喫茶去

徒然に、日々の生活を書き留めたいと思います。喫茶去、まあ、お茶でも飲んで、のんびりしていって。

みんながわからない

2007-06-12 | 母のこと父のこと

夕方面会に行ったら、個室に移って、酸素も始めていた。
デュロテップという麻薬のテープを貼ってもらっているせいか、
表情は穏やかで、『痛み』はない様子。
呼吸は平静ですが、痰が切れないみたいで、
時々、咳払いをしている。

「おばあちゃん」と呼びかけなで、話しかけると、
ナースや助手さんと間違えているのか、
丁寧な言葉で、返答してくる。
「おばあちゃん」と始めに声をかけると、身内だと判るみたい。
チンプンカンの返答はないけど、
娘や孫がだんだん判らなくなってきた・・・・・・哀しいな!

帰り際に、「おむつ替えようか」と聞くと、「いいです」と。
腎機能も悪くなって、尿も少なくなっているのだろうか。
まだ、浮腫はない。
尿がでなくなると、その分、むくんでくる。

昨日、主治医の先生とムンテラをして、
TPNも少しずつ減らしてもらうことにした。
高カロリーの輸液を点滴しても、
『ガン』に栄養を取られているようなもの、
全身の機能が衰えていっているのに、
水分を多くいれても、パンパンに浮腫るだけ。

今、母は何を考えているのだろう・・・・
母の人生は幸せだったかな・・・・
若い時に、母親を亡くし、
五人の妹や弟を母親代わりに面倒を見て、
年老いてからは、長年暮らした下松を離れ、
娘達の暮らす名古屋へ。
娘以外は知った人のいない土地で暮らす・・・・・・・
どんなにか、下松に行きたかったろうに。

歳をとるって哀しいなと、
どんなに望んでいても、一人では思うように行動できない。
誰かに付き添ってもらわなければ。
結局、迷惑かけるからとあきらめる。

きっと、いっぱい、いっぱい、我慢をしていたんだろうな。
苦しまないで、平静に、眠るように死を迎えられるといいな。

母に「育ててくれてありがとう」と言おうと思っている。

私が2~3歳の頃、父が離婚して、再婚したので、
私は、母の実の娘ではない。
看護学校受験の願書の戸籍抄本を見て初めて知り、
高校の教室で泣いた事を今でも覚えている。
家に帰ってからも、その後も
『母の実の娘ではない』を知ったという
そぶりは一切、見せませんでした。
父には、
就職してから、知っている事を
話しましたが、母には話していません。
実の母は、再婚をして産後の肥立ちが悪く、亡くなっているようです。
祖父がチラッとそのような事を言った
ことがあり、
その時は「変なことを言うおじいちゃん。おかあさんいるのに」
と思ったことがありました。
だから、私は実の母親の顔も知らない。
母のお墓が何処にあるかも知らない。
お墓を探して、一度でいいからお参りしたいと思っている。

このことで、いろいろな思いはあるが、
母にお礼を言うことで、私自身が、救われるかなと。
母の心にもきっと、何かわだかまりがあったと思う。
言ってあげることで、母も安らぐのではないかと思う。





コメント
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