浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「適正水準の専門知識を通じて濾過する」

2014-01-26 21:17:12 | 読書
 東京大学の憲法学者、長谷部恭男について、先日言及した。

 彼は、朝日新聞が発行している『Journalism』2014年1月号に寄稿している。「憲法96条と集団的自衛権 軽はずみな考えで変えてはならない」という、長い題の文である。内容は、日本国憲法を簡単に変えてはならない、という題通りのもので、その立論は明確であり、その論理も概ね首肯できるものだ。

 「現時点での有権者団の判断は、永続する団体としての国民の利益に関する正しい結論と一致するとは限らない」という指摘は、その通りであって、だからこそ簡単に変えられないような仕組みを憲法は持っているのである。

 また、集団的自衛権についても、その「否定は、日本にとって賢明な外交上の保険として機能してきた」と正当な評価を下す。

 これらの論点については、別段問題にする気はしない。

 だが最後に、秘密保護法に関してメディアに難癖をつけているのだ。『朝日新聞』をはじめとしていくつかのメディアが反対の姿勢を維持していたことを批判しているのである。

 その結論部分が、「適正水準の専門知識を通じて濾過する」であって、つまり秘密保護法を批判するなら、「適正水準の専門知識を通じて濾過して」報道せよ、というのである。

 その具体的な反論部分がこれだ。

 特定秘密として何が指定されているのかがわからない、という前提で批判を進めておきながら、たまたま秘密に触れた一般市民が重罰を科される危険がなぜあるのか、(特定秘密であることをそもそも知らないはずなのに、故意の立証が可能なのか)、最高裁の判例の趣旨を敷衍しただけの文言である「著しく不当な[取材]方法に関して、それが曖昧だという批判がどれほどの意味を持つのか、(それとも、正当な取材方法が何かを法律の条文でいちいち規定してもらわないといけないほど、ジャーナリストは子どもなのか、同様の制度を備えたアメリカ合衆国で、例えば9・11テロについて、どこで誰がどのような情報を得てテロを阻止しようとしていたかを克明に記したノンフィクションが多数出版されていることを、どう説明するのか、(日本のジャーナリストにそれほどの実力はないということか)と首を傾げざるを得ない批判論が、毎日繰り返されていた。

 ボクは、長谷部のこの反論を読んでいて、まずおめでたい人だなあと思った。大日本帝国憲法下、治安維持法を含めて治安立法がたくさんあったが、その運用は法律の条文通りになされていたと思っているのだろうか。そこに拡大解釈はなかったか、法律に基づかない弾圧や抑圧はなされなかったか、そういう事例は無数にある。たとえば政治学者・丸山真男は逮捕されて豚箱に囚われの身となったが、それは適正であったのか。
 長谷部には、そういう歴史の知識がないようだ。

 「著しく不当な取材方法」であるかどうかをまず判断するのは、警察権力であろう。それが裁判になって無罪となったとしても、取材者は莫大な損失をこうむる、そういう想像力はないのだろうか。

 長谷部の憲法学は、国家に対する無原則な信頼が基盤になっているようだ。19世紀の政治家であり思想家であったアクトンは、「権力は腐敗する、専制的権力は徹底的に腐敗する」という重要な格言を残しているが、長谷部は国家権力を信じて疑わないようだ。

 長谷部には、この同じ号に掲載されている、保阪正康や藤田博司の文、そして昨年12月号の特集「国家・報道・自由」に関わる諸論考を読んで欲しいと思う。

 なお、長谷部は、9・11に関するわけのわからないことを記しているが、9・11は、起きてしまっているのだ。紹介されているノンフィクションは、たった一冊。それも英文の本だ。「俺は読んだぞ」とでも言いたげな紹介の仕方。

 しかしボクは、長谷部にこそ、「適正水準の専門知識を通じて濾過する」ことが必要だと思う。
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学問の意味

2014-01-26 12:26:39 | 読書
 『丸山真男回顧談』上(岩波書店)を読み終えた。この本を読むのは2回目。買ったときに読み、そして今回。

 ボクが何らかの研究をするとき、常に「現在」を見据える。「現在」がいかなる課題を持っているかを考え、そして研究テーマを決める。

 今ボクの頭にある主要なテーマの一つは、「国体論的国学」である。これを撃つこと、である。この「国体論的国学」は、戦時期に大きな力をもった政治思想である。丸山真男が『日本政治思想史研究』(東大出版会)も、これと対決すべく研究したものであった。

 丸山は、こう語る。

 いまみたいな時代に学問するということは非常に難しい。そういう時代だということですね。つまり、対決するものがないわけです。時代がそうなっている。一応なんでも言えます。とくに学問的論文ならなんでも言えるでしょう。学問的立場もいろいろあって、支配的な主張といったようなものはあまりない。要するに、ただ対象を研究するというだけになる。とくに社会科学をやるのに非常に難しい時代になっているのではないですか。

 しかし、今は「対決」すべきものはある、とボクは言おう。おそらく丸山も今生きていたら、同じことを言うだろうと思う。ただし、問題なのは、その「対決」すべきものの正体が不明確とでもいおうか、きちんとした形をもっていないということだ。「政治思想」などと呼べる代物を、「対決」すべき相手はもっていないのだ。

 子どもの頃、親に連れられて、怖い映画を見に行ったことがある。それは「液体」的なものが人間を溶かしていくというものだ。今は、その「液体」的なものが、政治的な動きの背景にあるようだ。その「液体」のなかには、理想とか希望といったものは皆無である。そうではなく、憎悪とか不定型な憤怒とか、いらだち、貧しさ、孤立、不満など、現在の世の中に対する否定的な感情、それがある。そうした感情を抱いている者たちと、現政権を構成している人々との間には共鳴板があるようなのだ。

 理性のトンネルをくぐり抜けることなく奔出する情動、それらは今はネットの世界に一応は閉じ込められてはいるが、その堰を取り除こうとする力が働いている。その力とは、「積極的平和主義」であり、「集団的自衛権」である。その先に何があるのか。

 丸山はこうも語る。

 ファッショというのはどこでもそうで、軍部がそうだけれど、厳格な実定法主義の立場からみたら許しがたい勝手なことをやる。あとで、それを法律で正当化するけれども、その時々においては法を破っているわけです。

 ファッショということばが、どうしても浮かび上がってくる。
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「みんな」で行けば・・・

2014-01-26 11:13:46 | 政治
 日本人から「判官贔屓」が消えつつあるというのは、森達也の本にあった。日本人は、強いほうになびくことが多くなっているようだ。

 「みんなの党」も。

 何か偉そうなことを言っていても、結局は権力とつながりたいのだ。

 以下は、『東京新聞』の記事。


首相、みんなの党へ政策協議提案 渡辺氏「自民と連携も」

2014年1月26日 00時19分

 みんなの党の渡辺喜美代表は25日、山梨県昭和町で記者団に、安倍晋三首相から政策協議入りの提案があったことを明らかにした。首相としては、集団的自衛権の行使容認問題などが念頭にあるとみられる。これに先立ち渡辺氏は党会合で「のめる政策は協力する。自民党と組むことだってあり得る」と述べ、政策ごとに政権側と積極的に協調する姿勢を示した。

 渡辺氏によると、首相から24日夜に「政策に関する戦略対話を進めよう」と電話があった。渡辺氏は「私が使っている『責任野党』の言葉を施政方針演説で使ってくれてありがとう」と謝意を示し、応じる返事をしたという。
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それでも支持率50%

2014-01-26 09:02:50 | 政治
 ほとんどの国民に関心のない平和や人権という観点からではなく、純粋に経済的な関係から見ても、安倍政権は国民生活を顧慮することもなく、ひたすら庶民からカネを巻き上げようとしている、サラリーマンが天引きされる金額をきちんとみるようになれば、これは大変だと思うだろう。

 いや思わないかもしれない。国民は、政府にとても「理解」があるから。といっても、本当に「理解」しているわけではなく、政府の宣伝をNHKのニュースなどを通して信じ込んでいるからだ。

 それにしても、この『中日新聞』の社説子が指摘する如く、「程がある」といいたくなる。まあ、安倍首相は、「世界で一番企業が活動しやすい国をつくる」といってるから、その通りにしようという政策なのだろうが・・・・企業がもっとも簡単に堂々と儲けることができる国作り、なのだろう。

法人税減税 企業優遇にも程がある

2014年1月25日

 安倍首相が法人税の税率引き下げ検討を指示し、減税先行も許容する考えを示したのは疑問だ。家計に増税ばかり強いるのとあまりに対照的である。法人税が抱える問題にまずメスを入れるべきだ。

 日本の法人税の実効税率(国税と地方税の合計)は新年度から東京都で35・64%と、アジア近隣諸国や欧州諸国の20~30%台に比べ、表面上は確かに高い。経済界などが国際競争力や外国からの投資を呼び込むために10%程度下げるべきだと要望している。

 だが、日本の法人税にはさまざまな軽減措置があり、それを温存したままなのはおかしい。

 研究開発や設備投資などで実質的に税負担が軽減される租税特別措置は三百七十余りある。総額は一兆円近くで、法人税の2%に相当する額だ。赤字決算となれば、その年だけでなく、赤字額を繰越欠損金として将来の課税所得と相殺できる。不良債権処理で大赤字を出した大手銀行が何年も納税しなかったり、会社更生法を適用した日本航空は九年間で約四千億円の法人税を免れる。

 こうした優遇措置を踏まえれば、実際の法人税率は20%台前半との指摘もある。さらに、個人が節税目的で会社を設立し、赤字にして法人税を回避しながら、種々の経費を計上して納税額を低くする、いわゆる「法人成り」の問題もある。赤字法人は七割を超えており、課税も検討すべきだろう。

 実効税率が高止まりしているのは、地方税分(東京都の場合11・93%)が高いからで、地方を含めた幅広い議論も欠かせない。

 何より納得がいかないのは、企業ばかりを優遇する姿勢である。震災復興のための復興増税は企業だけ前倒しで廃止し、個人の所得税には二十五年間にわたって続く。安倍首相は「企業の収益が上がれば、賃金が上がり、それが消費増となって経済の好循環が生まれる」と説くが、本当にそうか。企業がため込んだ内部留保(現預金)は二百五十兆円を超える。経済規模が日本の二・五倍の米国では百七十兆円程度で、いかに日本企業が賃上げや投資に回さず、内部留保を積み上げたかがわかる。

 今後、消費税増税や物価上昇で消費の落ち込みが懸念される。企業支援を通じた賃上げという不透明な手段よりも、所得税減税の方がよほど確かではないか。あるいは内部留保への課税も検討すれば賃金に回るかもしれない。

 もっと知恵を絞ってほしい。
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