おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

「イラン危機」ってそもそも何?

2019年08月15日 | Weblog

午前6時を回っております。

気温はプラス18度、曇り空です。

今日はこんなお天気だそうで、降水確率は日中10%、最高気温は25度の予想だ。

さて、

週刊文春、夏の特大号、「池上彰のそこからですか!?」は「ホルムズ海峡の有志連合」について解説しております。

なにかとわかりにくいのが「イラン危機」だ。

池上解説によると「そもそも今回の危機は、トランプ大統領が、『イラン核合意から離脱する』と言い出したからです」としておる。

つまり「トランプさんが勝手に『離脱する』と言い出して、そこで危機になったら、『アメリカ以外の国々で安全航行を守れ』」と言ってるってこと。

ようはトランプさん自身で招いた危機の尻拭いを「他国に押し付けた」わけだ。

おぢに言わせれば、「はぁ???」って話なのだ。

たいした賢くもないおぢゆえ、アタマがクラクラいたします。

そして、ニッポン向けの石油の8割が通るのがホルムズ海峡だ。

だからといって、アメリカの言うこと聞いて有志連合に参加すると、昔から仲のよかったイランとの関係にひびが入る。

なんでイランとニッポンが仲が良くなったかというと、例の小説「海賊と呼ばれた男」の出光興産なのだ。

1950年代当時、イランのモサデク政権はイギリス企業を国営化した。

これに怒ったイギリスは世界各国にイランの石油を買わないように呼びかけて軍艦を派遣する。

このとき出光興産は「日本丸」というタンカーを派遣して石油を買い付ける。

イギリスの脅しに屈せず「ニッポン人は石油を買ってくれた」ってことでイランは親日になったのだという。

なるほどねぇ~

そのモサデク政権は、イランの将校たちによって打倒される。

もちろんその後ろで動いたのはイギリスとアメリカのCIAだ。

そしてできたのが、親米のパーレビ政権。

パーレビ国王の独裁政権は急成長するけど貧富の差もひどくなった。

そこでイラン・イスラム革命に発展し、現在のイラン体制が確立する。

なるほどです。

このパーレビ国王の時代、親米政権ですから当時のアメリカは「平和のための原子力」政策に基づいて原子力技術を供与した。

この核がいま問題なのだ。

なんのことはない、タネをまいたのはアメリカだったってこと。

その後、周辺のサウジアラビアなどがイラン包囲網を敷いたため、イランは核開発を進める。

怒ったブッシュ大統領(息子の方)は核開発の中止を求めて経済制裁を発令する。

その後オバマ政権は「経済制裁を解除するから核兵器の開発を制限しよう」ってことで、できたのが「イラン核合意」だった。

これをトランプがちゃぶ台返ししたのが現在のイランを取り巻く情勢だ。

こうしてみると、あっちいったりこっちいったりで、アメリカに翻弄されてきたのがイランなのだ。

なかでもトランプさんは、オバマさんの「レガシー」をなんでもかんでも壊したくて「イラン核合意」から一方的に離脱したわけ。

池上さんは「これが今回の背景にあります。イランがアメリカに不信感を抱く理由がわかります」と締めくくってますけど、まことにごもっともだ。

ニッポンの対韓政策もそうだけど、感情的、情緒的な外交政策を進めるトップがいると、ロクなことがないのだと申しておきましょう。