの60%が、あなたが選んだ組織に寄付し、慈善団体に分配することです。 例えば 台風や地震などの自然災害の影響を受けた人。 孤児院の家。あなたは、自分自身を助けるために、40%を使用できます。 以来、私はこの世界に住むのにたった2ヶ月しかありません。私が求めているのは親切です。 そして、元気な人。誰が、地球上で私の最後の願いを実行します。今日あなたに手紙を書く前に。私は神に祈りました、そして私の精神はこのメッセージをあなたに送る自信を与えてくれました。私はこの決断をしたので、私は安心して死ぬでしょう。 私はあなたから返事を受け取ったらすぐに。私は、あなたに支払い銀行の連絡先情報を提供します。手元にあるこの問題に関して、どのように、誰に連絡すればよいかについての指示とともに。私はまた、この基金の完全な受益者であることを証明する権限状を発行します。私があなたから必要とするのは、秘密の保証です。つまり、この資金は、あなたが受け取ったときに、上記の目的に使用されます。あなたは、最初と最後の人です、私はこの問題について連絡します。返信に遅れがある場合は、同じ目的のために個人または組織の調達の余地を与えてくれます。私と一緒にこれを自由に行ってください。お願いします。 このお金の60%を慈善団体に使用し、40%を自分自身に使用するよう努めてください。 しかし、私はこの取引に対するあなたの信頼を心から求めています。私の自由な心で、そして神からの誠実な人として提案します。お願いします。 ここで述べたように、それに応じて受け入れることを保証してください。 そして、あなたの反応は高く評価されるでしょう。 ありがとうございました
 
「てにをは」もメチャクチャ。外国語を自動翻訳機にかけた文章ですから、日本人でないことはわかります。発信元はヘルシンキになってます。
 
 
 
 
 
 
 
 

髑髏(どくろ)盃

2020-06-18 12:51:29 | 虚無僧日記

NHK大河ドラマ『麒麟が来る』。「信長」は、どのように描かれるのか。
かつての大河どらま「お江」での、豊川悦司演じる織田信長はなかなか秀逸だった。「噂など信じるに足らん。己を信じよ」と、現代人への強いメッセージを残した。

「朝倉義景と浅井父子3人の髑髏を盃にして酒を飲む」件も、従来のドラマでは「信長の異常性」として描かれているのが大半だったが、豊川・信長は違った。

「薄濃(はくだみ)」の一件は『信長公記 天正二年正月』に、

岐阜城にて酒宴を開き、肴として 朝倉義景・浅井久政・浅井長政3人の髑髏を薄濃(はくだみ)にしたものを据え置き、皆酒を飲みつつ、謡い舞った」とある『浅井三代記』ではこれらの髑髏を盃にしたとある。

薄濃(はくだみ)とは、髑髏を漆で固めた後、金泥などで薄く彩色する。或いは金箔を貼って「箔濃」とも)。

「薄濃」の風習は、古代、ヨーロッパ、スキタイ、チベットにもあった。司馬遷の「史記」にも、「討ち取った敵に敬意を表して、その勇気を自分に取り込む為に、髑髏を薄濃にする」とある。

日本では、戦で敵の首を取るというのは、外国人から見たら「首狩り族」同様の奇習とみられているようだ。その首は、女たちが、髪を梳かし、化粧を施してから、主君に披露した。浅井、朝倉三氏の頭蓋骨を 金で装飾したのは、最高の敬意かも。信長は、再三、浅井長政に降服を勧めていた。残虐非道な処置をするとは思えない。豊川・信長も、三氏に敬意を表しての扱いだった。

密教の一つ「真言立川流」に薄濃の秘法があったという。また、比叡山に「薄濃」を施す職人がいたという。高僧の徳を偲ぶために行ったものらしい。

信長は、西周の武王の故事に基づいて「岐阜」と命名したのであるから、「薄濃」の故事も知っていた。そして比叡山を焼き討ちした際、捕らえた職人の中に「薄濃の職人」がいたのかも。
最近、明智光秀ブームで、光秀も信長も、評価が逆転している。

戦国武将の足跡 & お城と城下町の写真集-浅井どくろ02

掛川城に展示されている「三氏の髑髏の盃」

ドラマ「功名が辻」で使われたものとか。ちょっとリアルすぎ。

こちらは「お江」での「三氏の髑髏」。盃にはしていない。

2011年大河『江』第二回 父の仇 感想と解説

 


「茗荷」の語源は、江戸時代の落語から

2020-06-18 11:23:45 | 心の問題

今朝6時、以前 2013年7月に書いた「茗荷」についての記事に 120件ものアクセスがあった。はて? 今日は名荷の日でもあるか? と調べてみたが不明。ではその記事を再掲させていただくことに。

お釈迦様の弟子の中でも特に優れた「十大弟子」の一人「周利槃特」のお話。「周利槃特」を「シュリハンドク」と読むのは日本語読み。中国音では「スリハンドク」。サンスクリットでは「チューダパンタカ」と発音するようです。


「シュリハンドク」は、自分の名前すら覚えられなかったので、お釈迦様は、ハンドクに、名前を書いた木札を与え、「いつも背中にさしておくように」と命じます。

そしてハンドクが亡くなり、その墓の周りに不思議な草が生えてきました。その草を食べるとみなバカになるので「茗荷(みょうが)」と名づけられた。

★「茗荷」とは、「ハンドクが、自分の名前も覚えられないので、前の書いた木札を背に(にな)っていた」という故事に由来する。

 

どの本にもインターネットのサイトにも、そのように書かれていますが、“ちょっと待って”です。

インドに漢字は無いため、「名を荷う」=「茗荷」という名前が生まれるはずはありません。中国語にもありません。インドや中国では「茗荷」を食べる習慣はないそうです。

「茗荷」という漢字を充てたのは『庭訓往来』(1350年頃)。

そして、江戸落語の『茗荷宿』で一般に流布されたようです。

その話は、「強欲な宿屋の主人が、茗荷を食べるともの忘れがひどくなると聞いて、宿泊客が財布を忘れていくように、料理にたくさん茗荷を入れて出したところ、翌朝、宿の主は宿代を請求することを忘れ、客は宿代を払うのを忘れて出立してしまったというもの。

茗荷」の二字の双方の「草冠(くさかんむり)」を取れば「名は何?」。どうやら「和製漢字」で「ハンドク」が「名前も覚えられなかった」というのは、日本人の創作だと考えられます。

むろん、茗荷には「モノ忘れ」になるような成分はありません。むしろ、生姜(しょうが)の仲間ですので、脳に刺激を与え、活性化する働きがあるとのこと。とんでもない濡れ衣です。

江戸時代以前、「みょうが」は「神仏の加護を得る“冥加”」に通じることから、武家の家紋として好んで使われました。

ことほど左様に「仏典に書かれている」という話は、ほとんど日本人の創作なのです。


私の最初の師「古賀将之師」

2020-06-18 04:04:23 | 虚無僧日記

https://youtu.be/IMi00aV1tdA

私が高校生の時師事した古賀将之氏。当時古賀さんは22歳、大学を卒業し、都山流の準師範を取得したばかりで、尺八の道を志し、日本音楽集団に入団。その後いろいろ事情あってか、アメリカに移住、ついにはアメリカに帰化。アメリカで尺八家として活躍されてます。Youtubeで見つけました。その深い悲しみに満ちた音色に私は魅了されました。

solo SHAKUHACHI - Masayuki Koga

shakuhachi - masayuki koga/ Some people are talking about circular bre...

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"鹿の遠音"Distant Cry of Deer/ shakuhachi_Masayuki Koga

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