午後三時前に、母のところへ
「~たち、来た」と尋ねると、「来ない」
その後、妹からメールがあって、「いったん帰ります」と
「来てるじゃないの」と心の中で母に
相変わらず、おしもに手を当てて、
しかし、今日はチョッといつもと様子が違う。
お腹を触ると、張っている。
一回しかおむつ交換をした記載がない。
おむつを換えると、汚れているが、いつもの量より随分少ない。
昨日は沢山出ていて、ズッシリおむつが重かった。
おむつを開いたので、しっかりお腹が出て、
下腹部がパンパンに張っているのがよくわかった。
尿閉(尿意はあるが尿が出ず膀胱に溜まる)だ
やはり、尿が出にくかったんだ。
ナースステーションは二階なので
この階では検温以外は看護師を見かけない。
だからこの階の担当の助手?ヘルパー?介護福祉士?
職種は分からないけど、
その人に伝えるべきか、ナースコールすべきか迷った。
そんなことで迷う私も変だけど、
結局、職種の分からないその人を通して
看護師に連絡してもらった。
すぐ来てくれ、
バルンカテーテル(膀胱留置カテーテル)を挿入することになった。
処置が終わって病室の中に入って、
管を見ると、すごい勢いで尿が出ている。
いっきに約1200mlも出たそれもレンガ色した尿。血尿?
長い看護師経験の中で、こんな大量の尿閉、初めて
「500mlぐらい出ている」と言って出て行って、
結局、全部で何ml出たか、確認にも来なかった。
おむつ交換を誰がしようとかってだけど、
最終的に、指導や管理は看護師がしっかりやってよ
いったい何時に出て、いったい何時から出ていないの、
量の変化もわからない。
そんな管理ってある?ずさん過ぎない?
今日は、しきりに頭を叩いている。聞くと「頭が痛い」と
検温に来た看護師に伝えると、「様子を見ましょう」と・・・・・・・
「ちゃんと、様子見てよ」
入院時CTを撮って脳転移はないので、
脳腫瘍ではないと思うけど、
脳出血や脳梗塞ではないといいけど・・・・・
こんな状態なのに、
「服をちゃんと片付けているか」と父に言っている。
帰り際には「去年の入院費が~」と。
15日締めで入院請求書がきていて、
高いだの何だの話していたのが聞こえたかしら
母の前では言動慎まねば。
病室からの眺め
酸素マスクをして、
右鎖骨下から中心静脈栄養(高カロリーの栄養点滴)を入れて、
心電図モニターの電極板を胸に貼って、
経皮的酸素飽和度を測定するために指にセンサーをはめ、
だいたい95%前後。酸素マスクが外れると80%後半に下がる。
酸素は必要。
この二つは二階のナースステーションでモニタリングされている。
上限下限(異常値)が設定してあり、
異常値を示すと警報が鳴り知らせる仕組み。
おむつを当て、定期的?におむつ交換してもらい、
足背に浮腫があるくらいで他はない。
おしっこはちゃんとでているよう。
便は以前コロコロの硬いのが1コ出たきり?いいのかな?
大腸がん再発で浣腸もできない?
便が出てない割りには、
最近、嘔吐もないよう。どうなってるのかな?
下から出ないと吐くのが普通だけど・・・・・・?
排尿困難があるのか、排尿時痛があるのか・・・・
時々手をおしもに当て苦痛表情をする。
苦痛表情といえば、胸に麻薬のシールを貼ってはいるが、
最近、時々、激しい痛みに襲われるよう。
定期的?に身体の向きを変えてもらっている。
背中にエアーマット。褥創はない。
痰をきれやすくするために吸入をしている。
体温は37.0℃前後の微熱。時々37.0℃後半。
足先は冷たく、色も悪い。靴下を履かせてあげた。
傾眠状態。
自発語はない。何か話してくれるといいのに。
問いかけの返答も、義歯を外しているので、今一つ、聴き取りにくい。
助手さん?、ヘルパーさん?、
介護福祉士さん?が病室に入ってきて、
母の体のそばにある送信機を調べ始める。
胸や指をみる。
酸素飽和度を測定する
指にはめてあったセンサーが外れていたようだ。
「外しちゃだめだよ、二階で監視しているから。
ナースステーションから連絡があった」
といったようなことを言って出て行った。
母の病室は四階。
ナースステーションが二階にしかない・・・・・・・・・
んじゃないの
病床数あたりで
ナースステーション設置が規定してあるのかな
母はターミナル(治療の見込みがなく死が近い)だから
ナースステーションから遠い四階に入れられているのかな。
酸素もして、モニタリングもされて、動けない、
ナースコールも押せない、十分に声も発せない,
普通だったらこの状態、
ナースステーションの近くで管理されてもいいんじゃないか
このモニタリングは生命監視装置か
それにしても、
日常生活援助はみな看護師以外、
上記の?の人たちがしているよう。
母の状態をどこまで知って、援助してくれているのだろうか
いろいろ考えると
私達家族ができる最善を考えて、母を看取ろう!
詩人の新川和江さんが詩人の
「茨木のり子(故人)」さんを評した言葉です。
将来、日本語教師の資格を取りたくて、
『日本語の魅力』という公開講座を受講しています。
資格取得に直結した講座ではありませんが、
将来、役に立つかなと。
期間は週二回(水・金)の、7月20日まで。
ちなみに7月20日は私の○○歳の誕生日
今日はその二回目。
何人かの戦後現代詩を紹介され、
その中に衝撃を受けた彼女の詩があったのです。
倚(よ)りかからず
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
「ながく生きて」とあるから、
けっして若い時の詩ではないだろう・・・・
強い女性だなと。
こんな強烈な詩を書かせた経緯や、背景を知りたいなと思った。
私は若い時に、
「頼れるのは自分自身だ」
なんて強がり言ってたことがありましたが、
本心は寂しい弱い自分がいたように思います。
今、自分が倚りかかるものってなんだろうと考えた時、
強がって思った若い時とは違うのですが、やはり、まずは
自分の意思や意志をコントロールしている自分自身かなと・・・
ところで、茨木のり子さんは大阪生まれだけど、
愛知県の西尾高等女学校の出身だそうです。
夕方面会に行ったら、個室に移って、酸素も始めていた。
デュロテップという麻薬のテープを貼ってもらっているせいか、
表情は穏やかで、『痛み』はない様子。
呼吸は平静ですが、痰が切れないみたいで、
時々、咳払いをしている。
「おばあちゃん」と呼びかけなで、話しかけると、
ナースや助手さんと間違えているのか、
丁寧な言葉で、返答してくる。
「おばあちゃん」と始めに声をかけると、身内だと判るみたい。
チンプンカンの返答はないけど、
娘や孫がだんだん判らなくなってきた・・・・・・哀しいな!
帰り際に、「おむつ替えようか」と聞くと、「いいです」と。
腎機能も悪くなって、尿も少なくなっているのだろうか。
まだ、浮腫はない。
尿がでなくなると、その分、むくんでくる。
昨日、主治医の先生とムンテラをして、
TPNも少しずつ減らしてもらうことにした。
高カロリーの輸液を点滴しても、
『ガン』に栄養を取られているようなもの、
全身の機能が衰えていっているのに、
水分を多くいれても、パンパンに浮腫るだけ。
今、母は何を考えているのだろう・・・・
母の人生は幸せだったかな・・・・
若い時に、母親を亡くし、
五人の妹や弟を母親代わりに面倒を見て、
年老いてからは、長年暮らした下松を離れ、
娘達の暮らす名古屋へ。
娘以外は知った人のいない土地で暮らす・・・・・・・
どんなにか、下松に行きたかったろうに。
歳をとるって哀しいなと、
どんなに望んでいても、一人では思うように行動できない。
誰かに付き添ってもらわなければ。
結局、迷惑かけるからとあきらめる。
きっと、いっぱい、いっぱい、我慢をしていたんだろうな。
苦しまないで、平静に、眠るように死を迎えられるといいな。
母に「育ててくれてありがとう」と言おうと思っている。
私が2~3歳の頃、父が離婚して、再婚したので、
私は、母の実の娘ではない。
看護学校受験の願書の戸籍抄本を見て初めて知り、
高校の教室で泣いた事を今でも覚えている。
家に帰ってからも、その後も
『母の実の娘ではない』を知ったという
そぶりは一切、見せませんでした。
父には、就職してから、知っている事を
話しましたが、母には話していません。
実の母は、再婚をして産後の肥立ちが悪く、亡くなっているようです。
祖父がチラッとそのような事を言ったことがあり、
その時は「変なことを言うおじいちゃん。おかあさんいるのに」
と思ったことがありました。
だから、私は実の母親の顔も知らない。
母のお墓が何処にあるかも知らない。
お墓を探して、一度でいいからお参りしたいと思っている。
このことで、いろいろな思いはあるが、
母にお礼を言うことで、私自身が、救われるかなと。
母の心にもきっと、何かわだかまりがあったと思う。
言ってあげることで、母も安らぐのではないかと思う。