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告白(チャールズ・R・ジェンキンス)

2006年08月11日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

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 この本は、拉致被害者である曽我ひとみさんは、2002年9月17日に北朝鮮から日本へ帰国し、そしてその夫のジェンキンスさんは2004年7月18日に二人の子どもと共に日本へ到着しましたが、そのジェンキンスさんの半生を描いたものです。

ジェンキンスさんは、生まれ育ったアメリカでも、そして北朝鮮でも苦労したんだなぁあということがよく分かりますが、北朝鮮の実情が具体的に分かる本でもあります。とても興味深く読める本です。お勧めです!以下はこの本の要点です。


・ジェンキンスさんは1940年2月18日に生まれる。7人兄弟の4番目で長男だった。アメリカでも貧しい地域のそのまた貧しい町だったが、その中でもひときわ貧しい家族として後ろ指を指された。学校の給食代は20セントだったが、貧しい家庭は無料で一度も払ったことがなかった。服はどれも古着で教会のチャリティーや近所の人からもらう。家はゴミ捨て場のようで、初めは浴室や水道もなかった。父は製氷工場で働き者だったが、ジェンキンスさんが11歳のころに亡くなる。

・父が亡くなったあとは、母がカイロプラクティックの治療院で看護師として働き始めた。ジェンキンスさんは問題児だったが、母のしつけは厳しかった。母は再婚し、ジェンキンスさんが15歳の時に妹ブレンダが生まれ8人兄弟となる。

・ジェンキンスさんは、背は低かったが体格の割りに異常に力が強くて運動に長けていた。ニックネームはスーパーマンの「スーパー)だった。15歳の時に、17歳ということにして(出生証明書がなかったため)ノースカロライナ州の州兵となる。(入隊できるのは17歳からのため)

・1958年の半ばに州兵の3年の任期が終わり、11月に陸軍へ入隊する。1960年9月現準に韓国のキャンプ・カイザー米軍基地に赴く。1961年6月に軍曹へ昇進する。韓国で1年任務に就いた後、西ドイツで3年過ごす。そのあと1964年9月に韓国で駐留する。

・ハンター・キラー・チームという危険な北朝鮮から攻撃を受ける偵察隊を率いるよう命じられ、またベトナム戦争へ派遣される予定だと聞き、非武装地帯を越えて北朝鮮へ入ることにする。北朝鮮へ着いたらソ連に引き渡してもらうよう要求し、外交ルートで米国へ送還してもらって、帰国してから脱走の裁きを受けるつもりだった。西ドイツで、東ドイツへ逃亡してソ連に引き渡され、最終的にアメリカへ送還された脱走兵の前例があったためである。しかし、ソ連や中国の大使館へ行って亡命しようと試みたが断られる。

・北朝鮮では、非武装地帯を越えてきた他の3人の米国人兵士と一緒に暮らすことになる。この3人とは北朝鮮滞在中、良くも悪くも切っても切れない仲となる。4人とも似た者同士で、貧しい家庭出身の若く愚かな兵士で、陸軍以外に頼るべきものもなかったはずなのに、逃亡してすべてを投げ捨ててしまった。それからの数10年、最も親しい友となり、時には最悪の敵同士となった。初めの頃は4人で同居し、しばしば襲ってくる寒さと飢えと絶望に耐えて、正気を保ち、生き延びるためだけに苦闘した。

・北朝鮮では、自己批判は日常生活の一部で、党の最上層部まで含め、誰もがやらされる。毎週月曜の朝にやらされた。普段から日記をつけさせられ、金日成の教えどおりにできなかったことを全て書き留めておくことになっていた。そしてその日記をもとに自己批判をやらされる。基本的には直立不動の姿勢で立ち、その場にいる上役などに自分のあらゆる失敗を告白する。指導員の上にいる「幹部」などが本気で説教を始めて、何時間も延々と顔の間近で怒鳴られると、精神的に疲れ果てた。

・当初の仕事は学習で、北朝鮮の歴史や第二次世界大戦中に活躍した抗日ゲリラの武勇談や金日成の教えに関する本を読まされた。そして学んだことを指導員に報告することになっていた。もうひとつの仕事は、軍の将校達に英語を教えることだった。

・1980年6月30日の夜10時ごろに美しい女性の曽我ひとみさんが家にやってくる。まだ21歳だった。彼女に英語を教えることになってはいたが、「組織」が二人を結婚させようとしていたのは明白だった。曽我ひとみさんは1978年8月12日に母親のミヨシさんと佐渡島の真野町で拉致される。曽我ひとみさんが母ミヨシさんの姿をみたのはこの日が最後とのこと。

・ジェンキンスさんは、曽我ひとみさんにほとんど毎日、純粋で誠実な気持ちで結婚を申し込むようになるが、初めのうちは答えはいつも「ノー」だった。それから間もなく結婚に同意してくれる。結婚式は1980年8月8日に行われた。昼母平壌に出て記念写真を撮り、夜は家で祝いの夕食となった。食事はいつもと大して変わらなかったが、粉と卵と砂糖を使って間に合わせのウェディングケーキを作れた。

<目次>
序章
第1章 スーパー・ジェンキンス
第2章 陸軍入隊、そして非武装地帯を越えて
第3章 同居人たち
第4章 料理人、士官候補生、妻たち
第5章 妻・曽我ひとみ
第6章 友人たち、そして異邦人たち
第7章 家庭生活
第8章 ひとみの脱出
第9章 私の脱出
第10章 帰郷
謝辞
略年譜

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<今日の独り言>
 本の整理を行い、いらなくなった本をBOOKOFFへ売りに行きました。1/3ぐらい売れて780円になりました!残りの2/3は図書館の交換本コーナーへ寄付してきました。さすがに10年ぐらい前の「るるぶ」などの旅行本は売れないみたいです^_^;)

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