日本の政治思想史を学ぶ場合、丸山真男を読まなければまったく先には進めない。4月からの講座のために、ずっと昔読んだ本を書庫から運び出しては眺めている。
そのなかで、苅部直『丸山真男ーリベラリストの肖像』(岩波新書)を読みはじめた。この本は2006年に出版されたもので、読むのは2回目。丸山真男を読む前に彼の人となりをもう一度確認しておこうと思って読みはじめた。
丸山は、1914年生まれ、1996年に亡くなった。日本が戦争へと向かう時期に学生時代を経て学者になっている。そのプロセスを本書は書いているのだが、丸山は治安維持法違反で検挙されたことがある。1933年4月のことである。彼はただ唯物論研究会の創立第2回公開講演会に、長谷川如是閑の講演を聴きに行っただけ。それだけで捕まり、留置場に入れられた。1930年代というのは、そういう時代だ。
丸山はこの経験によって、「精神の内側に無限に踏み込んで行く日本国家権力の性格」を知る。そして戦後、こう語っている。
私は、ぬくぬくした今日の環境の中で、戦後の民主主義などは空虚なイデオロギーだとか、平和憲法なんてたわごとだとかいう、いかにもわけしりの口調をマスコミで言う人を見ると、正直のところ、いい気なもんだなあと思いますが、それにしても、戦後民主主義や日本国憲法への疑問や懐疑が出されることそれ自体は大変結構なことだと思います。もしかりに、皆さんが、戦前に、大日本帝国憲法なんて虚妄だというようなことを公然口にしたらどういうことになるでしょうか。皆さんはただちにつかまるだけではありません。おそらく一生涯、どこでなにをしていようと、国家権力によって、見えないところから皆さんの一挙手一投足をじっと監視される身になることを覚悟しなければならないでしょう。
丸山は、まさにずっと監視され続け、そして兵役にも行かされた。
丸山は警察の留置場で拷問により苦悶の声をあげる人々を知る、そして留置場から釈放される。その時丸山は「バナナ屋は相変わらず、バナナを人々の前にぶらさげてたたき売り、ゴモク屋の前には人だかりがしてみな言葉なく、ゴハンの「問題」をみつめている。そうして、本富士署の壁一つ隔てたあのなかでは、すさまじい拷問がいま行われているのだ」として、その落差を深く深く感じ取る。
苅部は、その丸山の体験を「平和な世界の裏側に、反体制分子を巧みに排除していく、権力のはたらきが蠢いていることを知ってしまった者にとっては、そのうららかな空気が、むしろ不気味な窒息感をもっとまとわりついてくる」と記す。
そして「多くの庶民が政府による宣伝を信じこみ、足なみをそろえて自由な発言を封殺する」(64頁)状況が、丸山を取り巻く。
「誰もが「國體」の神話を本気で信じていたわけではないとしても、それに対する批判を許さない空気が、社会をおおってゆく」(69頁)のである。
1930年代の戦争へと進んでいく時代状況の中で、丸山が感じたことを、ボクは今同じように感じている。1930年代と相似形の様相が、今存在している。「戦間期」!!
そのなかで、苅部直『丸山真男ーリベラリストの肖像』(岩波新書)を読みはじめた。この本は2006年に出版されたもので、読むのは2回目。丸山真男を読む前に彼の人となりをもう一度確認しておこうと思って読みはじめた。
丸山は、1914年生まれ、1996年に亡くなった。日本が戦争へと向かう時期に学生時代を経て学者になっている。そのプロセスを本書は書いているのだが、丸山は治安維持法違反で検挙されたことがある。1933年4月のことである。彼はただ唯物論研究会の創立第2回公開講演会に、長谷川如是閑の講演を聴きに行っただけ。それだけで捕まり、留置場に入れられた。1930年代というのは、そういう時代だ。
丸山はこの経験によって、「精神の内側に無限に踏み込んで行く日本国家権力の性格」を知る。そして戦後、こう語っている。
私は、ぬくぬくした今日の環境の中で、戦後の民主主義などは空虚なイデオロギーだとか、平和憲法なんてたわごとだとかいう、いかにもわけしりの口調をマスコミで言う人を見ると、正直のところ、いい気なもんだなあと思いますが、それにしても、戦後民主主義や日本国憲法への疑問や懐疑が出されることそれ自体は大変結構なことだと思います。もしかりに、皆さんが、戦前に、大日本帝国憲法なんて虚妄だというようなことを公然口にしたらどういうことになるでしょうか。皆さんはただちにつかまるだけではありません。おそらく一生涯、どこでなにをしていようと、国家権力によって、見えないところから皆さんの一挙手一投足をじっと監視される身になることを覚悟しなければならないでしょう。
丸山は、まさにずっと監視され続け、そして兵役にも行かされた。
丸山は警察の留置場で拷問により苦悶の声をあげる人々を知る、そして留置場から釈放される。その時丸山は「バナナ屋は相変わらず、バナナを人々の前にぶらさげてたたき売り、ゴモク屋の前には人だかりがしてみな言葉なく、ゴハンの「問題」をみつめている。そうして、本富士署の壁一つ隔てたあのなかでは、すさまじい拷問がいま行われているのだ」として、その落差を深く深く感じ取る。
苅部は、その丸山の体験を「平和な世界の裏側に、反体制分子を巧みに排除していく、権力のはたらきが蠢いていることを知ってしまった者にとっては、そのうららかな空気が、むしろ不気味な窒息感をもっとまとわりついてくる」と記す。
そして「多くの庶民が政府による宣伝を信じこみ、足なみをそろえて自由な発言を封殺する」(64頁)状況が、丸山を取り巻く。
「誰もが「國體」の神話を本気で信じていたわけではないとしても、それに対する批判を許さない空気が、社会をおおってゆく」(69頁)のである。
1930年代の戦争へと進んでいく時代状況の中で、丸山が感じたことを、ボクは今同じように感じている。1930年代と相似形の様相が、今存在している。「戦間期」!!