おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

心に響かぬ70年談話、ワイツゼッカーの爪の垢でもどうだ?

2015年08月18日 | Weblog

 

午前5時の気温はプラス18度。

激しい雨音で目が覚めました。

きょうはどうやら、雨の一日となりそうでござる。

季節は、着実に秋に向かって動き出しておるような…

ところで、

東京の旧友Tがお隣別荘に来ておるのですが、奴がきのう、札幌の旧友Sを訪ねたそうな。

なんでも2時間半、うだうだ、だらだらと、世間話をしてきたらしい。

ま、こういう時間も必要だ。

そこでどうやら、おぢのことも話題になったそうな。

旧友S曰く「あいつには外で1時間は歩け!! と、100回は言ってきたのにさっぱり、言うことをきかない」とか申しておったそうな。

それは悪いけど、大ウソ!!

おぢの記憶が正しければ、いまんとこ99回だ。

Sが言っておるのは、スポーツジムのトレッドミルなんかで歩くよりも、外の風に当たり、空気を感じて歩くのが健康によろしい、ってことだろう。

確かに都会の皆さんは、外で過ごす時間が一日のうち、ほとんどない。

外にいるのは、家と職場を往復する時間だけ、だったりもする。

マイカー出勤なら、場合によってはほぼ丸一日、外の空気に触れることもないわなぁ~

一方、田舎暮らしのおぢはというと、外で過ごす時間が都会とは大きく違う。

薪を切って、割って、積んでといった一連の作業中は、時に一日4~5時間は外で過ごす。

きのうも2度にわたって、計2時間半ほど、「草刈正雄」してましたわ。

途中2回Tシャツを交換、汗だくでどもこもなりませんでしたけどね。

ほかにも、外でしなきゃらなんことは、1年中なんだかんだ、ごっちゃりある。

秋は冬に備えて、外に放置してあったものを片づけたり、冬囲いしたり。

冬の除雪は、ほぼ毎日だしねぇ、、、

夏は薪割りに草刈りだ。

晴れの日は、タープの下でうだうだ読書もする。

そんなことで、外で過ごす時間も長く、外ですることも多いのが、田舎暮らしでござる。

旧友Sさんご指摘のように、外を歩くのは大事だとは思いますが、家の中にこもりっきりの生活してるわけではないので、そこんとこヨロピクね!!

さて、

総理が出した戦後70年談話、何にも心に響くものがなかったわけですが、あれで支持率が上がったというから驚いた。

ニッポン国民の民度、低くないか???

安倍総理の談話が心に響かないのは、これがまさに官僚の作文だからにほかならん。

言葉としては、植民地支配も、お詫びも、反省もちりばめておりました。

しかし、こんな一文もあった。

「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」

これが彼の唯一の本音だ。

「いつまで謝罪を続けるのか!!」と申しておる。

このままでは、いつまでも謝罪しなきゃならんと思いますよ。

この問題、いわゆる「いじめ」とよく似ておるとおぢは思うのです。

いじめた方は、いじめたことさえ、すっかり忘れておるのに、いじめられた方は終生忘れない、みたいなもの。

60歳をとうに過ぎたおぢも、子どものころにいじめられたことは、いまも忘れておりません。

かつてニッポンは、中国や朝鮮半島に進出し、植民地支配をし、時には名前や母国語を奪い、日本語の名前と、日本語まで強要した。

こんな屈辱的なこと、した方はすっかり忘れても、された方は忘れません。

ナチスの罪を認め、謝罪し、世界が納得したドイツのワイツゼッカー元大統領は、演説でこう述べておる。

<今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれていませんでした。この人たちは自ら手を下していない行為について自らの罪を告白することはできません。ドイツ人であるというだけの理由で、質素な服をまとって悔い改めるのを期待することは、感情を持った人間にできることではありません>

ここまでは安倍総理と同じですが、ここからがまるきり違うのです。

<しかしながら、先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。だれもが過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされております>

そう、ワイツゼッカーは「罪のある、なし、老人も、幼児も、全員が過去を引き受けねばならん。だれもが過去に関わり合っており、過去に対する責任を負わされておる」と申しておるのです。

まさに安倍総理と対局。

中国、韓国がいうところの「徹底的に反省し償うドイツと、過去を正当化する日本」といった図式から、それこそ脱却しなきゃならんのに、そうではないのです。

ドイツのように徹底的に反省し、償えば「謝罪を続ける宿命を背負うこともない」はずだけど、それができていないということだ。

そして、安倍総理は「徹底的に反省し、償う」ことなど、「まるきり考えていない」ということでもある。

高慢ちきで、国粋主義者、こんな卑屈な男を国のトップにいただいておっては、ニッポン国の先行き、さらに不透明になると申しておきましょう。

我がニッポン国に、ワイツゼッカーがいなかったことこそが、不幸だったのです。