1/2 新春ワイド時代劇『白虎隊』では、家老の「西郷頼母」が
主役に据えられるそうです。
「西郷頼母」は、藩主「松平容保」が京都守護職を拝命した時には、
「火中の栗を拾うようなもの」と諌め、鳥羽伏見の後も、ひたすら
恭順を説き、いよいよ西軍が福島に迫るとなると、白河口の総大将
でしたが、あっさりと敗れて退却。そして、籠城戦のさ中、長男
「吉十郎」を連れて、会津から出奔して 行くへ不明となる。
どちらかというと、パッとしない存在ですが、それが、今回主人公と
なるのですから、どのように取り上げられるのか、難しいところです。
この長男「吉十郎」は若死にしてしまうため、「志田四郎」を
養子にします。この養子が「姿三四郎」のモデルとなった
「西郷四郎」です。
西郷頼母は、その後、養子の「四郎」とも疎遠になり、最後は、
会津の長屋で独り淋しく74歳の生涯を閉じました。なぜ、
講道館で頭角を現してきた志田四郎を養子にして、その後
疎遠になったのかが謎でした。
どうやら「西郷頼母」は、今日の「合気道」の元祖らしいのです。
西郷頼母は、会津藩に伝わる合気術の伝承者で、それを四郎に
継承しようとして養子にしたが、四郎が柔術の道に進んだことで、
疎遠になった」という説が浮上してきました。
このことを、いつかマスコミで取り上げて欲しいですね。
もひとつ、噂話。「西郷頼母」と 薩摩の「西郷隆盛」は、
先祖が同じで、お互い「血脈」も「気脈」も通じていたと
いうのです。
明治10年、福島県の都々古分神社の神主をしていましたが、
西南戦争で蜂起した「西郷隆盛」を支援したという理由で
解任されます。
会津藩の家老「西郷頼母」。会津征討総大将が「西郷隆盛」。
「たかもり」と「たのも」。「隆盛」は 実は父親の名前で、
本名は「吉之助」。「頼母」の子の名は「吉十郎」。そして
双方とも、遠祖は「菊地」氏。戊辰戦争で、ひたすら「反戦」を
唱えたのも「西郷隆盛」と「気脈」が通じていたからではと、
疑われた、なんて話はまだありましぇん。私の推理です。
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