神戸に住んでいた時、一度、訪れたことがあります。
二十代の時。
自分の子どもと、
妹の子どもと一緒に来ようとは思いもしませんでした。
山陽自動車道の備前でおりて。
江戸時代(1603~1867)の寛文10年(1670)に、
地方のリーダーを育てる庶民の学校として
創建され、完成したのは元禄14年(1701)。
現存する庶民を対象とした学校建築物としては
世界最古だそうです。
国宝の講堂
資料館から火除山を望む
石塀
校地を取り巻く765メートルにも及ぶ石塀。
写真は資料館に続く石塀。
昔はお寺には必ず眠気を醒ます効用のある
お茶の木が植えてあり
眠くなるとお茶を飲んで、修行に励んだようです。
ここでも畑を囲うように、
お茶の木が植えてありました。
当時は自給自足で、お野菜を作ったり、
お茶を作ったりしていたのでしょう。
この近くには、備前焼で有名な伊部や
名刀で有名な長船があります。
叔母が待ちくたびれていると があり、
早々に閑谷学校を後にしました。
19日から21日まで、父を連れて、
総勢7人で帰郷した。
レンタカーで。
故郷は山口県の下松(くだまつ)。
地名の由来は、推古天皇の頃、
松の木に北辰星が降りたことから。
北辰星とは北極星のことらしいけど、
本当に降りていたら、
今、北極星は無いはず?????
降りた星が何であれ、
地名の由来はとてもロマンチック。
一宮に住んでいる妹が、6時ごろ迎えに来てくれ、
私は寝坊して大慌て。
春日井インターから出発。
山陽自動車道の備前でおり、旧閑谷学校を観て、
そこから30分ぐらいの所に住んでいる
叔母の所に寄った。
先月亡くなった母の一つ下(81)の妹。
以前紹介した書道をする叔母である。
十数年ぶりの再会。
足腰は弱っていて、
どこにあんな大作を書く力があるんだろうと・・・・
書く時には不思議に気が入ると言っていた。
生涯を書道という趣味に生きている叔母は幸せだ。
再び山陽自動車道に入り、一路、下松に。
休憩した宮島サービスエリアで
紅葉の歩道
宮島の赤い鳥居が見えるかな
19時過ぎに、
二日間の宿である国民宿舎大城に到着。
外史公園から大城を望む
左後方は船ではなく、造船場、笠戸ドッグ。
外史公園から下松を望む
長岡外史像
下松と笠戸島を結ぶ赤い笠戸大橋が見えるかな。
私が中学生の頃はまだ橋が架かってなく、
島の子は船で通っていた。
長岡外史は、日本の航空の基礎をつくり、
また、日本のスキーの発展に努力した
郷土の偉人・・・・知らなかった~
笠戸島はひらめで有名。身がひきしまって美味しい。
はずだったけど・・・・・・
その場で注文するより、
前もって予約しておくほうが
活きのいいひらめの活け造りが食べれるよう。
残念!
部屋の鍵にひらめのキーホルダー
翌日はお墓参りをして、
父と義弟(妹の夫)を叔父の家に残し、
この二人は、今日は此処に泊めてもらう。
昼間から、近くでしとめたイノシシで、
叔父の1人息子(いとこ)も来て、酒盛りだったよう。
ちなみに父は一滴も飲めない。
私たちは仙崎の金子みすヾ記念館、萩へ。
仙崎に着いて、まずは腹ごしらえ。
黄身は無いほうがよかった(注文の時、有無を聞いてくれる)
ケンサキイカが有名なので、
ただ1人、三色丼を食べた長女は賢明だったかも。
叔父がこの日お弁当を頼んで、
みかん狩りを計画してくれていたらしい。
そうとは露知らず、叔父に申し訳ないことをした。
3日目は、、母の妹弟に挨拶をし、
10時半、帰路へ。
途中、今年の7月、
世界遺産に登録された石見銀山に寄った。
銀山を出発したのが17時。
家に着いたのが夜中の2時。
帰りは出発が遅かったのと、
銀山へも時間がかかり、
往きに比べて帰りは随分時間がかかった。
ほとんど妹、時々姪、義弟が運転。
私は一度も運転せず、楽をさせてもらった。
妹とは五つ違い、もうすぐ、○十路。
なかなか運転は上手い! ご苦労さんでした。
十数年ぶりの故郷。感慨深い。
父も満面だけじゃなく、
からだ中で喜んでいたように思う。
「来年も行くよ」と父に。
母に先立たれた父は、
来年も行けることを生き甲斐に、
意欲的に過ごして行ってくれるだろう。
父が疲れていないかすると、
「来年も行く」と、
疲れも見せず張り切っているそうだ。
ところで、姪がどこかにデジカメを忘れてきたらしい。
旅の思い出がいっぱい詰まっているのに・・・・・・
見つかってほしいな!
ちょっと前までは、この世に存在していて、
色々なことを教えてもらったり、
繕い物をしてもらったりしてたのに、
いない事が不思議な感覚に襲われる。
時々、ふ~っと、母を思い出して悲しくもなる。
しかし、
去るものは日々に疎しで何事もなかったように、
日常が過ぎて行くんだろうな。
納骨を終えて、近くにある中国茶のロブーでお茶し、
本当に何年ぶりかで、
妹の家族と父を交えて夕食を共にし、
忌明けを終えた。
妹の家の父の部屋で、喪服を着替えていて、
妹が見繕ったのか、すてきなフォトスタンドに、
母の写真が飾られているのを見つけた。
お位牌もみな納めたので、
父はその写真に向かって、
手を合わせるのだろうか・・・・・
父はそれでよかったかな・・・・・と
複雑な心境になった。
「もう年なんじゃから、
あんたらに任せるしかしょうがないんじゃけえ」と
本心だったかな・・・・・・
小牧市東部市民センター自主文化事業で、
ジャズヴォーカリスト、
ケイコ・リーさんのライブがあった。
彼女は本名李敬子。
1965年、愛知県で生まれた在日韓国人3世。
意外に歳だけど、
スタイルよくて、綺麗で、とても42には見えません。
最初はピアニストとして活動していたらしい。
95年のデビュー。
「楽器と対等に渡り合える歌手」とか
「低音で深く胸に染み渡る歌声は
、一度聞けば忘れることはない」等
各誌で絶賛されてるのだそうです。
また、ジャズ専門誌の
人気投票女性ヴォーカル部門で
11年連続1位なのだそうです。
「ジャズ」って のチンプンカンプンの私だけど、
11年続けて1位とはすごい
しかし、「ジャズ」は私にはむかないかも・・・・
でも、「Stand By Me」や、
アンコールでのピアノの弾き語りの
「IMAGINE」はよかった。