おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

「自己責任」という悪魔の言葉

2019年08月03日 | Weblog

まもなく午前7時です。

気温はプラス20度で晴れてます。

予報でも今日は終日晴れで、最高気温は29度の予想です。

そんな昨夜は寝苦しく、12時過ぎにとうとうエアコンのスイッチを入れました。

30分ほど、26度の設定で除湿してようやく眠りにつきました。

夏のシーズン、合わせて10日も稼働しないエアコンですが、体調管理には北国の北海道でも必須だ。

そういえば、どこぞのニュース番組で2130年だったかのニッポン各地の気温を予想しておりました。

東京など本州は最高気温が47度にもなるとか…

北海道も37度超えてたような…

いま生きてる皆さん、どなたも生きてないからいいようなもんですが、2130年の気温はとんでもないことになるようです。 

ところで、

いまどき若い人たちをがんじがらめにしておる言葉に「自己責任」がある。

とりわけ、生活が苦しいとか、生活が不安定だとか、ようは賃金が少ないのは「自分のせいなのだからしょうがない」という自己責任論だ。

消費増税のたびに消費の伸びが鈍化して、経済成長も鈍化していったのがニッポンだ。

インフレなら物価は上がるけど、それに伴って給料も上がってきた、いい時代をおぢは知っておる。

好景気だった時代がニッポンにもあったのだ。

だけど20年も続くデフレ不況、しかも雇用の流動性とか申して、非正規雇用がどんどん増えて、庶民の給料は上がる方向には、さっぱり向かっていません。

これは政府の経済政策に間違いがあったか、政治に間違いがあったかだ。

勉強できなかったから、いい会社に入れなかったから、生活が苦しいけど、「これは自己責任だからあきらめる」って話がそもそもおかしい。

いまは完全に二極化し、一方はすっかり底抜けの貧乏状態になりました。

もう一方は働かなくても親の残した財産で食べていける富裕層だ。

かつては「一億総中流」だったけど、いまはすっかり格差社会だ。

だけど憲法には、国は国民生活を支えて、「最低限度の生活を維持する義務」があると書いてある。

なんでもかんでも自己責任ではないのだ。

憲法上、為政者には最低限の国民生活を支える義務があるのだ。

底を支えて、底上げしてこなかったのが自民党を中心とするニッポン政府だった。

なかでも安倍政権になってからというもの、社会保障費は減らされて、防衛費は突出するばかり。

最低賃金だって10年かけて時給1500円ぐらいにするような政策しないでどうするとおぢなんか思うね。

れいわ新選組の山本太郎さんはこう演説したと朝日新聞電子版が伝えておる。

あなたの生活が苦しいのは、あなたのせいにされていませんか。あなたが役に立たないからとか、あなたが勉強してこなかったからだとか。冗談じゃない」

また過日のテレビでは生産性で人を計らせない」「生産性で物事を語らせない」とも言っておる。

余計な防衛費を増やすカネがあるなら、国民生活の底上げ、障がい者への補助などなど、することはごまんとあるような気がしますけど…

ついでながら、落としどころもないままに、泥沼化する日韓関係、ご近所同士がツノ突き合わせる感じがまことに見苦しい。

ネトウヨなど韓国嫌いの一部保守派の支持を得るための対韓強硬策だそうな。

アホか!!

「韓国に屈すれば政権支持も下落」だとか。

どうやって、決着するつもりなの?

それとも韓国と戦争でもするつもりなのか?

次から次と目先を変えて、失政を隠そうとしておるようにしかおぢには思えません。

アホバカが長期政権など担うと、国益を大いに損なう。

これこそ安倍政権の「自己責任」で決着すべき事柄ではないのか、「自己責任ちゃんと果たせよ!!」と申しておきましょう。