浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】矢野治『伊藤野枝と代準介』(弦書房)

2014-01-04 22:35:53 | 読書
 この本は、『西日本新聞』の連載をまとめたものである。伊藤野枝の育ての親ともいうべき代と野枝との関係を記したものであるが、徐々に筆致が変わっている。著者は、最初は野枝に対してあまり快く思っていなかったようだ。しかし連載を重ねていくうち、次第に野枝が好きになっていく。それがよくわかる。野枝は、大杉と共に、やはりとても魅力的な人物なのだ。

 今まで野枝と大杉に関わる本を読んできているが、本書は代との関わりを中心に置いていることから、野枝の生地である福岡からの視点による描かれているといってよいだろう。野枝は、『青鞜』はじめ、東京でいろいろな事件を巻き起こすが、根は福岡にあることを感じる。子どもを産むといえば福岡に帰り(全員ではないが)、金がなくなれば叔父である代に頼るなど、福岡との太い線が常に一本つながっていた。

 著者は、野枝の従姉千代子(といっても義理の従姉となる)の孫と結婚し、代準介が遺した自伝的手記「牟田乃落穂」をもとにして、野枝と代との関係を跡づけていく。当初は野枝の傍若無人さにあきれかえっているペンが次第に野枝と大杉の魅力に吸い寄せられ、野枝と大杉の生の軌跡を愛情を持った文を書くようになる。
 あたかも、代準介が大杉を知ってから、あるいは大杉の周辺にいた人々を知ってからかわっていったように。

 伊藤野枝と大杉の一般的な「伝記」では、代は脇役である。だが、野枝の生が常に福岡とつながっているということは、生家ではなく、代とつながっているのだ。このつながりを記さない「伝記」は、不十分であることがよく分かる本となっている。

 おそらく、野枝を理解するためには、必ず読まなければならない本であるといえる。
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【本】石川公彌子『〈弱さ〉と〈抵抗〉の近代国学』(講談社)

2014-01-04 21:04:25 | 読書
 「近代国学」という場合、その対象となる人は、戦時下の柳田国男、保田與重郎、折口信夫である。柳田と折口は民俗学者。民俗学は「近代国学」というわけである。

 詳細な紹介はしない。ただこの三人に共通するのは、「弱さ」であり、「抵抗」であるというのだ。読んでいて、折口はそうかもしれないと思ったが、保田については、そうは思えない。保田の言説により、戦争へと積極的に臨んだ青年たちがいたはずだ。

 折口については、今までの既成観念を正された気がする。

 この本は、国学に関する講座のために読んだもの。読むことを薦めるような本ではない。


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「記者自身の”感情”や”思い”がほとんど迫って来ない。」

2014-01-04 11:28:33 | メディア
 NNNドキュメンタリーを長年担当していた水島さんの、1月3日の記事その他に関する点検。何といっても、トップランナーは『東京新聞』。「調査報道」というジャーナリズムの王道を堂々と走っている。

 『朝日新聞』の特徴は、水島さんが書いているように「記者自身の”感情”や”思い”がほとんど迫って来ない。」というもので、これは社説などでも同様だ。『朝日新聞』の記者は、当事者意識がなく、また感性が干からびているのか、文に力がない。どうしてもこれを伝えるのだという気概が、どの記事を読んでも、ないのだ。『毎日新聞』には、時たまそうした気概を感じるものがあるのだが、『朝日』はそれが感じられない。

 『朝日』はなぜそうなのか、を検証すべきである。水島さんは、「上から目線」だという。ボクも同感だ。『朝日』の社説も「上から目線」。オレにはあまり関係はないけれども、いちおう問題となっているから書いてやるか・・・という感じ。

 どうしても書いておかなければならない、どうしてもこの問題をとりあげて社会に訴えなければならない、というある意味の「衝動」がない。だから、「書いてやる」ということになる。

 昨日のブログで紹介した『東京新聞』の記事は、みずからが調査したものを、どうしても国民に伝えなければ、という「衝動」がある。そういう記事を書ける新聞社にいたほうが、ジャーナリストとして生き甲斐があるというものだ。

 ちなみに『中日新聞』東海本社の元旦のトップ記事は、浜岡原発をめぐっての中部電力と旧浜岡町との汚いカネの流れの「調査報道」だった。日本のどこでも行われている、強い者が札束をちらつかせ、あるいは札束で頬を撫でて、原発や基地などを建設していく光景。そこには、その札束に目を輝かせて、夏の夜の街灯に群がる蛾のように、人々が集まっていく。ボクには醜悪としかみえない姿だ。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20140103-00031242/

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