夕方面会に行ったら、個室に移って、酸素も始めていた。
デュロテップという麻薬のテープを貼ってもらっているせいか、
表情は穏やかで、『痛み』はない様子。
呼吸は平静ですが、痰が切れないみたいで、
時々、咳払いをしている。
「おばあちゃん」と呼びかけなで、話しかけると、
ナースや助手さんと間違えているのか、
丁寧な言葉で、返答してくる。
「おばあちゃん」と始めに声をかけると、身内だと判るみたい。
チンプンカンの返答はないけど、
娘や孫がだんだん判らなくなってきた・・・・・・哀しいな!
帰り際に、「おむつ替えようか」と聞くと、「いいです」と。
腎機能も悪くなって、尿も少なくなっているのだろうか。
まだ、浮腫はない。
尿がでなくなると、その分、むくんでくる。
昨日、主治医の先生とムンテラをして、
TPNも少しずつ減らしてもらうことにした。
高カロリーの輸液を点滴しても、
『ガン』に栄養を取られているようなもの、
全身の機能が衰えていっているのに、
水分を多くいれても、パンパンに浮腫るだけ。
今、母は何を考えているのだろう・・・・
母の人生は幸せだったかな・・・・
若い時に、母親を亡くし、
五人の妹や弟を母親代わりに面倒を見て、
年老いてからは、長年暮らした下松を離れ、
娘達の暮らす名古屋へ。
娘以外は知った人のいない土地で暮らす・・・・・・・
どんなにか、下松に行きたかったろうに。
歳をとるって哀しいなと、
どんなに望んでいても、一人では思うように行動できない。
誰かに付き添ってもらわなければ。
結局、迷惑かけるからとあきらめる。
きっと、いっぱい、いっぱい、我慢をしていたんだろうな。
苦しまないで、平静に、眠るように死を迎えられるといいな。
母に「育ててくれてありがとう」と言おうと思っている。
私が2~3歳の頃、父が離婚して、再婚したので、
私は、母の実の娘ではない。
看護学校受験の願書の戸籍抄本を見て初めて知り、
高校の教室で泣いた事を今でも覚えている。
家に帰ってからも、その後も
『母の実の娘ではない』を知ったという
そぶりは一切、見せませんでした。
父には、就職してから、知っている事を
話しましたが、母には話していません。
実の母は、再婚をして産後の肥立ちが悪く、亡くなっているようです。
祖父がチラッとそのような事を言ったことがあり、
その時は「変なことを言うおじいちゃん。おかあさんいるのに」
と思ったことがありました。
だから、私は実の母親の顔も知らない。
母のお墓が何処にあるかも知らない。
お墓を探して、一度でいいからお参りしたいと思っている。
このことで、いろいろな思いはあるが、
母にお礼を言うことで、私自身が、救われるかなと。
母の心にもきっと、何かわだかまりがあったと思う。
言ってあげることで、母も安らぐのではないかと思う。