おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

「太郎は逃げた」By高山正之

2019年08月21日 | Weblog

午前5時を回っております。

気温はプラス15度で晴れのお天気です。

きのうは降ったり止んだりのお天気でした。

晴れ間をぬって、久々に草刈り正雄いたしました。

草ぼうぼう状態でしたが、これでようやくスッキリした。

見回すと、あたりはもうすっかり秋の気配だ。

おぢは今日から長袖Tシャツです。

話は変わりますが、

ここんとこ、朝起きると「口の中が苦い」ので気になっていた。

何日も続くので、あれこれ調べたら「亜鉛不足」の可能性がある。

そんなことで先日、ドラッグストアで「亜鉛」のサプリを買ってまいりました。

60粒入りが500円前後だった。

服用を始めてきょうで1週間ほど経過しておりますが、ほぼほぼ口の中が苦い感じはなくなった。

歳を重ねると、あれやこれや、足りないものも出てくる気がしております。

「足りなけりゃ、補えばいい」とも思うのでござる。

さて、

当ブログの読者の皆さんは、週刊新潮のコラム「変幻自在」はお読みになっていないでしょうなぁ~

元産経新聞の記者、高山正之さんのコラムだ。

高山さんは言ってみれば「右派の論客」とでもいうお方で、発売中の週刊新潮、夏季特大号の「変幻自在」の表題は「太郎は逃げた」だ。

ようは山本太郎さんが、福島第一原発事故のあと、東京から大阪に逃げたことを指す。

当時の山本太郎さんのツイートでは、大阪からさらに「フィリピンに逃げる算段をしている」だったとか。

これを高山さんは、批判しております。

コラムの中身のほとんどは、亡くなった津川雅彦さんのお話だ。

この中で、夫人の朝丘雪路さんと津川さんの合同お別れ会で、おふたりの娘さんが語った話がある。

ここで津川さんは福島第一原発事故を指しているのでしょう「みんな東京から逃げる。しかしお前は日本人だ。逃げようなんて思うな。そこにいて日本人らしく死ね」と娘に言ったそうだ。

津川さんには申し訳ないけど、おぢは大きな違和感を感じます。

放射能汚染が広がって危険なら、まずは逃げるべきでしょう。

戦闘で負けそうなとき、いまこのタイミングは敵にかなわないと思ったときも、おぢはトットと逃げるべきだと思う。

捲土重来を期せばよいのです。

とにもかくにも命を惜しんで逃げるのが人情、世界の常識ってもんだ。

「そこにいて日本人らしく死ね」ってことで思い出されるのは、ニッポンと旧ソ連が戦ったあの「ノモンハン事件」だ。

「ノモンハン事件」は、太平洋戦争に突入する2年ほど前、当時日本が占領しておった満州国とソ連、モンゴルの国境地帯で起きた「日ソの国境紛争」だ。

この「事件」で、関東軍は8割に及ぶ2万人の兵士が死亡している。

ソ連軍は時速50キロの高速で走る大量の戦車を塹壕に隠し、兵士も5万人を超える大群で備えておった。

かたや関東軍はというと2万5000人ほどの守備隊で歩兵中心、装備は明治のころの旧式「三八式歩兵銃」だった。

井置栄一さんという中佐は、200人もの死者を出しながら、フイ高地というところで奮戦した。

だけど「いつの日にか戦うことを期して生き残るため、残存兵力の消耗を防ぐ」として、残った260人の兵士とともにこのフイ高地を未明に脱出する。

そう、逃げたのだ。

なぜ逃げたかというと、水も食料もなく、兵士たちは餓死寸前だったためだ。

ところが逃げ帰ったら、参謀の辻政信はこれを非難し、軍の命令に背いたとして井置中佐は責任を取らされる。

どういう責任の取らされ方だったかというと、これがひどい。

去年8月、NHKスペシャルで放送された「ノモンハン責任なき戦い」の中の「録音証言」によれば、ある参謀が1週間、毎日1時間ほど、井置中佐のもとを訪れ自決を説得。

最後には銃を井置中佐の部屋に置いてきたという。

未明に中佐の部屋から銃声がした。

自決したのだ。

部隊全滅の危機を回避し、多くの兵を救って、結果、自決させれられたのだ。

また、飛行機が故障し捕虜となった幹部パイロットも、自決を強いられておる。

「よく生きて帰ってきた。またガンバレ!」でいいと思うけど、捕虜になって戻ってきたパイロットに上官は「死ね」といったのです。

ことほど左様、「日本人らしく死ね」ってどうでしょう?

おぢの旧友の父親はこの「ノモンハン帰り」でした。

中国戦線から南方に転戦されられそうだったという。

戦争当時、「南方へ行く」ってことはソッコー死を意味した。

旧友の父親と何人かのノモンハン帰りは、その船に乗らなかったという。

「命令違反」ですから、軍法会議で死刑宣告されそうな話ですけど、ノモンハン帰りはそんなわがままも、暗黙のうちに許されたそうだ。

南方で「玉砕」という美名で「部隊の全滅」が繰り返されたのは、この「ノモンハンで幹部が自決を強いられた、その教訓から」だったというから酷い教訓を残したものだ。

旧日本軍の玉砕の原点はというと、「フイ高地からの脱出」後、責任者が自決に追い込まれたことだった。

ひどい話なのだ…

話は戻りますが、高山さんも津川さんも、福島第一原発事故に際して、その場にいて死ぬのが日本人らしいというのです。

それはおかしいだろ!! と思います。

どこが日本人らしいのかが、さっぱりわかりません。

その昔、おぢがいまよりもっとおバカだったころ、ススキノでへべれけに酔って、ヤクザ風に絡んだ、たぶん…

そんとき旧友は、サッと差し歯を抜いた。

「こいつはヤクザに殴られることを覚悟した」、そう思ったその瞬間、旧友は一目散に逃げ出した。

「エッ!!と思った」けど、あれが正しい。

危ないときはトットと逃げるのがいいに決まってる。

フィリピンに逃げる算段をしていた山本太郎さんをご立派とは言いませんけど、危ないと思ったら、とにもかくにも安全なところまで逃げて、どこが悪い?

高山さんのコラムは最後、こう締めくくられている。

「言い忘れたが津川雅彦氏は我先に逃げる者を一番嫌っていた」

津川さんが生きておったら、おぢなんかきっとクソミソでしょうけど、危険なとき、おぢは我先に逃げる。

三陸地方では昔から「津波起きたら命てんでんこだ」と伝えられてきたという。

各自、バラバラでいいから逃げなさいってことだ。

ことわざの「三十六計逃げるに如かず」は、作戦はいろいろあるけど、逃げるべきときには逃げて、身の安全を保ち、それから再起を図るのが最上の策ってことだ。

だけど、いざ戦争となったら、上官の命令が絶対だ。

高山さんや津川さんみたいな上官がいたら、逃げたりした部下は理不尽だけどソッコー自決されられるのだ。

ご本人が「そこにいて日本人らしく死ぬ」のは勝手だけど、そんなことを部下が押し付けられてはたまりません。

戦争の怖いところはそこだ。

もっとも、「日本人らしく死ね」などというとんでもない上官は、前の戦争ではほぼ全員が生き残った。

将校は勝手なことほざいて生き残り、一兵卒は詰め腹切らされて自決したのが太平洋戦争だった。

してはならない戦争ですが、高山さんや津川さんみたいな上官がいれば、ノモンハンと同じことがきっと繰り返される。

そんなおバカなことを「二度と繰り返してはいけません」、と思う初秋のニセコおぢでござる。