先週の日曜日、東京へ叔母の作品を見に行ったついでに、
終末期医療をテーマにした
このドキュメンタリー映画を観てきました。
千代田区神保町にある岩波ホールで
7月27日まで上映しています。
「死」を避けられない、「余命数ヶ月」と宣告されたとしたら、
病院で過ごして、「死」を迎えたくないな。
慣れ親しんだ場所(家)で、生活を続けて
「死」を迎えたいと自分は希望します。
でも、世話をしてくれる家族が大変だろう。
医療・看護体制の現状を考えるとバックアップは望めないだろう。
結局、入院せざるを得ない、
病院で「死」を迎えることになるのだろうなと。
病院で死ぬことがあたりまえ、普通になっていることが悲しい。
全ての人に平等に来るのが、老いと死。
それなのに安心して老いれない、
望んだようには死ねないという現状ではないでしょうか。
臨床ナースとして、長く病院で働いて、死を看取ってきましたが、
いつも、もう少し何かしてあげられることがあったんじゃないかと、
後悔していました。
ほとんどの病院が内科、外科、整形外科など
専門分野で病棟が分かれています。
それぞれの病棟には、
急性期、回復期、慢性期、検査、手術etcと病気、治療、ケアの
様々な段階の患者さんに混じって、
終末期の患者さんも入院しているのです。
終末期医療やケアの特殊性を考えると、
それを支える体制が独立してあってもいいと思うのです。
市民とか県立とか名前のつく病院は、
終末期を支える緩和ケア(ホスピス)病棟を開設して、
在宅で迎える死もバックアップできる体制も整え、
市民や県民が充実した死を迎えられるように
計らってもらいたいものです。
医療は急激に進歩し、救命救急、
「命」を引き延ばすことは容易になったけれど、
「命の質」はないがしろにされているような気がする。
「死」がまじかな人を支える家族の意識の向上や、
それを支える医療・看護体制なくしては
人生の終わりをよく生きれない。
行政、地域医療、
それを動かしてゆくのは住民ひとりひとりの力だと
この映画は言っている。
母のこともあって、
たまたま中日新聞にこの映画の紹介が載っていて、
タイミングよく叔母の書の出展と重なって、
「是非観て、お母さんのこと考えてあげなさい」と
神様がこのタイミングを図ったのだと思う。
母を見舞っていて、こんな最後は嫌だな、
自分が嫌だと思っている最後を母にさせていいのだろうかと・・・
まずは、土・日に外泊させてあげれたらいいなと、
そのためには、酸素をしていては無理。
面会に行くと、よく酸素が外れている。
今の状態で本当に酸素が必要なのか。
酸素を外して経皮酸素飽和度が下がらないか、
動いても下がらないか
これは、主治医の許可をもらってナースに試してもらうしかない。
点滴はヘパロックといってカテーテル(針)を留置したままで、
輸液のラインを外すことができる。
食事は摂れなくても、水分は何とか飲める。
1日ぐらいの外泊だったら、脱水にはならないだろう。
膀胱留置カテーテル、これは外泊に支障はきたさない。
外泊する時と病院に戻る時に
ウロガードに溜まった尿を捨てて空にすれば不便はない。
月曜日に主治医に相談しよう。