おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

舞台美術の第一人者「島次郎さん」逝く

2019年04月28日 | Weblog

午前5時半です。

スカッと晴れて雲一つない快晴のお天気です。

霜が降りており、気温はマイナス3度。

お天気がいいので、きょうは午前中で仕事を終えて、午後から薪割りでもしようかしらん。

日中の最高気温は13度というからまだ寒いかもしらんけど…

そんなこんなのきのう午後、

「舞台美術 島次郎」という本が届いた。

舞台美術の第一人者である島次郎さんの作品をカラー印刷した135ページの写真集だ。

「次郎は4月9日亡くなりました。生前お世話になりました」とお兄さんの言葉が添えられていた。

島次郎さんと出会ったのはおぢが中学生のころ。

そのころおぢと母親は、札幌の北1条西10丁目にあった家で暮らしておりました。

家を持っていたわけではなく、この家の6畳1間に間借りしておりました。

この家の次男が島次郎さんだ。

次郎さんは、母親と長男の3人暮らし。

我が家も、あちらの家も、父と暮らしていない母子家庭だった。

島次郎さんは、1946年4月生まれというからおぢより5歳年上でした。

すぐそばの大通小学校から、これまたすぐそばの陵雲中学校を経て、札幌西高校へ。

おぢは桑園小学校でしたから、次郎さんは中学と高校の先輩ってことになる。

写真集の年表によると、次郎さんは西高を卒業後、武蔵野美術大に入学し、ここで演劇と出会う。

唐十郎の赤テントにも影響されたという。

大学を卒業後は、テントや小劇場の舞台美術に没頭する人生だったようです。

写真は2007年の「ドラクル」の舞台。

作演出が長塚圭史さん、出演は市川海老蔵さんに宮沢えりさんという華やかな舞台だったそうです。

こちらは2008年の「焼き肉ドラゴン」の舞台。

「昭和20~40年代に故郷の札幌で見た家並みの記憶を混ぜた」とあった。

経歴を見ると61歳で東京芸大の非常勤講師、69歳で武蔵野美術大客員教授、70歳で旭日小綬章受賞とも。

一方、学生時代はデモで2度ほど警察で取り調べを受けていたそうだ。

4月22日付日経新聞の「文化往来」に「島次郎氏の遺産」という記事も掲載され、こちらも送っていただいたので掲載いたします。

「舞台美術 島次郎」は全国の紀伊國屋書店で発売中だそうです。

舞台美術に生涯をささげた島次郎さんの作品が収められております。

謹んでお悔やみを申し上げます。