浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

本を読むこと

2015-03-13 09:29:12 | 
 自分の部屋のカーテンが古くなったので、新しいものを買ってきた。しかし、取り外して新しいカーテンを取り付けることができない。机の上には、本が積み重なり、そこに至るまでの床の上も本が積まれている。したがって、カーテンを取り付けるためには、部屋の片付けをしなければならない。

 新しい課題ができると、それに関係する本を次から次へと買う。前にも記したが、課題に関する本をたくさん読み、自らの脳に蓄積すると、いろいろ新しいことを思いつく。今までもそうしてものを書き、人に話してきた。ただ、年齢が年齢なので、昔は読んだ本の内容をある程度記憶していたのに、最近は忘れることが多い。しかし、なぜか人に話しているときに、そういえばこういう本にこういうことが書いてあったと思い出すことがある。人間の知能というのは不思議な世界である。

 街の書店が次々と閉店していくなか、書店主から最近皆さん本を買わなくてというぼやきを何度か聞いてきた。

 電車の中でも、活字に目を落としている人はほとんどいない。スマホをじっと見ている。しかし、本を読むことはとても大切だ。

 「ネット時代だからこそ、本を読め」という文がある。

 http://lite-ra.com/2015/03/post-938.html
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教育委員会のこと

2015-03-12 08:33:59 | 社会
 大阪府の教育長・中原徹という人物が辞任するという。当然の所業である。この人弁護士だというが、人権というものをまったく理解できていない、むしろ敵視しているようだ。また人格も問題ありだ。ふつうの人間関係ではつかわないようなことばをつかう。顔も、冷酷な感じ。
 その中原については、下記のブログをよんでもらいたい。もとはといえば橋下徹大阪市長が呼んだもの。なるほどピッタリの友人関係。

 http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/834951a7039ad5c32ee94dbcd7f6cc5e

 さて、静岡県でも県教育長人事で問題が起こっている。教育委員会制度が変更され、教育委員の一人が教育長になる。今までは、教育委員会事務局トップの教育長と教育委員会の長とが別の人だった。基本的には、教育行政は教育長を中心とした教育委員会事務局が行う。
 この教育委員会事務局は、教育行政を一手に担っていた。基本的には、都道府県の教育委員会事務局は文科省直轄であった。教育次長は、長い間国からの官僚が就任していたし、また教育委員会事務局から文科省に出向する者もいた。

 静岡県の川勝知事は、みずからと気心が知れた人物を教育長(新しい制度では、教育長は教育委員長でもある)に就任させようとしている。もと県立大学教授、高木桂蔵氏である。過去の業績で評価できるものもある。氏は、『抗日朝鮮義勇軍の真相  忘れられたもうひとつの満州』を翻訳している。これはよい。
 
 しかし、その他の業績は、よくわからない。最近は風水に凝っているようであるが、この中にはあれっと思うようなことも言っている。

 たとえば毎年5月の浜松祭では、中田島海岸でたこ揚げが行われるが、この会場選びが風水上良いというのである。しかし浜松市民は知っているのだが、ここで行うようになったのは、そんなに昔ではない。静岡大学工学部の南に位置するところでやっていたのだ。高木氏が静岡に来てからはここでやっているから、その前はどこでやっていたのかなんて考えなかったのだろう。そこが狭いところだったから移転したまでだ。
 とても学問的だとは思えない。

 それ以外のことは知らないが、教育について見識があるという噂も聞かない。なぜこの人を川勝知事は任命しようとしているのか不明である。

 なお、きょうここに書いた人物は皆早稲田大学の卒業だ。早稲田が輩出する人間は玉石混淆。

 
  

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安倍首相と原発事故

2015-03-11 22:18:34 | 政治
 以下の文を読んで欲しい。

http://lite-ra.com/2015/03/post-933.html

http://lite-ra.com/2015/03/post-934.html
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自然は支配層に味方する

2015-03-11 22:18:15 | 政治
 今日は、東日本大震災から4年。

 災害には階級性がある。東日本大震災がおきたとき、そして福島の第一原発が大事故を起こしたときの内閣は、一貫して原発推進政策を展開していた自民党内閣ではなかった。もし安倍内閣であったなら、おそらく事態はもっともっと悪化し、取り返しのつかない状態になっていただろう。安倍内閣には、緊急事態を収拾する能力はないからだ。

 だが、その時自民党内閣でなかったということが、自民党を救った。自然災害は、支配層を守った。

 そして東日本大震災は、人口減少、過疎が進む地域を襲った。豊かな人々が居住する東京ではなかった。

 地域の歴史を調査するとき、その地域の名望家の家を訪問することが多い。財産を持ち、家の歴史を背負い、地域の信頼と名誉とを集めてきた家である。そういう家に、歴史の史料はある。

 だが、そうしたお宅には居住者がいない。だいたい東京に住んでいる。時々田舎の自宅に帰るという具合だ。全国のそうした名望家の子孫は、ほとんど東京に住んでいることだろう。東京に、地方の名望家が集まっている。そしてそうした人々による世界が、東京を中心とした日本にはある。まさに政治的・経済的支配階級が存在しているのだ。ボクは、学生時代、その世界を一瞬だけ垣間見たことがある。ボクたちが入っていけない、入ることのできない世界(もちろん入るルートはあるが、それについては触れない)。

 しかし、そこに大震災は来なかった。

 1995年の阪神淡路大震災で大きな被害を受けたのは、庶民が住む地域であった。

 要するに、大震災が起きても、富裕層にはほとんど影響がないということだ。

 庶民に、あらゆる矛盾が押し寄せてくる。

 だがそろそろ、押し寄せてくる矛盾を、皆が連帯して押し返すようにしたい。
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道義なき新聞社、墓穴を掘る

2015-03-11 08:01:26 | メディア
 「従軍慰安婦」誤報問題を契機にして、『読売』、『産経』や週刊誌が一斉に『朝日』攻撃を展開したことは、今なお記憶に新しい。

 吉田清治証言を否定したからといって「従軍慰安婦」をめぐる日本軍の関与の事実やその責任が消えるわけではないにもかかわらず、『読売』などはキャンペーンをおこなって一方で「従軍慰安婦」否定の方向に世論を導こうとし、他方で『朝日』の部数を減らそうとえげつない攻撃を繰り広げた。

 『読売』だって、吉田証言を報じているのに、みずからのことは反省せずに、他社攻撃を行うという、道理も何も振り捨てての所業であった。

 その結果、こういうことが起こった。

「危機だと思われた朝日新聞より読売新聞の方が部数減らしてた」という記事が、「NEWSポストセブン」に掲載された。(3月10日(火))

 2月10日に発表された新聞のABC部数調査(2014年6~12月)が業界を震撼させている。全国紙5紙すべての平均販売部数が前年同期比で減少していたこともさることながら、一番の驚きは読売新聞のダウン幅である。なんと60万4530部減(6.13%減)。

 これは朝日新聞の44万2107部減(5.87%減)を大幅に上回る。ちなみに毎日新聞は5万1587部減(1.54%減)、日経新聞2万5585部減(0.92%減)、産経新聞は2316部減(0.14%減)だ。読売の社員がうなだれる。

「慰安婦報道と東京電力福島第一原発の吉田調書報道という2つの大誤報で朝日が部数を落とすことは確実だった。そのためウチ(読売)は朝日の読者を奪う販促活動に動き、我々の間では『A紙プロジェクト』と呼ばれていた。しかし、それが功を奏するどころか、朝日以上の危機に見舞われるとは……」

「A紙」が朝日を指すことはいうまでもない。読売は「朝日叩き」のために手を尽くしていた。紙面で朝日の誤報を追及するのみならず、昨年秋には「朝日『慰安婦報道』は何が問題なのか」という小冊子や、「慰安婦報道検証 読売新聞はどう伝えたか」というビラなどを都内の販売店を通じ配ったと報じられた。

 また、「読売おためし新聞」(1週間無料)に申し込むと、グループ傘下の出版社が発刊する中公新書ラクレ『徹底検証 朝日「慰安婦」報道』をプレゼントするキャンペーンまで行なった。

 白石興二郎・読売新聞グループ本社社長は「読売の販売現場の一部で、行き過ぎた販売活動による迷惑をかけたとすればお詫びしたい」と謝罪した。一連のキャンペーンが“現場の暴走”だったかはともかく、その現場では早くからこれはチャンスどころか「新聞の危機」という実感があったようだ。別の若手読売社員がいう。

「もともと現場の士気は低かった。“朝日の読者が購読を止めたからといって、読売にすぐさま乗り換えるなんて甘い話はない”という意見が大勢でした」

 読売新聞は部数減について、「消費増税やスマホ・ネットの普及による活字離れなど複合的な要因が重なったため」(グループ本社広報部)としたうえで、「朝日誤報問題をパンフレット、書籍等で積極的に報じてきたのは広く問題の重要性を伝えるためです。(A紙プロジェクトという名の)計画を立てて販促活動を行なった事実はない」(同)と説明した。

 東京大学新聞研究所教授、立正大学文学部教授などを歴任したマスコミ研究者の桂敬一氏が指摘する。

「読売のネガティブキャンペーンは、朝日のみならず、新聞業界全体への不信感を煽る逆効果になってしまった。またABC部数は販売店に届けた部数の調査であり実売数ではないので、朝日も読売も実際はもっと深刻なダメージを受けているはず。信頼回復にはこつこつとジャーナリズムの本道を進むしかない」

 ジャーナリズムの世界に甘い近道などないのだ。

※週刊ポスト2015年3月20日号
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地方議会のこと

2015-03-10 22:23:33 | 政治
 今月号の『世界』、片山善博氏が「地方自治の不具合とマスコミの見識」という文を書いている。

 片山氏は鳥取県知事を務めた。だから地方議会の実態をよく知っている。地方議会は「学芸会」と「八百長」だという。

 議会で誰が質問をするか決まると、市の吏員が「ボクの部署に関する質問はありますか」と尋ねてくる。「ない」と答えると喜び、「ある」と答えると「お手柔らかに」という。

 そして質問内容の通告が行われるころになると、関係吏員がしきりに質問内容を聞きに来る。質問に対する答弁を、答弁する人が市長であっても、実際には課長クラスが書くのだが、へんな答弁を書くとひょっとしたら「降格」になるかもしれないから、必死である。

 だがほとんどの議員はあたりさわりのない質問をして、あたりさわりのない答弁をさせて、それで終わり。

 ボクも、ある議員の質問作成に関わることがよくあるが、質問の内容によっては、文献を読み、市の関係者からヒアリングをし、話し合ったり、それはそれはなかなかたいへんだ。おそらくその議員がもっとも質問作成に時間をかけているのだろうと思う。

 しかし、質問をしても、事前に質問事項を知らせてあるので、言質を取らせない内容に閉じ込めてしまい、せっかく具体的な質問をつくってもはぐらかされる答弁しかかえってこないことがある。重要事項については、いくつかの答弁を予想しておいて、その答弁に関わって再質問、再々質問を準備することもある。
 
 ボクがこの活動に参加して考えたことは、議会での質問作成に力を入れるだけではなく、市が何らかの政策を考えているときに、その担当吏員と話し合いながら、こちらの要望を政策の中に反映させていくほうが、効果的ではないかということだ。

 議会での答弁は、その答弁が終わればそれで終わり。内容によってはむなしさを感じることがある。

 いずれにしても、地方議会の状況は決して活発ではない。以前も書いたが、某議員が敬老会で「私たち行政に携わる議員は・・・」と挨拶していたのを聞いて驚いたことがある。議員は行政をする人なの?こういう人が議員になっているのだから、地方議会が活性化するわけはない。

 ほとんどの地方議会は、ちょっとカネがあるから「センセイ」と呼ばれる人になろうかという人々によって構成されている。彼らのほとんどは勉強しないし、市から配布される厖大な文書も読まない。

 そういう議員たちに、市民は多額の報酬を支払っている。

 もうじき地方選挙がある。
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どこでも下請けは苦しい!!

2015-03-10 20:24:34 | 社会
 現在の経済政策は、大企業はどんどん儲けて、下請けは単価の切り下げを求められて四苦八苦。これはトヨタだけではなく、スズキも同じ。浜松の経済はひどい状況だといわれている。


絶好調トヨタ 下請け企業の疲弊ぶりは目を被うばかりの状態
NEWSポストセブン3月10日(火)16時0分

 去る2月4日トヨタ自動車は、今期決算(2015年3月期)の連結営業利益が、前期比18%増の2兆7千億円に達し、過去最高益を更新する見込みであることを発表した。このトヨタの好業績は、円安を背景に輸出採算性が大きく改善したことが大きく寄与したためと見ていいだろう。

 しかし大手メディアはまったく触れようとしないが、こうしたトヨタの絶好調ぶりとは裏腹に、同社の下請け企業や同社に部品を納めるメーカーの疲弊ぶりは、まさに目を被うばかりの状態になっている。トヨタの三次下請け(ティア・スリー)に位置する部品メーカー(本社・愛知県)の社長が言う。

「これまで単価10円で納めてきた部品を、5円に下げられないかと言ってきたのです。理由を聞くと、『中国のメーカーに見積もりを出させたら、単価5円だったから』と言うのです」

 トヨタは、グローバル競争を勝ち抜くために、資材や部品などに関して世界標準価格での調達を徹底している。つまり外国の部品メーカーが5円の単価を付けたら、日本メーカーにもその価格を求めるというもの。

「しかしこの部品の原材料費は7円するのです。そのことを説明した上で、『つまり品質を下げろということですね』と言うと、『それは絶対にダメ』とのこと。この要求を断わってしまったならば、もうトヨタから仕事は回ってこないでしょう。泣く泣く赤字を前提に、値下げ要求を飲みました」(前述の部品メーカー社長)

 まさに「一人勝ち」の状況がハッキリしてきたと言えるだろう。

文/須田慎一郎(ジャーナリスト)

※SAPIO2015年4月号
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注意する必要

2015-03-10 18:35:47 | 社会
 東日本大震災は明日で4年となる。時間の過ぎ去る速度に驚く。

 しかし、放射能汚染は物理学的な時間が経過しなければ、その毒性は消えない。それは冷徹である。人智ではどうしようもない、ひたすら時間が経過することを待つしかないのだ。「除染」が行われているが、それは「移染」でしかない。

 その放射能、したがって今も警戒する必要がある。

http://lite-ra.com/2015/03/post-930.html
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日本は、ファシズム?

2015-03-09 21:37:31 | 政治
 下記のブログを読んで欲しい。

http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-2061.html#comment13315
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シンポジウムの報告を読んで(1)

2015-03-09 18:33:57 | 政治
 去る2月18日に行われたシンポジウム「日本人人質殺害事件と戦場ジャーナリズム」が、『創』4月号に掲載されている。そこで指摘されたことは、きわめて重い。読んでいていろいろ教えられた。

 第一部では、TBSの金平さんの危機感と怒りをもった発言に注目した。それは、「「戦後」というような尺度が“無化”されつつある」という時代認識があるからだ。

 綿井健陽さんの「メディアが狙われる時、市民はもっと死んでいる」ということばは重い。後藤健二さんが殺されたシリアやイラクでは、名もなき市民が次々と殺されている。しかしそうしたことは想像はされるが、その実像は提供されないので、事実が事実として認識されないのである。まさに豊田直巳さんが言うように、「現場に行かないとわからないことはいっぱいある」ということだ。野中章弘さんの「映像ジャーナリストたちは、戦争の悲惨な実態、現実をみんなに知らせる、そういう役割を担って現場に行く」のである。しかし、「現場に行く」というとき、ジャーナリストは危険にさらされることがある。

 その後、金平さんは「フリーであろうとが企業ジャーナリストであろうが現場で見てきたことを、その中の公益性があると思われる情報をきちんと提供する」ことが強みだという。

 歴史研究のレベルで言うなら、個別的な史料や歴史的事実のなかに普遍性を発見し、それを叙述によって浮き出していくということだ。

 そして金平さんは「自分たちがやっていることが誰のためなんだ」ということを最後に指摘する。「何のため」というとき、その「何」に国家(権力)は絶対に入らない。

 「何のため」という問いは、きわめて重要だ。このブログを書いているボクにも、常に「何のため」が問われている。常に問われている自分を自覚すること、社会に向かって何事かを表現しようという人間は、その問いから逃れられないはずだ。
  
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世界から相手にされていない安倍首相

2015-03-09 14:55:11 | 政治
 ウィリアム皇太子が来日したとき、イギリスのメディアは安倍首相にはほとんどふれなかったし、一緒に映った写真もほとんどなかった。しかしその後中国へ行くと、習主席と一緒の写真がイギリスのメディアに頻出した。

 日本の首相は、無視されているのだ。

 そしてこれも。ここにも安倍首相は・・・・いない。ちょんまげの絵はあるのに。

 http://vigilantcitizen.com/vigilantreport/economist-2015-cover-filled-cryptic-symbols-dire-predictions/
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Journalism 3月号

2015-03-09 10:52:40 | メディア
 ポストの中を覗いたら、『Journalism』3月号が入っていた。何とも分厚い。驚いた。すると、その特集が、「朝日新聞問題を徹底検証する」であった。

 ボクは、朝日新聞出版発行の『Journalism』こそ、朝日新聞問題の検証をすべきだと、このブログにも書いていたが、ついにやった。

 たくさんの方々が寄稿している。今日届いたばかりでまったく読んではいないが、さすが朝日新聞である。こうした検証を通じ、朝日新聞が、現代社会の中で、あるいは国民から何が期待されているのかが一定程度明らかになっていくはずである。そうした期待を背景に、検証が無責任な批判に対する有効な反撃へと転化していくことになるのだろうと、ボクは思う。
 
 掲載された杉田敦氏の論文の表題、「自己批判を知らない歴史修正主義者に対抗する手段は徹底した自己批判である」はその通りだと思う(但し中身は通り一遍の内容。文中「女子挺身隊は日本政府による女学生の勤労動員であり、慰安婦とは本来関係ない」とあるが、女子挺身隊として動員されたのは女学生ばかりではない。批判するときはきちんと事実を確かめる必要がある)。自己批判や検証が行われることにより、少し自信を失いかけている、あるいはこの問題を気にかけざるを得ない記者たちのなかに、目に見えない軛を取っ払って、以前のように自由に取材し、書いていく自信といったものが湧き上がってくるならば、朝日新聞は「復興」するのだし、購読者も増加するだろう。ひょっとしたら、ボクも「朝日新聞」をまた購読し始めるかもしれない。

 この『Journalism』を編集しているのは、朝日新聞社員であるが、ここには社員の声はない。おそらく労働組合の機関誌紙などで、この問題に関する朝日社員の意見が交わされているのだろうが、今度は朝日新聞関係者の意見が公開されることもありではないかと思う。
 朝日新聞には、「読売」や「産経」、あるいは「日経」にはない自由な言論空間が存在するのだということを示すことも有効な反撃ではないかと思うのだ。

 無責任な攻撃に萎縮してしまってはいけないのである。

 ボクが戦後補償の問題に関わっていた頃の経験では、「慰安婦」報道にもっとも熱心だったのは、「読売」の某女性記者であった。「朝日」と同じような報道をしていたのに、「読売」も「産経」も、みずからのことは棚に上げて他者批判をするというきわめて醜悪な姿をさらけ出していた。

 「朝日」は道義的な優位性をもって、ジャーナリズムの本道を歩んで欲しいと思う。

 この3月号は、メディア問題に関心をもっている人にとって、読まなければならない文献になっていくことだろう。

 さて、読みはじめることにしよう。
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2015-03-09 00:00:00 | 日記
 人間は社会の中に生まれ、そして死んでいく。人間ということば通りに、人の間に人間は生き、そして様々な人と出会う。直接会う人もいれば、間接的に知り得た人もいる。

 ボクが、人の間で直接出会ったなかで、もっとも尊敬する人物は、無教会派のクリスチャンの平和運動家・故溝口正氏である。そして間接的に知り得たなかでもっとも尊敬する人は、『世界』の編集長であり、また「統一戦線」の結び目となっていた吉野源三郎氏である。

 ボクは吉野源三郎氏が書いた文の中で、「一粒の麦」という文がもっとも好きだ。聖書にある「一粒の麦もし地に落ちて・・・」ということばに即しながら、アメリカ帝国主義の侵略に抗して戦ったホーチミンをはじめとしたベトナムの人びとのことを記したものだ。

 この文は、最初は『世界』に書かれたものであるが、その後『同時代のこと』(岩波新書)に掲載され、また『人間を信じる』(岩波現代文庫、2011年刊)にも掲載されている。現実と理想と、そして人間の生き方が凝縮されている文だ。ボクはこれを何度も読み返す。

 今日も、それを読んでいた。

 そういえば、『人間を信じる』のなかに、「山本君に言いたかったこと」という文がある。これも『世界』に掲載されたものだが、その山本君というのは、もと全共闘議長の山本義隆氏のことである。

 ボクの学生時代も全共闘の運動の残り火があったが、彼らのいう「自己否定」が、形而上学的なそれであって、決して弁証法的なものではないこと、であるとするなら、彼らの「自己否定」は「自己存在否定」にならざるを得ないこと、したがって生存を続けるのなら全面的な「自己肯定」を追求せざるを得ないこと、その行き着く先は、自己が生存しているこの世界を肯定することにつながり、結果、資本主義国家・日本の大いなる担い手として生きていかざるを得ないこととなり、そうしたもと全共闘が多いことをボクは知っている。
 しかしそのなかに、この世界を肯定し、その尖兵として生きていくことを拒否した少数の人がいる。山本義隆氏もその一人だろうと、ボクは思う。将来を嘱望された研究者であった山本氏は、予備校の講師として生きてきた。

 今月号の『世界』の3月の新刊案内に『原子・原子核・原子力』という本を見つけた。これは読まなければ、と思った。

 山本氏は、今もなお志を持ち続けているからだ。

 山本氏は、東大闘争の渦中、吉野氏の娘さんの家庭教師として数学や物理を教えていた。山本氏が吉野氏とどういう話しをされたかはわからない。しかし、吉野氏がもっていた志を、山本氏がひそかに受け継いでいるのではないかとボクは思っている。

 吉野氏は、ホーチミン、そしてアメリカの攻撃の中で「僚友が殺されても殺されても、雄々しくそのあとを埋めて戦い、ホー・チミンの遺志と期待とを裏切らなかった。そして彼らも、また、一人一人、多くの実を結ぶ麦となっていったのである。」と「一粒の麦」に書いている。

 吉野氏自身は亡くなってはいるが、「一粒の麦」となって、ボクの精神の中に座標軸となって生き続けている。おそらく山本氏の精神の中にも、である。

 ホーチミンや吉野氏のような人びとの生き方が、「一粒の麦」となって多くの人の精神の中に受け継がれ、志として生き続けている。

 ボクらも、その志を、誰かに受け継いでいってもらいたいと思いながら、生きている。
 ボクも「一粒の麦」になりたいのである。
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地方都市・本・メディア

2015-03-08 20:12:03 | 
 今日夕方、浜松駅周辺に行った。本を買うためだ。岩波書店の『世界』は、すべての書店にあるわけではない。浜松では大きな谷島屋書店に行かなければ買えない。今までは、イトーヨーカドーに入っていた「熊沢書店」でも買えたのだが、イトーヨーカドーは撤退していった。大規模なイオンのショッピング街にある書店には、『世界』は売られていない。

 今日は、『世界』のほかに『創』も買った。その他『ニッポンの裁判』(講談社新書)も。

 『創』の「朝日バッシング後の新聞界の現状」を読みはじめて、そうだった、と思い出した。
 シャルリー・エブド事件の後、日本でも「私はシャルリー」というプラカードが掲げられた。しかし、1987年、朝日新聞阪神支局が襲撃され、新聞記者2人が殺傷された事件の時、同じような動きは起きたか、という柴田鉄治もと朝日記者の指摘にことばを呑んだ。

 そして後藤さんが殺害されたビデオが流されたとき、オバマ大統領の声明には「後藤さんは、報道を通じ、勇敢にシリアの人びとの苦境を世界に伝えようとした」とあった。あの安倍首相は、どういうことばを吐いたか。
 ケリー国務長官も「ジャーナリズム活動のリスクをゼロにすることはできない。唯一の方法は沈黙することだが、それは降伏だ」と語ったそうだ。
 彼我の差を感じる。

 この座談会で、柴田氏は古巣の『朝日』の現状に厳しい意見を言っている。「朝日新聞自身が全く萎縮してしまったように見える」、「他の新聞と比べると朝日の「迷走」ぶりが気になります」、「経営者に判断力がなくなっている」とか。

 もうボクは、小泉政権による郵政選挙の際の社説を契機に、親の代からずっと購読していた『朝日』をやめて『中日』に替えたので、『朝日』への期待度は低いのだが、それでも「慰安婦」報道検証以後の「朝日バッシング」は無視できないことで、「私は朝日」という立場を鮮明にしている。

 この座談会の中で、「異論を認めないのと同時に特定のメディアを叩くというのが第2次安倍政権のメディア政策の特徴です。叩く相手はテレビだとTBSとテレ朝だし、新聞だと今のところ琉球新報と朝日新聞」と指摘している。他方で、新聞・テレビの社長と何度も懇談している。

 第一位 フジテレビ 第二位 ネベツネ 第三位 共同通信の福山
 第四位 産経    第五位 日テレ、毎日・・・

 解説委員クラスだと 読売、時事通信、日テレ、そして評論家では田原総一朗が常連組だという。

 メディア幹部が犬のように尾を振って権力にすりよっている姿が目に見えるようだ。
 
 『創』4月号は、読むべきだとおもう。
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【本】星亮一『偽りの明治維新』(大和書房)

2015-03-08 12:38:13 | 
 今の首相は、長州人である。彼の縁者である岸信介、佐藤栄作もそうだ。ボクは、長州人が近代日本を歪めたと言っている。町田の住人もそれに賛同しつつ、しかし河上肇も長州だ、という。

 近代日本国家を薩摩と一緒になって建設してきたのが、長州である。その後の歴史については、薩長を正義とする認識が人口に膾炙している。しかしボクは、薩長が正義感のみに基づいて維新を行ったとは考えられない。「維新の元勲」といわれる者どもの個人的な虚栄や野心、残虐性などが、あまり歴史の表面に出てこない。

 さて、本書は、幕末維新期の福島・会津藩の動向を中心に論述されたものである。官軍となった者どもと徹底的に抗戦し、「賊軍」とされた松平容保以下の会津藩、その人びとにたいして、官軍・新政府がいかなる処遇をしてきたのかを見るとき、近代日本国家の本質を見ることができるのではないかと思う。
 会津戦争で官軍がどのような残虐行為を働いたのか、敗死した会津藩士らの骸をどう扱ったのか、そしてその後、会津藩士を下北半島に追いやり多くの人々を「自然淘汰」させた政策など、とても正義感をもった人びとの所業とはとても思えない。

 ボクは、現代の日本国家も、とうぜん近代日本国家(「大日本帝国」)と継続していると考えているが、そこに会津藩に対して行った冷酷な仕打ちを平然と行った者たちの「悪」が脈々と受け継がれていると思っている。

 だからこそ、維新変革がいかなるものであったのかを、もう一度見直してみる必要があると思う。維新変革が近代日本国家の本質を規定しているのではないかと、日本近現代史をふりかえり、最近の政治情勢をみつめるたびにそれを考える。

 本書は、その一環として読んだ。そういえば、町田の住人も山口県出身である。ただ本人は、悪いのは長門で、ボクは周防出身だという。

 本書は、図書館で借りた。
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