浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「満洲国化」

2014-01-12 19:21:51 | 読書
 一昨日の『朝日新聞』に山室信一氏のインタビューが掲載されていた。山室氏には『キメラー満洲国の肖像』(中公新書)、『思想課題としてのアジア―基軸・連鎖・投企』(岩波書店)等の著書がある。特に『憲法9条の思想水脈』 (朝日選書)は、現在的課題に照応している。これは必読である。

 さてこのインタビューの題は「「満州国化」する日本」である。第二次安倍政権が成立してから1年、山室氏は「日本の満州国化」だと指摘する。「満洲国」は、大日本帝国の傀儡国家であった。現在の日本は、アメリカの傀儡国家化してきている、と。

 安倍の「戦後レジームからの脱却」は「国家主導体制をつくること」をめざしている、それは安倍の祖父・岸信介と発想が似ているという。現在小選挙区制により、「自民・公明という一元的な権力で全て決められる、満州国と同じシステムが今」できあがった、というのだ。

 確かにマスメディアは、「決められる政治を!」と叫び続けた。1920年代の政党政治に対する不満が、国民のなかに「軍の統率力や官僚の統制」への「期待」をつくりだした、それと同じような情景が、今の日本にある。

 問題はどんなことが「決められる」のか、である。今、安倍は「自分の核がないから、官僚やブレーンが持ち込んでくるものをバキューム効果のように取り込んでいく」、だから官僚や財界などにとって、安倍政権は最高の政権なのだ。

 山室氏の本を読んでいるボクとしては、しかし、このインタビューのまとめかたはとても下手だと思う。おそらくもっと有益なことを語っていただろうと思う。インタビュアーは、山室氏の著書をあまり読んではいないのではないか。

 山室氏の著作は、重厚で、緻密である。
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丸山真男から学ぶ

2014-01-12 17:06:55 | 読書
 丸山真男の本は、たくさん持っている。『丸山真男集』全巻、『丸山真男座談』全巻など。時間が出来たら読もうと思っていたのだが、たとえ時間ができてもきっかけがないとなかなか読み始めない。やっとそのきっかけができて、いろいろ考えながら読んでいる。

 「超国家主義の論理と心理」のなかにこういう記述がある。

 「私事」の倫理性が自らの内部に存せずして、国家的なるものとのとの合一化に存するというこの論理は裏返しにすれば国家的なるものの内部へ、私的利害が無制限に侵入する結果となるのである。(『増補版現代政治の思想と行動』16頁)

 もちろん無制限に侵入する「私的利害」はどんな者たちのものかというと、それはもちろん支配層のそれであろう。被支配層の「私的利害」なんぞは一顧だにされない。被支配層は統治されるだけの存在である。折に触れて出されてくる、支配層からの心ないことばを想起すれば明らかであろう。
 支配層はおそらく「倫理性」などは持ち合わせてはいない。支配層はみずから国家を背負っている気概を持っているが故に、みずからの「私的利害」は同時に「公的」利害なのである。「私事」を「国家的意義」と結びつけ、「私的利害」を堂々と追求するのだ。だから新自由主義的な発想は、本当はわが日本ではきわめて適合的なのである。

 雇用確保のためといいながら、自治体から企業立地の補助金をたんまりせしめ、技術開発をすすめないといけないといいながら補助金をもらう。

 災害があっても、災害の援助金は実際に災害に遭った人々には涙金だけが渡され、大金は法人たる企業にたんまりと渡される。東日本大震災の被災地では、どういうところに公のカネがつかわれているかをみれば一目瞭然である。

 こういう日本のあり方は、変わってはいない。

 丸山がこの論文に書いたのは、戦時体制についてである。だが、それは現在にも十分に当てはまる。

 なぜか。変わっていないからだ。いや変わる可能性は、「戦後」の歴史のなかに存在はしたが、その可能性は可能性のままで終わったのだ。
 
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安倍政権がめざす「日本」

2014-01-12 08:33:05 | 読書
 北朝鮮の国家体制は、強い非難にさらされている。あの国に生まれなくてよかった、と多くの日本人は思っていることだろう。だがボクは、北朝鮮の国家が、1930年代を経て完成した戦前の日本国家(「超国家主義」)の姿と相似形に見えて仕方がない。

 その戦前の日本国家のようにしたい、と考えているのが安倍政権だ。「日本を取りもどす」ということばの「日本」は、戦時体制下の日本である。

 ボクは、丸山真男の「超国家主義の論理と心理」を読んだ。この文は何度か読んでいる。『増補版現代政治の思想と行動』(未来社)に収載されている論文で、1945年の敗戦によって崩壊した日本国家、これは安倍が目指している国家でもあるが、それを分析したものだ。ボクの持っている本は1973年の59刷。今はおそらく100刷を超えているのではないか。丸山の代表的な本である。

 ボクは、維新によって創作された近代天皇制国家の基本原理である記紀神話、それが強調される時代は「危険」な時代であることを立証しようとして、丸山を読みはじめているのだが・・。

 さて「超国家主義の論理と心理」を読んでいて、やはり現在の政治状況との相似を感じざるを得なかった。

 近代国家は、基本的には「中性国家」として、「思想信仰道徳の問題は「私事」としてその主観的内面性が保障され」る、つまり国家は「思想信仰道徳」に干渉しないというのが原則なのである。だが、近代日本国家は天皇制を導入することによって「権力と権威」が一体化し、そうした「私事」(何が「真善美」であるのか)を国家が決定する、「何が国家のためかという内容的な決定をば「天皇陛下及天皇陛下ノ政府ニ対シ」(官吏服務規律)忠勤義務を持つところの官吏が下す」こととなり、「我が国では私的なものが端的に私的なものとして承認されたことが未だ嘗てない」ということになる。

 日本国憲法により、天皇は政治的実権をもたない存在とはなったが、しかし「支配層の日常的モラルを規定しているのものが抽象的法意識でも内面的な罪の意識でも、民衆の公僕観念でもなく、このような具体的感覚的な天皇への親近感である結果は、そこに自己の利益を天皇のそれと同一化し、自己の反対者を直ちに天皇に対する侵害者と看做す傾向が自ずから胚胎する」、そうした思考は「一切の特権層のなかに脈々と流れている」。

 そのような思考は、自民党の憲法草案に明確に記されている。

 道徳を教科として導入する、記紀神話を中心とした戦前の国定教科書まがいの国家主義的教科書が文部科学省や教育委員会の後援を得て各学校で使用されるようになるなど、今また「私事」や「学ぶ内容」を国家が決定して、それを子どもたちに押しつけようとする、そういう状況がある。

 「戦後」は、強引に消されようとしている。安倍政権は、その速度をあげている。

 現代日本は、再びガラパゴス化しようとしている。

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