浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

すでに知られていたことだが

2015-03-18 08:49:51 | 近現代史
 リテラに「東京大空襲」に関する文が掲載されていた。すでに明らかになっていたことだが、考えてみれば、ボクが知っていることでも、あるいはメディアが過去に報じたことでも、読む人にとっては初見ということがある。ネトウヨの根拠もないイデオロギッシュな発言も、何度も繰り返していれば多くの人の知識となるよう意図的に広めているような気がする。一度書いたことをもう一度書き込むことはあまりしたくはないし、すでに古びた知識を指摘することもしたくはないのだが、やはりこの事実は知っておいたほうが良い。

 なお、マリアナ諸島を飛び立った米軍爆撃機は、富士山をめざして飛行してくる。そしてその後、東西の主要都市への爆撃へと向かうのだ。しかし、爆撃を終えた後、あまった爆弾は、当時軍需工場があたくさんあり、上空から目標としてわかりやすい(浜名湖と天竜川にはさまれている)ところであったために、浜松に爆弾を捨てていたのである。だから東京や横浜と同様に空襲回数が多いのである。

 この文にも出ているが、軍需工場などではなく、庶民が暮らすところへの空襲を開始したカーチス・ルメイは、戦後航空自衛隊育成に尽力したとして勲章を受けている。この事実を知ったときの複雑な気持ちは、今も継続している。日本国家に対する、不信感である。

東京大空襲の真実…市民に逃げるなと
東京大空襲の語られない事実…住民に逃げるなと命令、米の空襲司令官に日本が勲章授与

http://lite-ra.com/2015/03/post-953.html

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辺野古における海上保安庁の暴力

2015-03-18 00:04:39 | 政治
 海上保安庁が、いかに暴力をふるっているかがよくわかる。

http://ryukyushimpo.jp/photo/storyid-240276.html

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歴史のなかのことば

2015-03-17 13:34:30 | 近現代史
 次のような記事があった。

三原氏、八紘一宇は大切な価値観 参院予算委で紹介 2015年3月17日
 自民党の三原じゅん子参院議員(50)は16日の参院予算委員会で、日中戦争から第2次世界大戦にかけて、当時の政府が用いた「八紘一宇」を、「日本が建国以来、大切にしてきた価値観だ」と訴え、今後の日本のあるべき姿として紹介した。17日付のブログでも、重ねて言及した。
 八紘一宇には「世界を一つの家とする」という意味がある。戦前・戦中には、天皇を中心とした日本の海外進出を正当化するスローガンとされた経緯がある。(共同通信)


 歴史的な用語としては、「八紘一宇」は、「天皇が世界を支配する」という大日本帝国の侵略を正当化することばとして、1930年後半頃から積極的に使用されるようになったものだ。まさに軍国主義国家日本が最盛期を迎えた時期のことばだ。「建国以来大切にしてきた」という言説には、この人の知的能力を疑うしかない。

 こういうことばを「大切にしてきた価値観」と考える自民党議員を擁する安倍自民党、まさに「宗主国」であり、戦勝国であるアメリカの精神を逆なですることになる。

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「私が適任」

2015-03-17 08:25:19 | 政治
 『中日新聞』の第一社会面には、トップで、知事が静岡県の教育長にしたい高木桂蔵氏の記者会見の記事があった。

 何と彼は「教育長には私が最も適しており、私以外にはできないと考えている」と話したという。これだけで、教育長としては不適任だと、ボクは思う。
自信過剰、傲慢とも言えるこの発言、知性のある人間は絶対にしない。

 記事によると、教職員・児童生徒・保護者らが交流する「先生の日」創設、教職員全員の修士号取得などを説明したという。教育現場では、学校により、教師により、忙しさにものすごい差がある。たとえば「先生の日」をつくり交流する場をつくるというとき、誰がそれをセッティングするのか。もしそれが学校であれば、忙しい教師はもっと忙しくなるだろう。仕事はいつも少数の教師に集中するからだ。そんなことより、教師に自主的に教材研究をする時間を与えよと、ボクは言いたい。

 高木氏には、評価される翻訳、研究があるが、しかしきわめて少ない。退職後の講演内容などは、底が浅いものがほとんどだ。研究者としては終わっている方とみていた。

 川勝知事が何故に高木氏を教育長にしようとしているのかよくわからない。
 
 溝口紀子教育委員長がこの選任になぜ疑義を呈したのかは知らないが、ボクも溝口氏の疑義を共有したい。
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認知症

2015-03-17 07:41:08 | 社会
 今月号の『現代思想』の特集は、「認知症新時代」である。周辺に認知症となっている者はいないが、ボクが農作業をしている畑のちかくに認知症の方々が入っているグループホームがある。一度ボクはそこを訪問して、認知症の方にどう対するかという講習を受けたことがある。

 またかつて初代プリウスに乗っているとき、バッテリーが急にダメになったことがある。初代プリウスはバッテリーがおシャカになった場合、無料で替えてくれるということになっていた。道端に車を止め、車運搬車を待ってるとき、ひとりの老人が疲れ切った顔をしながら歩いているのを発見した。

 「どうかしましたか」と家人が尋ねたら、「家が分からなくなって・・・」と話された。「お宅は何町ですか」などと質問するのだが、きちんとした回答がない。そこで警察に電話して迎えに来てもらうことにした。ほどなくパトカーが来て、「捜索願がでている方です」と警察官が連れて行った。

 この方も認知症だったのだろうが、認知症の方の「世界」について、教えられた論文があった。六車由美氏の「認知症の人の物語を共有する場として」である。認知症の方々の語る言葉のなかに新しい別の「世界」を認識するという話しである。

 現実はひとつではなく、認知症の人たちの見ている世界もまたひとつであり、だとすれば、認知症の人たちの世界を共にすることで、凝り固まった自分たちの世界もより豊かになるのではないか。

 認知症の人の世界を共有するいくつもの場が、それぞれの介護地域でできていけば、これからの介護はもっと豊かな深みをもっていくだろう。

 いくつかの具合的事例からこうした主張をされるのであるが、こういう見方もあるのかと教えられた。

 『現代思想』は、このように別の見方、知見を教えてくれる。脳の訓練のために、ボクは読み続けている。
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大学の自治

2015-03-16 20:00:03 | 政治
 戦前、国家による学問弾圧事件の際、大学の教授会が一定の抵抗を示すことがあった。もちろん強権的な抑圧に抵抗を貫徹することはできなかったが、しかしそれでも戦前における「大学の自治」を守ろうとした行動として歴史的に評価された事件である。

 そして戦後、日本国憲法の下では、大学の自治は当然のものとしてあった。それは戦前に繋がる教授会の自治という面が強かったが、1970年代初めには、全構成員による自治という観点から、学長選挙に学生の投票結果が参照されるような大学も出て来た。

 『法律時報』という、日本評論社が発行している雑誌があるが、その臨時増刊号に『大学の自治』というものがあったことが思い出される。

 しかし今、大学の自治は消えている。国立大学が法人化され、学校教育法が改悪されるなど、大学の自治を法的に支えるものはなくなった。教員たちも大学の自治に無関心となって、文科省のお達し通りの動きをするようになった。

 文科省は、もうほぼ完全に大学をみずからの支配下に置くようになった。 大学への補助金を削り、もっと欲しければ言うことを聞きなさいという政策をとるようになった。大学はカネを求めて、犬のように尾を振るようになった。犬はワンワンと吠えるが、大学はカネ、カネという。大学は文科省からの天下り官僚を求め、教授にしたり学長にしたりして、もっとも目立つように尾を振りつつけるのだ。犬となった大学は、文科省のイヌを招き入れるのだ。

 そして今度は、大学が自主的に、文科省の方針を率先して実施するなら、もっとカネをあげるぞと嘲笑しながら札束を見せる。大学は、「はい、やらせていただきます」と平身低頭して札束に手を伸ばす。

 今日の『毎日新聞』夕刊の記事。「大学改革:国補助金で促進 最低評価は半減、淘汰加速も」がそれを伝える。

http://mainichi.jp/shimen/news/20150316dde001100072000c.html

 日本は「大日本帝国」の時代よりも後退している。
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【本】松本侑子『恋の蛍』(光文社)

2015-03-16 09:46:49 | 
 太宰治は好まない。若いときから、なぜ太宰に引きよせられる人が多いのかといぶかしく思っていた。

 しかし長じてわかったことがある。
 みずからの死生を凝視する時期が、人にはある。生と死を凝視するなかで、ある者は生の世界に踏み込み生を謳歌する。他方、ある者は死の世界に入り込みながらみずからの生を重いものと見なして生の世界を彷徨し、そして自死を選ぶ。
 思春期のふとした違いから、その後の生は別れて行くのである。太宰は言うまでもなく後者である。思春期は、だから生と死の分岐点でもあるのだ。

 太宰の、死をまといながらの生は、今はそのまま受け入れることができる。

 本書は、太宰と玉川上水に入水した山崎富枝のことを記している。
 山崎は、裕福な家庭に育った「お嬢様」であった。おそらく富栄は、あまりにも恵まれすぎていたために、思春期にあの分岐点を通過していなかったのだろう。太宰のように、死をまといながら彷徨する人間に対する免疫がなかった。太宰の生のなかに、死をはじめて見つめ、そしてその死に魅入られたのである。だから富栄は、太宰という人物を愛しただけではなく、太宰の生にまとわりついていた死に魅入られたのだ。

 もちろん富栄には、死を受容する基盤があった。兄弟の死、そしてフィリピンで戦死した夫の死があった。結婚してすぐに夫はフィリピンへと旅立ち還らぬ人となっていた。
 富栄は、近しい人々が、死の世界に「ある」ことを感じていたのだ。その世界へ飛翔することを止める閾は低かった。

 富栄がみずからの死を凝視する契機をつくったのは、太宰であった。死をまとっていた太宰に接するなかで、みずからの死を凝視していくのである。そしてその死は、生の終着点としてのそれではなく、あえて選びとる死であった。

 太宰を愛するということは、太宰にまとわりついている死をも愛することであったのだ。

 もちろん、富栄にも豊穣な生は用意されていた。だが、戦争というものが、それを拒んだ。もし戦争がなく、夫・奥名修一が戦死しなかったなら、富栄の生は、富栄の父・晴弘の望むとおりのものになっていただろう。
 人間は、残念ながら、生まれる時空を選べない。その時空のなかで生きるしかないのである。

 成虫となった蛍の寿命は短い。その短い間に恋の相手をさがさなければならない。蛍は、生きている間、ひたすら恋を求める。蛍はひとりで生きていくことができないようだ。
人間もまた同じ・・・・?

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【本】猪野健治『テキヤと社会主義』(筑摩書房)

2015-03-15 21:06:57 | 
 テキヤ=香具師のなかにアナーキストがいたことを、少ない資料から浮かび上がらせようとした労作である。しかし、おそらく雑誌に連載したのだろう、重複箇所が眼についた。しかしこの種の研究書はないので、貴重な文献となるだろう。ただ論文ではないので、それぞれの歴史的事実を記述するとき、どのような文献に依拠したのかの記載がないので、後追い的に確かめることができそうもないことが残念である。

 ここに記されているテキヤのなかのアナーキスト・高嶋三治に関心を持つようになった。大杉栄らの権力による虐殺、それに対する復讐を図るギロチン社の仲間たち。彼らと連携しながら、たとえば浜松のテキヤから資金を獲得して、活動を続けようとする高嶋。

 しかし三宅正太郎判事との出会いから、情勢の悪化も原因となって具体的な運動からは離れるが、しかし心のなかでは生涯アナーキストだったようだ。

 ボクは、香具師というと、戦後警察と連携しながら浜松で朝鮮人を襲撃した(「浜松乱闘事件」)香具師集団のことを想起するので、まさか香具師のなかにアナーキストがいたなんて思いもしなかった。

 本書では、戦後の混乱期に、香具師などを朝鮮人と分裂対抗させた権力の「罠」にも言及している。

 最近、この「浜松乱闘事件」について書いたが、香具師の世界についてもっと知っておけば良かったと少し後悔している。

 本書は2000円+悪税である。公共図書館ではきっと買わないだろうと思って購入した。購入する価値はあると思う。あたらしい知見を得ることができる。


 
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読めそうもない本

2015-03-15 18:25:34 | 
 とにかくこの世界のすべて、森羅万象を理解したい、という願望を高校生の頃から持っている。だから、そのためにひたすら活字を追う。分野を問わない。

 アメリカが清らかだったことはかつて一度もない。われわれは移民船のなかで純潔を失い、それを悔やんだことは一度もなかった。アメリカの堕落を特定の事件や状況のせいにすることはできない。最初からないものを失うことはできないのだ。

 で書き出される本、『アムリカン・タブロイド』(上)を図書館から借りた。上記の出だしに関心を抱き、その通りだと思って借りたのだが、読もうという意欲が起きない。もっと時間があるときでないと、読み通せない。明後日返却しよう。

 来週は月一回ボランティアで行う講座の準備をしなければならない。そしてなぜか今、太宰治と心中した山崎富栄の本を読んでいるし(松本侑子『恋の蛍』光文社)。

 もちろん本ばかり読んでいるわけではない。晴耕雨読である。今日は半日畑にいた。周辺の畑仲間から次々と話しかけられ、なかなか仕事がはかどらない。しかしコミュニケーションを閉ざすべきでないから、流れるままに会話に従う。

 部屋のカーテンを替えた。
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東京中心

2015-03-15 15:25:20 | 社会
 北陸新幹線の開通というニュースが喧しい。こういうニュースを見ると、うっとうしくなる。というのも、東京から金沢まで何時間になり、簡単に行けるようになった、というように、東京中心のニュースであるからだ。

 東京以外の人間であるボクには、「それがどうかしたの?」と言いたい気分だ。

 だいたいなぜ東京在住者の視点からのニュースを、東京以外の人々が聞かなければならないのか。

 北陸新幹線ができた、これで富山や金沢は景気が良くなる、と思っているのだろう、しかしそうではない。おそらく今まで支社や出張所を北陸に置いていた会社が、そんなに短時間で行けるなら、支社をたたもうという気持ちにもなるだろう。

 そして北陸では、人口減少が進む。というのも、おそらく在来線が不便になるから。不便なところにあらたに住み着くような人は少ない。新幹線は、東京と主要都市を結ぶものであって、それによって地方は切り捨てられていくのだ。

 東京中心の交通網、情報通信・・・・・。東京一極集中はもっと進んで行くだろう。新幹線の開通は、それを促進するはずだ。

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【本】『東京大空襲訴訟原告団報告集ー援護法制定をめざして』(同原告団)

2015-03-14 16:15:20 | 近現代史
 1945年3月10日の東京大空襲は、残酷なジェノサイドのような空襲であった。まず四角形に焼夷弾を投下して火炎をつくり、そしてその四角形のなかを絨毯をつくるように焼夷弾を投下していく。その四角形のなかで、強い風と炎にまかれ、そして焼かれ、酸欠などにより無数の命が奪われた。この空襲については、著者本人も被災した早乙女勝元氏によって『東京大空襲』(岩波新書)、『東京が燃えた日』(岩波ジュニア新書)などによって明らかにされている。
 しかしもちろん、その空襲によって何人の命が奪われたのかはわからない。全国どこでも、実際の死傷者数は明らかになっていない。

 さて、この訴訟であるが、こういう事実である。兵役にある者とそうでないものが、投下された焼夷弾による火事の消火活動をしていたが、二人とも犠牲になった。戦後、同じ状況で、同じ日本人が犠牲になったのに、前者には補償があり、後者にはないという事実がある。つまり、日本での戦争補償は、国家と契約関係にあった者だけになされているのだ。あの「御国を守る戦士」とされ、「銃後の守り」を託されて命をなくした人々には、補償はなされなかったのである。

 戦後、日本政府は軍人・軍属には総額54兆円余の補償をしてきたのに、民間人の空襲被害者には、いっさいの援助も補償もしてこなかった。ドイツなどヨーロッパ諸国は、軍人・非軍人にかかわらず補償しているのに、日本ではいっさいされないできた。

 その理由について日本政府は、「戦争被害受忍論」を唱えている。

およそ戦争という国の存亡をかけた非常事態の下においては国民がその生命・身体・財産等について、その犠牲を余儀なくされたとしても、それは国をあげての「一般犠牲」として、すべて国民が等しく受忍しなければならない。

 アアこの論理は、今も健在だ。国策として行ってきた原発政策によって事故が起き、放射能がばらまかれた、しかしこれは国策で行ってきたことだから、「一般犠牲」として、すべて国民が等しく受忍しなければならない、という事実としての論理。

 ここから導き出されるのは、政策担当者の無責任(「国家無答責」)である。
 わが日本は戦前も戦後も変わっていない、ということでもある。

 この訴訟の原告たちは、もちろん高齢である。戦後70年を苦しみながら生き抜いてきた。しかし日本国家は、今も冷酷に振る舞っている。それを日本国民が許容しているからである。
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敵の敵は味方

2015-03-14 12:55:02 | 政治
 在日米軍は、アメリカの思考である「敵の敵は味方」という論理で、沖縄平和運動センターの山城博治議長がアメリカ軍に雇われた警備員に「私人逮捕」されたその時の様子を米軍基地側から撮影した映像を、ネトウヨに提供しているようだ。

 http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-2066.html

 所詮アメリカってそういう国家であることを知らねばならない。
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静岡県の教育長人事

2015-03-14 08:42:21 | 日記
 川勝静岡県知事が、教育長として高木桂藏静岡県立大学名誉教授をあてようとしているが、疑義が出されて紛糾している。

 うろ覚えで申し訳ないが、以下の経緯がある。
 静岡県立大学開学準備の過程で、辻村明氏が開学の準備会の座長となり、他方高橋徹氏も県立大学に関係することとなった。両氏とも東京大学文学部社会学科の教授であった。彼らが教員を招聘することとなり、辻村氏はどちらかというと右派系の、高橋氏が左派系の研究者を呼び集め、高木氏は辻村氏から呼ばれたということを聞いている。高橋氏が招聘したのが、前坂俊之氏であった。

 なぜ高木氏に疑義が出されているかは知らないが、学問的には注目される人ではない。しかし、教育委員会の教育長という職は、高等学校の校長などの経験者(とくに静岡高校など)の天上がりポストであり、その教育行政は、実質的には文科省の方針を踏襲するものであった。

 今回は、県知事の考え方を教育行政に生かしていく人物が教育長に就任する(「政教一致」=政治と教育の一致、教育の独立性は消える)ようになった。川勝知事と高木氏とが「一致」するのだが、いったいどういうことで「一致」するのであろうか。
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強行

2015-03-14 08:22:00 | 政治
 ヒドイ話。現在の日本、私有財産が保障されることは当たり前の社会であるはずだ。しかし日本では、政治権力が、そんなことはおかまいなしに、勝手なことをする。これでは封建社会と同じである。

 福島。あの原発被害で自宅から離れざるを得なくなった人々がいる。自宅があったところ、日々農作業をし、平和な日常を過ごしていたところ、そこに福島県内の汚染土が運び込まれるという。だけどその土地や田畑は、まだ所有している。にもかかわらず、政府・環境省は、汚染土を運び込んだ。

 ひょっとしたらもう自宅に戻れない、4年前の日常が帰ってこないかもしれない。だから新しい土地で生きていくしかないかもしれない。あの土地を売っても良い。

 だが驚くべきことに、政府から提示された価格は、4年前、事故前の水準の半分程度だという。あまりにひどいではないか。

 政府・東電が事故を引き起こし、周辺を汚染しまくり、その結果土地価格は下がったから、その価格で売ってくれだって?

 これって、法治国家ではない!日本国憲法の第29条はこうなっている。

○1  財産権は、これを侵してはならない。
○2  財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
○3  私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。


 「正当な補償」のないままに、売ってもいない土地に汚染土が運び込まれる。これを権力の横暴と呼ばずして何と呼ぼう。

 これが、日本の政府だ。


 
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ハクビシン

2015-03-13 23:25:56 | 日記
 久しぶりに畑に行った。ほうれん草やキャベツなどを収穫。各所に生え始めた雑草をとっていると、「もう農業には慣れましたか」の声。畑から一番近いところの家のご主人からだった。いろいろ話していたら、ハクビシンが出るという。夜になると天井裏で騒いでいるので、眠られないのだ、と。今日、業者に見てもらったら、「今はいない」と言われたそうだ。ご主人は、「いったいどこから入るのだろう」と言っていた。もちろん動物が入るような穴は、外見ではないようにみえる。おそらくきわめて小さな穴から入ることができるのだろう。たいへんなことだ。

 最近、農地にいろいろな動物が出るという。そのために畑作をやめて、米作りだけをしているという友人に会った。

 ハクビシンについて調べたら、大都会でも棲息しているという。

 今のところ我が家やその周辺にはいないようだ。しかし心の準備だけはしておこう。

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