グローバルネイチャークラブのガイド日記

グローバルネイチャークラブ(旧グローバルスポーツクラブ)のガイド仲間が観察した伊豆大島の自然の情報を中心にお届けします。

大島の下人は皆亀トの占を為るなり

2010年07月09日 | 歴史・文化
 昨夜から伊豆大島の南部は、かなり激しく雨が降っています。先ほど、新島・神津島には、大雨注意報がでていました。国内では、九州で被害が出ているそうです。災害が大きくならないことを願います。

 先週、夜中に日記でウミガメのことを書いていましたが、丁度その頃、近くの浜に亀が上陸して産卵していきました!



 翌朝(3日)、確認した産卵巣です。

 野田浜に上陸した母ガメのように、登った足跡と下った足跡が交差しています(トップ画像)。
足跡の幅を測ると1メートル近くの大きな個体であることが分かりました。

 大きな個体は、産卵巣も深いので、確認に手間取ります。確認できたら元通り埋め戻し、保護柵をして、温かく(笑)見守ります。

 実際に温かく卵塊を保護しているのは、太陽と砂浜の砂ですね・・・。



 上陸・産卵を調べて保護する他に、漂着するウミガメについても調べています。大島の場合、ほぼ100%死体での漂着です。
 クジラ類の場合、ストランディングを「漂着」とも「座礁」とも訳す場合があるようです。生存率が高いからでしょうか? ウミガメの場合、北の地方では、冬場に衰弱して漂着するものがあるようですが、大島での漂着は死体を確認するばかりです(涙)

 今年、甲長(こうちょう:甲羅の長さ)30センチに満たない小さなウミガメの漂着がありました。観察力の鋭い、わがガイドチームの同志が見つけてくれました!

(死体をなぜか嬉しがってない!? 見つけてくれたことを喜んでるだけですよ~ッ)

 下の画像は、その背甲です。漂着してから甲羅の一部が剥がれてしまったようです。
(死体なので、小さな画像にしておきます。)



 ウミガメの一種、タイマイです。ベッコウガメなどとも呼ばれる、甲羅をベッコウ細工に使うカメで、大島近海では珍しい種類です。たまに、イセエビ漁の網などに掛かることがあるようです。

 先週、「亀ト」という占いのことを少し書きましたが、亀の甲羅を使った亀トの始まりは古代中国の殷王朝時代(BC1401~1122年)とされ、占いの結果を書いた甲骨文字が漢字へと発展進化したとか何とか、歴史で勉強したような記憶があります。(かすかに)

 河南省安陽市にある、当時の都の遺跡から出土している亀甲は、主にカメの腹甲(ふくこう:おなか側の甲羅)を使っていて、内陸なのでウミガメではありません。

 この古代中国の亀トは、甲羅に錐(きり)で穴をほり、焼いた木の棒をもみこむ。その時に生じるひび割れの形「兆」には、120の型があり、それを見て吉凶を判断したといいます。占いの方法としては最高の地位をしめたとのことですが、大陸では紀元前にその歴史をほぼ終わらせているようです。

 古代の日本でも占いが重んじられ、基本とされたのは骨を焼いて占う太占(ふとまに)でした。
『古事記』(712年)には、鹿の肩骨を波々迦(ははか)で灼いたとあり、ウラミズザクラ・コンゴウザクラなどと呼ばれる木を使って焼いていたようです。

 「伊豆国大島の下人は皆亀トの占を為るなり、堀河院の時(836~891)の島の下人三人を上洛召て占せらる」と、先週予告編にも書いた時代のことです。

 下人・・・下々の民衆がやっていたことでも、この占いが当たったのでしょうか?

 亀トは、いつ頃に始まったのか、あるいは、伝来したのか分かりませんが、「王朝時代を通じて占いが重んじられ、亀トが神祇官(じんぎかん)の管拳となったのに対し、陰陽寮(おんようりょう)の管拳に易占があり、官ト・寮占と併称された」と記されたものもあります。
 
 平安時代初期の『延喜式』という書物(927年)には、伊豆5名・壱岐5名・対馬10名、計20名の亀トを世襲的に扱うト部(うらべ)が徴せられた、と記されています。都へ呼び集められた、ということですが5名の「伊豆」は何処だったのでしょうね。

 大朝時代この三国に「術の優れたる長者」がいて、亀トが盛んに行なわれていたようです。
   


 こちら↑は、アオウミガメの漂着体です。

 対馬・壱岐・伊豆(半島?諸島?)は、いずれも周囲が海ですので、亀トはウミガメの甲羅を用いていたのだろうと推測されます。

 そして、伊豆の亀トが最後まで残っていたのは八丈島でした。「一村に一人つ、亀トを為す者有り、卜部殿と云う」(『南方海島志』)。極秘のもとで行なわれた亀トは、中之郷と樫立村の卜部2軒で、毎年正月に1年の五穀豊熟を占っていたようですが、残念ながら、この両家とも明治18年頃までに島からいなくなり、伊豆諸島の亀トは尽きてしまったそうです。(『園翁交語』など)

 どうやら、この八丈島の亀トはアオウミガメの甲羅を使用したようなのですが、確かな種の記述は見つかりませんでした。

 それにしても、王朝時代から遥か千年以上の時を経て、明治の初めころまで伊豆諸島に亀トが伝えられていたとは驚きです!!




 海と離島とそこに生きる人々のパワーを感じます。
 
 それから、ウミガメのパワーも。


 これは、ちょっと波が高かった昨日の朝、確認した上陸跡です。
 

 


 残念ながら、硬い所でしたので、卵を産まずに戻っていました。

 (なるせ)
コメント
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