浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

変わらぬ日本

2014-01-13 20:44:03 | 読書
 ボクは丸山真男の「「現実」主義の陥穽」(『現代政治の思想と行動』所収)を読み終えた。さすが丸山真男である。この本を読み続けて、さすが!と何度も叫び出したくなった。現実的課題とその言説がきちんとかみ合い、読む者に意欲と知力を与えてくれる。

 さてこの論文を紹介しよう。この論文は、1952年に書かれた。しかしこの論説の主張は、現在においてもまったく色あせていない。ということは、1952年の政治状況と現在とが同じ、つまり進歩していないことの証左ということになる。

 まず丸山は「現実」の三つの特徴をあげる。一つは、現実の所与性。「現実とは本来一面において与えられたものであると同時に他面で日々造られていくものですが、普通「現実」というときはもっぱら前の契機だけが全面に出て現実のプラスティックな面は無視されます。いいかえれば現実とはこの国では端的に既成事実と等置されます。現実的たれということは、既成事実に屈服せよということにほかなりません。現実が所与性と過去性においてだけ捉えられるとき、それは容易に諦観に転化します。「現実だから仕方がない」というふうに、現実はいつも、「仕方のない」過去なのです。」(172頁)

 この諦観が、ファシズムへの抵抗力を内側から崩していったと、丸山は指摘する。

 もう一つは、「現実の一元性」。「現実の多元的構造はいわゆる「現実を直視せよ」とか「現実的地盤に立て」とかいって叱咤する場合にはたいてい簡単に無視されて、現実の一面だけが強調される」、1930年代「ファッショ化に沿う方向だけが「現実的」とみられ、苟もそれに逆らう方向は非現実的と考えられたわけです」。

 三つ目。「その時々の支配権力が選択する方向がすぐれて、「現実的」と考えられ、これに対する反対派の選択する方向は容易に「観念的」「非現実的」というレッテルを貼られがちだ」ということ(175頁)。

 だから丸山は、こう主張するのだ。

 私達の言論界に横行している「現実」観も、一寸吟味してみればこのようにきわめて特殊の意味と色彩をもったものであることが分かります。こうした現実感の構造が無批判的に維持されている限り、それは過去においてと同じく将来においても私達国民の自発的な思考と行動の前に立ちふさがり、それを押しつぶす契機としてしか作用しないでしょう。・・・私達は観念論という非難にたじろがず、なによりもこうした特殊の「現実」観に真っ向から挑戦しようではありませんか。そうして既成事実へのこれ以上の屈服を拒絶しようではありませんか。そうした「拒絶」がたとえ一つ一つはどんなにささやかでも、それだけ私達の選択する現実をヨリ推進し、ヨリ有力にするのです。これを信じない者は人間の歴史を信じない者です。

 現実を一面的に見るのではなく、多面的に見ることにより、支配権力の主張する「現実」とは異なる現実を見出し、その現実を真に現実たらしめるために、力を添えていくことが、今も求められている。60年も前の丸山の主張は、今を生きるボクたちを鼓舞する。果たしてそれは良いことなのかどうか、いやそんなことを考えずに、とにかく支配権力の「現実」に挑戦していくことが必要だと思った。
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世論はNHKのニュースがつくりだす?

2014-01-13 16:35:52 | メディア
 政府の宣伝は、ほんとうによく行き届いている。安倍首相、テレビによく出ているし、NHKなんか政府の政策を何の批判的視点もなく垂れ流しているから、こういう世論調査の結果は、あるいみ当然である。

 こうして、「戦争」にいたる「水路」は作られていく。マスメディアはその水路のルートを掃き清めている。


JNN世論調査、安倍内閣支持率が6割台に回復


 1月の安倍内閣の支持率は前の月と比べて7.9ポイント上がって62.5%となり、6割台に回復したことが、JNNの世論調査でわかりました。

 調査は、ご覧の方法でこの土、日に行いました。

 安倍内閣の支持率は、「支持」が前の月に比べて、7.9ポイント増え62.5%となり、わずか1か月で6割台に回復しました。

 また、政党支持でも、自民党が前の月と比べ5.2ポイント増え、35.5%となりました。

 次に、年末に安倍総理が靖国神社を参拝したことについて、どう思うか尋ねたところ、「良くなかった」とした人が、「良かった」とした人をわずかに上回りましたが、賛否は二分しました。

 そして、なぜ、そのように思うのか、理由を聞いたところ、「良かった」とした人の62%は、「首相が戦争犠牲者を慰霊するのは当然だから」を挙げ、「良くなかった」とした人の70%は、「外交的な配慮に欠けるから」を挙げました。

 さらに、靖国神社とは別に無宗教の国立追悼施設をつくるべきかどうかを尋ねたところ、「つくるべき」と「つくるべきではない」が拮抗しました。

 次に、沖縄県のアメリカ軍普天間基地を県内の辺野古地区に移設する政府方針について賛否を聞いたところ、賛成が43%で、反対を13ポイント上回りました。

 先月末に沖縄県の仲井真知事が辺野古移設をめぐり、政府の埋め立て申請を承認した判断については、「評価する」が53%で、「評価しない」を大きく上回りました。

 さらに政府が、沖縄の負担軽減策の一環として、沖縄に配備されているオスプレイの訓練を県外に移転することを検討していることについて、沖縄県以外の地方自治体は受け入れるべきかどうか尋ねたところ、「受け入れるべき」が64%でした。

 このほか、東京都知事選について、争点として何を重視して投票すべきか尋ねたところ、「福祉政策」27%、「防災対策」25%に次いで、22%が「原発政策」を挙げ、「東京オリンピック」と答えた人は12%にとどまりました。(13日02:29)

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また再び

2014-01-13 15:52:24 | 読書
 『東京新聞』の「論説室から」の半田氏の文。

あいまい規定の防衛大綱    2014年1月13日

 安倍政権が年末に閣議決定した日本防衛の指針「防衛計画の大綱」。意味不明の「グレーゾーン」という言葉が七回、「シームレス(継ぎ目がないこと)」が五回登場する。

 ふたつ合わせて、略すとこんな言い方になる。「グレーゾーンの事態にシームレスな対応をする」。理解できる人がいるだろうか。文中に「平時でも有事でもないグレーゾーン」とあるが、法的には自衛隊に防衛出動が命じられる有事か、それ以外の平時しかない。その中間のグレーって、どんな事態だ。

 なし崩しの自衛隊出動を連想させる「シームレスな対応」もおかしい。平時から有事に移行するには首相が国会の承認を得て防衛出動を下命する必要がある。今後は状況次第で現場指揮官が判断するのだろうか。

 新大綱からは中国への対抗意識が色濃く読み取れる。尖閣諸島をめぐり緊張が高まる事態をグレーゾーンと珍解釈して、臨機応変に対応すればよいというのでは、シビリアンコンロールを放棄するのに等しい。

 新大綱には「積極的平和主義」も登場した。憲法の平和主義とはまるで違う「武力行使もあり」の考え方だ。特定秘密保護法でみられたように安倍政権はあいまい規定がお好きだ。目的や命令に解釈の幅があってはならない軍事にもかかわらず、この書きぶり。なぜあいまいにしたのか意図が疑われ、危険がにおう大綱といわれても仕方ない。 (半田滋)


 今ボクは『現代政治の思想と行動』を読んでいる。昔読んだときには、「過去」のことについての分析だと思っていた。だが今読み返すと、まさしく現在のことを分析しているのではないかと思う。それほどまでに、1945年を挟んでも、日本人は、日本の支配層は変わっていないということだ。
 今読んでいるのは「軍国支配者の精神形態」である。

 そこには、戦争を指導した者たちの精神が述べられている。共通するのは、責任回避である。彼らは責任をまったく感じない。なぜか。誰も主体的に決断したのではなく、「つくった」状況ではなく、「つくられた」状況の流れるままに、指導者たちは、あたかも「こっくりさん」によって決められたように、開戦の方向に歩んでいったのである。丸山は、「非計画性こそが「共同謀議」を推進せしめた」のであって、「ここに日本の「体制」の最も深い病理が存する」という。

 上記の半田氏の文を読むと、またぞろ同じ事態が生じてくるのではないかと思ってしまう。「現場指揮官」がある事態を招いてしまう、するとその「事態」をそのまま追認して、その流れに抵抗することなく、その「事態」が赴く方向に自覚することなく加担していく。誰も決断せず、次々と人々がその流れに飛び込んでいく。その結末を迎えたとき、関係したものは誰もそうしようとは思わなかった、と答えるだろう。

 だが、実際は、そう流れるように、水路はつくられていたのだ。だが、水路と水の流れは異なると支配者は思っている。上記の例でいうなら、「防衛大綱」が水路だ。そこにはあいまいな言葉がちりばめられている。一定の状況が出現したら、こう流れるように、ということで、たとえば陸上自衛隊のあり方も訓練の仕方も、尖閣をめぐって武力衝突に至った場合のことを想定してつくられてきている。衝突が起きてからの事態は「水の流れ」だ。水は勝手に流れていく、と彼らは考えるのである。

 丸山は「自ら現実を作り出すのに寄与しながら、現実が作り出されると、今度は逆に周囲や大衆の世論によりかかろうとする」と記す。

 「やろうと思ってやったんではない、そういう事態が起きたから仕方なくやったんだ・・・」

 原発事故も同じ。あれも誰も責任をとらない。日本人の心性は変わっていない。すべての社会的事象は、「生成する」のである。
 
 今、安倍政権は、危険な水路を次々に建設している。
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