おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

竹下総理に上がってきたのは2案、竹下、小渕、小沢の3人で決めた「平成」By週刊ポスト

2019年04月25日 | Weblog

午前7時の気温はプラス5度。

雲が低く垂れこめて寒々しております。

あすはさらに寒いそうで、場所によっては雪も降るそうな。

きのう日中は20度を超えたりしたというのに、あすは雪ですか!?

一筋縄ではいかない平成最後の春でござる。

写真は、解体中のお向かいの家。

香港の方が土地を昨年4800万円で買ったそうで、建物はあっさり解体の憂き目なのだ。

リニューアルすれば十分立派な家になるはずだけど、ご近所だけに残念です。

たぶん香港の相当なお金持ちが買ったのでしょう。

この先建つであろう建物は、1棟なのか2棟なのか、はたまたもっとあるのか?

どんな大きさの、どんなものになるのか、まことに興味津々でござる。

なにせ土地は1500坪もあるからなぁ~

さて、

今週号の週刊ポストに元号「平成」に決定した際に関する小沢一郎さんの証言が載っておって興味深い。

なんでも「有識者会議で3案の中から『平成』が選ばれた──とされるが、実はその前に『結論』は出ていたという」のだ。

どう考えても、考えなくても「やっぱりねぇ~」って話なのだ。

記事によると、こうだ。

小沢:僕自身は元号に関心がさほどなかったけれど、(官僚を通じて)最終的に総理(竹下登)のところに上がってきたのは2案でした。「どっちにしましょうか」と。それで、竹下さんと小渕さんと僕の3人で「どうする?」となった。

小沢:その段階ではもう役人を入れる必要がなかった。学者の先生が選んで、2案まで絞り込まれていたからね。上がってきた2案は、「平成」と「化成」でした。

──当時の有識者懇談会には「平成」の他に「修文」と「正化」の3案が示され、平成に決まったと伝えられている。

小沢:あの時もそんな会議をやったのかな……それくらい僕は(元号選びに)関心がなかったんだな(笑い)。でも、僕は「化成」っていう案は覚えています。「修文」とかは全く知らない。

元号選定に関わった的場順三・元内閣内政審議室長も「急いで決める必要があったから、本命の平成に誘導した」と当時を回想している。

有識者会議前に竹下、小渕、小沢の政権中枢の3人で「平成」と「化成」という候補から平成が決まり、有識者会議では「平成」に誘導するために、頭文字が昭和のSと重なる“当て馬”の2案を追加して提出された。

なるほどねぇ~

初めに平成ありきだったってことだ。

で、「化成」も「修文」も昭和のSと重なる。

だからこの2案は当て馬だったってことなのね。

今回の「令和」も似たりよったりってことなのだろう。

政府は先日、有識者会議の8人のうち7人が令和に賛成したとか申しておった。

ではありますが、ようは総理レベルで話は決まっておって、あれこれ手続きを踏んだということが容易に想像される。

そうなるとやっぱり、「平成(へいせい)」は当時の竹下派「経世(けいせい)会」だから、そうなった?

今回は「令和(れいわ)」で、安倍さんの「清和(せいわ)会」でそうなった?

なるほどねぇ~

政府は、鷹揚な手続きを経て「令和」に決まったかのように演出した。

だけど、実際には、官僚か学者の持ってきた2~3の案の中から、総理や官房長官レベルで決まったのだろう。

そんなこんな、小沢さんからこういう話が漏れてくるところが、ニッポンも捨てたもんでないなぁ~ 

などと感じ入る朝でござる。