浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「報ステ」での出来事

2016-06-22 21:40:01 | その他
 見ていないので知らなかった。

 http://lite-ra.com/2016/06/post-2359.html
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中江兆民(1)

2016-06-22 19:46:41 | その他
 今日、福沢諭吉について話した。来月は、中江兆民である。ひたすら兆民が書いた文を読み進んでいるが、現在の日本に対する警句となる内容が多い。

 今日は、「政党の論」について記す。

 兆民は、政党を「自然の党派」と「私意の党派」にわける。

 「自然の党派」は、真理を「捜索」する党派である。

 自然の党派は其の目的とする所は党派を重んずるにあらずして真理を重んずるにあり、すでに真理を重んずるときはいやしくも一朝己の党派中非なる所ありて、他人党中是なる所あるを覚るときは、幡然志を改めてこれに従ふて少も心に解する所なし。

 それでは、「私意の党派」は、

 其の目的とする所は真理を求むるにあらずして己の私欲をたくましくするにあり。

 である。

 現今日本の政党党派は、残念ながら、「私意の党派」が多い。議員や首長も、「己の私欲」を求める者が多い。我が国の政治状況は、明治の時も今も同様のようである。
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参議院選挙

2016-06-22 08:30:40 | その他
 荻生徂徠は、「見聞広く事実に行きわたり候を学問と申す事に候故、学問は歴史に極まり候事に候」(荻生徂徠『徂徠先生答問書』)といっている。

 いかなる状況に際会しても、学問的な背景、とくに歴史的認識をもった判断が求められる。

 さて、今回の選挙の争点は、当然の如く、憲法問題である。何度も書いてきたが、神社本庁他、戦前の近代日本国家に郷愁をいだく者どもが、安倍自民党と一緒になって、さらに宗教政党・公明党も巻き込んで、戦前の近代日本国家を復活させようと企んでいる。

 戦前の近代日本国家は、大日本帝国憲法や教育勅語のもと、侵略や植民地支配をその構造に組み込んでいた、野蛮な国家であった。安倍自身もその近代国家の中枢にいた岸信介の孫として、「明治憲法復元」をめざしているのだろう。

 私は、もちろん戦前の近代日本国家を「復元」させてはならない、という立場である。

 しかし、そうした企みを知ってか知らずか、安倍政権や自民党への支持が多いようだ。その原因は、メディアが真実を報じていないからである。また、様々な報道機関では、司会に安倍政権の支持者、たとえば古市憲寿、橋本五郎らをあて、安倍に都合のいいことを発言させるといったことが行われている。

 安倍政権は、メディアの操作によって、メディアを味方につけている。テレビはすべてその軍門に降った。新聞も大方そうなっている。

 真実は、自由民権運動の時のように、人々の前に出て口で話していくししかなくなっている。手段としては多勢に対して圧倒的な無勢である。しかし、方法がそれしかないとしたら、やるしかないだろう。

 http://lite-ra.com/2016/06/post-2358.html
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仏教界

2016-06-22 07:50:06 | その他
 一昨日の『東京新聞』の「特報」欄は、Amazonが始めたサービス、お坊さんを派遣する事業についてであった。年忌の法要などに、Amazonを介して坊さんを派遣してもらうシステムである。

 これを読むと、東京都内で営まれた3回忌法要に派遣されたお坊さんの費用は、税込み35000円であった。そのシステムを運用している「みんれび」という会社の手数料は差し引かれるが、お坊さんにはおそらく3万円ほどのお金が入るのだろう。

 私の先祖の墓がある寺院のそれは、おそらく10万円を簡単に超える。食事や引き出物をお坊さんに出さなかったら、さらに金額は高くなる。寺院から、その金額は提示される。

 さて、Amazonのその事業に対して、全日本仏教会からは批判がなされている。「布施はサービスの対価ではない。宗教をビジネス化している」というものだ。

 しかし私は、寺院こそ、「サービスの対価」として布施を受け取っているのではないかと思う。それも高額の。

 宗教法人が無税だというのは、布施の金額が寺院から提示するものではなく、布施が施主の「お気持ち」であること、すなわち布施の額は寺院では提示しない、施主が決める者だからというのが理由だそうだ。

 だが現在では、その布施の額は、寺院の側が提示してくる。そこで私は、以下のメールを全日本仏教会に送った。

全日本仏教会 さま

 『東京新聞』の「こちら特報部」の記事を読みました。記事中、「仏教界では古来「お気持ち」だった布施」という文がありました。しかし私は、子どもの頃から常に高額の金額を提示する寺の姿を見ています。現在でも、彼岸などの読経でも「時節柄回向料は4500円をお願いします」というはがきがきます。

 記事中、貴会のアマゾンに対する主張として、「布施はサービスの対価ではない。宗教をビジネス化している」とありますが、私の経験では、貴会がそういう主張をする資格はないと思います。寺院こそが、読経などを「サービス」とし、「ビジネス化」してきたと思っております。

 今後のことを考え、離壇を真剣に考えております。貴会では「内部改革」への動きもあるようですが、早急に実施しないと、寺院、ならびに仏教からの離脱は加速化していくでしょう。葬儀についても、神葬祭への転換が増えております。
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知らなかった、この世界

2016-06-21 22:25:54 | その他
 フジロックフェスタというフェスティバルが毎年開かれているという。知らなかった。

 そしてそこに、SEALDsの奥田さんが参加するということで、「ロックに政治を持ち込むな」という阿呆な意見が飛び交っているそうだ。知らなかった。

http://www.huffingtonpost.jp/2016/06/21/fuji-rock-politics_n_10583848.html?utm_hp_ref=japan

 そしてそこに出演するアーティストの一覧を探し出した。

http://www.fujirockfestival.com/artist/artistlist.asp

 知らないアーティストばかり。

 白崎映美なんて、知らなかった。

https://www.youtube.com/watch?v=no86LiXzsvA

 いいんだ、これ、「まづろわぬ民」。知らなかった。

https://www.youtube.com/watch?v=9Tu3R3uwPRE
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是非 読んでほしい しっかりと 

2016-06-21 15:06:11 | その他
 『沖縄タイムス』に掲載されていた文である。

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=174052

沖縄暴行殺人事件:「抗議」と「祈り」を対立軸にしているのは誰か KEN子

■国道で祈る人たちの写真を見た

 「沖縄と共に悲しんでいます」「沖縄のためにお祈りしています」というパネルを持ち国道に立つ、米軍人、軍属含む外国人たちの写真がタイムラインに並び、それに共感した「いいね」「シェア」「リツイート」してる人たちが何万人もいて驚いた。

 それだけ「他人の痛み」を感じる事ができる心優しい人たちよ、あと何百歩も手前から想像してみてほしい。

 日常生活の中で突然命を奪われた被害者の家族や、突然家族が「犯人」になってしまった人たちは、今どう思っているだろうか。そのお隣に住む人は? 親戚は? 同じ町に住む人は? 同級生は? 過去に米兵や米軍属に家族の命を奪われた人は? 過去にレイプされたけど誰にも言えないままの人は?


■何度も繰り返される事件で何度もえぐられる傷

 私は5月20日と25日嘉手納基地第1ゲート前の抗議集会で、自分の意志はもちろんだが、IWJ(ジャーナリスト岩上安身氏が設立したインターネット報道メディア)の取材も兼ねて、カメラを回していた。うるま市でインターンしている女子大学生が「被害者は私だったかもしれない」と言った時、そして私の目の前のおばさんが基地に向かって「○○を返せ!」と被害者女性の名前を叫んだ時、もう我慢できなくなって嗚咽してしまった。

 事件が起きたうるま市では1959年、宮森小学校に米軍機が墜落した。パイロットはパラシュートで脱出し、墜落した学校と周辺で子供11人を含む多くの命が奪われた。事故の慰霊碑には、50年以上過ぎた今も多くの人が手を合わせに訪れる。被害者の家族だけでなく、当時の友達、その子供、孫、親戚だけじゃない。事件を知る人たちは皆、おじいちゃんの同級生の事だからとか親戚が含まれるから悲しいとかいって泣いているわけではない。当事者か血縁かなど関係なく、この痛みを「我が事」として悼む人たちが、泣きながらお参りに来ていると思う。それと、今回の事件で「由美子ちゃん事件」を思い出した人も少なくない。1955年、小さな女の子が米兵に拉致され、レイプされ、殺され、ゴミ捨て場に捨てられた事件だ。そして近年では1995年に小学生の女の子を3人の米兵がレイプした事件が引き金となり、怒りの限界に達した沖縄県民が「米軍基地の整理縮小」へと日米両政府を動かしたが、現在も「普天間」「辺野古」の問題は続いている。


 今挙げたたった3つの凶悪事件だけでも、情報を間違わないようにいろいろ調べている内に、その当時の新聞記事の生々しい描写に目を背けたくなり、復帰後の44年で殺人・強盗・強姦などの凶悪事件が「基地の外」で「発覚しているものだけ」で600件近くもある事に吐き気がした。米軍統治下ではなく日本国に属する「沖縄県」になってからの事件だけでこの数。レイプされた事や妊娠・出産・堕胎を言えずに 、言えないまま今も苦しむ人はその数に入っていない。その度に被害者の家族や親戚だけでなく「私の娘を返せ!」と「我が事」として悲しみ、怒り、抗議してきた人たちが、思い出したくもない過去の傷の痛みや恐怖を再びえぐられながら、今もゲート前に立って「娘を返せ!」と訴えているのだ。


■「祈り」にぶら下がる「批判」違和感の塊

 一方、「悲しんでいます」「祈っています」と国道でパネルを掲げる外国人の方々が、なぜその祈りを家や教会でなく国道で掲げる事にしたのか、誰に対してどのような思いを伝えたかったのか、そしてなぜ、あの1日だけだったのか、(他の日にも他の場所でも、どなたか見かけられましたか?)そこは調べても「県民と共感する」という事以外、ほとんど出てこなかったので、機会があればご本人たちに聞かないと分からないし、その祈りを否定する気もない。


 しかし彼らに共感したからといって、そのリツイートやシェアにぶら下がって、ゲート前で被害者側に立ち「我が事」として抗議している人たちに対して、ネット上で「たった1人の犯罪者を米軍属とひとくくりにするな」「過去の事件と結びつけるな」「政治利用するな」と批判する人たちに、とても大きな違和感と怒りを覚えずにいられなかった。これまでの歴史について無知なのか、無視なのか、言葉にしようとすると怒りが暴走しそうで、私はどうにか「伝わる言葉」で書こうとしたが難しくて、今日まで時間がかかってしまった。


■自分こそが「被害者」「加害者」「当事者」であるという自覚

 まず、被害者となった「私たちの娘」の為に、ただただどうしようもなく、ひたすら祈って下さる皆さんには感謝したい 。その方々の祈りが純粋なものであるという事を信じて。


 それでも私は、これまで何十年も、何百回も、「私たちの娘」が何度も何度も犯され、殺され、傷ついてきた人達の思いに寄り添いたい。ゲート前で抗議している人の中には、基地近くの社交街でお店を営んでいたお母さんを米兵に殺された人、戦争中に目の前で米兵に親兄弟を殺されたご老人、10代の頃に米兵に暴行された事を3年前まで言えなかったという60代ぐらいの女性もいた。ここまで「当事者」として、そして更にその後の事件の度に被害者と共に「我が事として」何度も何度も心の傷をえぐられ苦しみ悲しんで抗議してきて、今また事件は繰り返され、のれんに腕押しで改善されないまま、「再発を止められなかったのは私たちの力不足のせい」と自責の念に苦しみ、それでもまた諦めず抗議せねばならない人々に対して、今ネット上で「たった1人の犯罪者の事件を、基地撤去に結びつけるなんて極端だ、政治利用だ」という人へ、何と言えば伝わるのだろうと悩み悶々としてきた所に、友人がフェイスブックに書いていた記事がとてもしっくり来たので、本人に許可を得て引用する。


例えば1000人程働く会社があったとしよう。

ある日その会社の従業員の1人が事件を起こし逮捕され、会社も管理責任を問われた。

会社は『綱紀粛正と再発防止の徹底』を約束したが、その時、会社で働く人を知る周囲の人々は「事件を起こしたのは〝特別な人間〟で、他の人達は皆良い人ばかり。会社そのものの責任を問うのは筋違いだ」と擁護する声も大きかった。

周囲では「そうだ、そうだ」と納得する人もいた。

しかし、それからしばらくしてまたその会社の従業員が事件を起こし逮捕された。

その時も会社は『綱紀粛正、再発防止』を約束。周囲の人もまた、「組織が大きいのだからそんな人も会社にはいるだろう」と言った。

ところがその数ヶ月後、またもや、同じ会社の従業員が逮捕される事態になった。それでも『会社の責任』は問われないのか。

沖縄の戦後71年の歴史とはその繰り返しなのだ。(引用終わり)


 仮に沖縄にいる米軍基地を「A社」としてみよう。A社による凶悪事件が、44年間で「明るみに出ているだけ」で600件も起きたら、それは批判どころではすまない。そんな会社が隣にあったら、本社でも支社でも、全部なくなってほしいと思うのではないだろうか? それさえも解決になるとは思えないけど、「またA社か!」と言われるのは当然ではないか。もはや自分もA社だとは名乗れない人も出てきてもおかしくない。ましてやその事件は「深夜」でも「飲酒」でもなかったのに、対応策は「深夜の飲酒禁止」、その直後に「深夜の飲酒運転で逆走事故」…この期に及んで、A社トップによる「綱紀粛正」を今さら信じたり、みんな悪い人ではないのに…と擁護したりする人がいるだろうか?


 「鶏肉の産地偽装」でも「研究結果改ざんの疑惑」でも、その会社やその組織の社員、パート、下請け、「みんなが悪い人じゃない」のに、直接被害受けたわけでもない人達が、ネット上でどこまでも叩き続け、追い込んだ。なのに、なぜこんな凶悪な事件をたくさん起こしている組織に対して、直接被害を受けてきた人達の「抗議」が批判されなければならないのだろう?


 そして、A社の社員だからこそ悼み、祈る人もいるだろう。「我が事」として心から苦しみ、辞めてしまう人もいるかもしれない。掲げているパネルには「怒り」や「お詫び」という言葉は見あたらなかったけど、部下や同僚や先輩や友人が起こした重すぎる罪に対して、本気で怒っている人や、お詫びしたいという人もいるかもしれない。その悲しみや怒りが動機となった純粋な祈りを捧げる人たちが、ゲート前で抗議している県民と同じ思いで「共に怒り」「共に悲しんで」国道に立っているとしたら、「米軍みんな悪い人じゃないのに、あの抗議してる人たちは、米軍みんなを悪者にしてひどい」というコメントが勝手に広まっていったら、「違うよ、あの犯人は私たち米軍人・軍属の恥だ。だから、私たちは県民と同じく怒り、悲しんで、詫びたいんだよ、県民を批判する為に立っているんじゃないよ。ゲート前で怒り悲しむ県民と対立を煽るようなコメントは止めてくれ」という人もいるのではないか?と探したけど、残念ながら私にはそのようなコメント返しは見つけきれなかった。それどころか、現役の国会議員や行政区の首長までもが、一部新聞でも報道されているにもかかわらず「なぜマスコミは報道しない」とし、それに対する批判に訂正はしつつも削除していない。「政治利用」しているのは誰か?と聞きたい。


 そんなやり場のない思いが、世界中で真の平和の為に活動をしている退役軍人の会「Veterans for Peace(VFP)」が6月9日に発表した声明文によって救われた。声明はまさに「加害者の自覚」を持ち「我が事」として、「悲しみ」「憤り」「恥」という言葉を含む弔辞から始まっていた。軍人としての経験を持つ彼らの言葉が、このように書かれていた。


 声明文では、日米両政府が繰り返す「再発防止」が政治的パフォーマンスに過ぎず説得力がないと批判。また、軍人は良き隣人であるのと同時に軍人として「効果的な殺人者」となるよう教育される矛盾を抱えているとし、日ごろから非公式に演習場や酒場で「命や女性を軽視する考えが軍曹から伝えられている」と指摘した。(6月9日沖縄タイムスプラス)


 更に「とにかく基地内に逃げ込めば裁かれない」と米兵たちに思わせてしまっている不条理な地位協定の改善を求めた所、今後「軍属」に該当する枠を小さくするというのは、枠内にいる人間の綱紀粛正を強める事ではなく、「もしまた事件が起こったら、枠外の人間は日本で裁いていいよ」というだけの、責任逃れ以外の何物でもないのではないか。


■「奪われた命」を前にした悲しみと怒り、祈りと抗議

 この事件で、最も悲しみ、最も悼み、最も怒り、そして誰よりも心から祈り、渾身の抗議をしたい思いでいるのは、ご遺族ではないか。

 では、「祈り」と「抗議」を対立構造に見せようとしているのは誰か。

 「これまでも米軍人、軍属の事件があったにもかかわらず、また被害者が出た。もう我慢できない。基地全面撤去、辺野古新基地建設反対を願っている。沖縄県民の気持ちが一つになれば可能だと思っている」(5月27日沖縄タイムス)とおっしゃったご遺族に対して「米軍属だからってひとくくりにするな」「沖縄県民の犯罪と比べて○%しかないのに」「政治利用するな」と言えるだろうか? 同じ事件が起きない為に、繰り返されない為に、今やるべき事はそんな対立をあおる事ではない。あなたの家族が、ある日突然被害者に、または加害者になるかもしれない。もう二度と繰り返させない為に、私たちが今やるべき事、できる事は何か。


■良き隣人よ、殺すな、殺されるな

 私たちの隣人である「軍隊」という組織は、そこに所属する人達がどんなに素晴らしい人格で、どんなに素晴らしい活動をしていたとしても、「軍隊」は「ボランティア掃除団体」でも「災害救助隊」でも「パーティー集団」でもなく、「人を人と思う心を殺し、人を殺す為の訓練を職業としているプロ組織」であるという事は、紛れもない事実である事は再確認認識しておくべきだと思う。こんなに優しい人がどうして戦地に行ったら子どもたちまでも撃てるようになるのか? それを知るには「ONE SHOT ONE KILL」「アメリカばんざい」という映画を見てほしい。普通の青年が軍隊に入り、ブートキャンプ中に最初に殺すのは「自分の心」。


 私たちはライブハウスやバーや海岸で出会ったロックやパンクスやパーティ好きの20歳前後の「良き隣人」たちを、1950年代は朝鮮戦争、60年代はベトナム戦争、90年は湾岸戦争、2003年イラク戦争に、「みんな悪い人じゃないのに」戦地に送り出してしまった「加害者」として、1人でも多く、生きて国に返したい。


「君死にたもうことなかれ」

I want you to come back home ALIVE!!


 保革を超えて、国籍や肌の色を超えて、海兵隊員も、米軍属も、6月19日(日)午後2時から奥武山陸上競技場で開催される県民大会に参加してほしいと思う。


KEN子(けんこ)ミュージシャン
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選挙

2016-06-21 10:13:06 | その他
 参議院議員選挙が始まる。日本会議という、宗教右派勢力の改憲策動をどうするかが問われる選挙である。彼等宗教右派勢力に取り込まれた自民党、それに協力するこれまた宗教政党・公明党という、特定の二大宗教勢力に勝手なことをさせてよいのかどうかを選択する選挙である。

 しっかりと自分自身が判断することが肝要だ。

 さて、中江兆民の「選挙人に告ぐ」には、こうある。

 選挙人たる者は決(し)て自己の眼識に依頼せずして他人の折紙に依頼するが如きことあるべからず。唯某省の官吏たりしといふだけにて直に議士に選挙するが如きあるべからず。・・・選挙人たる者はあくまでも自身一己の鑑藻力(=品定めをする力)を信じて少(し)も他人に依頼すべからず。・・・・選挙人たる者その眼を刮り耳を抉り視澄(みすま)し聴澄(ききすま)し、それにて分明ならざれば陰(ひそ)かに他人に問質(といただ)しても必ず探偵せざるべからずは、候補者その人の操守(=『広辞苑』では、「こころにかたく守って変わらないこと」であるが、中国語ではconduct,probity,integrityの意味で、誠実や高潔、品行などの意味。兆民の意図は、中国語のそれかと判断する)これなり

 兆民の使用する漢語は、日本の辞書にはでてこないので、仕方なく、下記の漢英辞書のサイトを使用している。

http://www.linguee.com/english-chinese
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ネットは安倍支持者が多いのか?

2016-06-20 21:38:16 | その他
 こういう記事がある。安倍は、ネットでは憲法改悪を大いに語るのだが、街頭演説では皆無だそうだ。ネットで動画を見る人は、安倍支持者が多いと、安倍は考えているようだ。

https://www.buzzfeed.com/satoruishido/abe-shinzo-constitution?utm_term=.riA0keJpZ#.bynB9LDoE
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福沢から兆民へ

2016-06-20 15:04:03 | その他
 今年、福沢諭吉、中江兆民、田中正造、大杉栄のこの4人と近代日本国家との関係を話す。先日、福沢に関するそのレジメを送付した。その後すぐに、兆民の書いたものを読み始めたが、諭吉とは異なり、それは漢語がふんだんに入れ込まれ、読みにくいことこの上なし。

 手元に、広辞苑や漢和辞典がはいった電子辞書を備えて読み進んでいるが、それではとても間に合わない。ネットで検索すると、中国語のサイトしかでてこない。しかしそれしかない。

 たとえば「峨冠博套」。兆民のこの熟語はなく、ネットでは「峨冠博帯」ということででてくる。

http://baike.baidu.com/view/248190.htm

 この意味で、兆民の書いた文は通じる。兆民は、「惰民」についてこの語を使ってるが、しかしとにかく大変だ。おおよその理解をするしかないようだ。その後も「豚痴鷄呆」がでてくる。意味はだいたいわかるが、これも「惰民」について書かれたもの。

 松永昌三氏は、兆民の研究者であるが、よほど漢文を研究したのだろうと推察する。でないと、とても難しい。
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6000年という時間

2016-06-20 08:33:11 | その他
 原発ででた放射性廃棄物は、10万年保管するという。それははるかに人類史を凌駕する。

 「この6000年で都市文明はどのように地上に広がっていったのか200秒で分かる動画」を見た。

http://buzzap.jp/news/20160619-the-history-of-urbanization/

 10万年という時間の大きさに、今更ながら驚く。人類は、核という手を出してはいけないものを開発してしまった、ということを強く感じる。

 そしてもう一つ、安倍首相は、最大限日本を持ち上げるが、日本の存在も世界との関連の中、客観的に見る必要がある。日本の都市文明の誕生は、きわめて遅い。
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ひょっとして

2016-06-20 07:38:05 | その他
 一昨日の土曜日、研究会の後、懇親会があった。酒を飲まないボクは、話をしながら、刺身やフライ、焼き鳥などを食べた。その日は何もなかった。

 昨日早朝、腹部がどうも気持ちが悪く、しばらくしていうるうちにかなりひどい下痢が始まった。食欲なく、発熱、発汗、そして寒気を覚える。

 ずっと昔、浜松では有名な「鳥善」で鳥の刺身を食べたとき食中毒になったことがあった。そのときの症状とよく似ている。下痢と風邪の症状、そのときに行った医者は「風邪」という診断。薬をもらっても治らない。しかし「鳥善」に一緒に行った仲間から食中毒と判定された人がいて、その人がもらった薬を飲んだらすぐに効いた。

 このときの症状を思い出し、買い置きの薬に食中毒のそれはない。そこで、畑で作ったニンニクをオリーブオイル・少しの塩に包んでレンジでチンした。ニンニクなら効くのではないかと思ったのだ。そしたら、今朝はすべての症状がなくなった。

 ひょっとして食中毒?だったのか。他の人々は、刺身などを食べながらアルコールを飲んでいたから、それで消毒されていたのかもしれないが、ボクは一滴も飲まないので、菌が繁殖したのかしらん。

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聴覚障がい者の犯罪

2016-06-19 22:29:28 | その他
 1942年の戦時下、18歳の聴覚障がい者の男性が、9人を殺すという事件があった。これについては『日本の精神鑑定』(みすず書房)などで知っていたが、最近この事件について言及している本が出版されたという情報を得た。管賀江留郎『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか 冤罪、虐殺、正しい心』(扶桑社)という本である。なかなか高額の本なので、図書館にないかと検索したら、『戦前の少年犯罪』(築地書館)があったので、今日借りてきた。

 この人は、新聞記事をひたすら読み、その記事に基づいて犯罪のデータベースをつくり、この本にまとめたのだが、しかし戦前の新聞記事は、低い人権意識のもと、大げさにおもしろおかしく書かれているものが多い。

 だから、戦前の刑事事件を取り上げる場合は、そうした当時の新聞記事の属性を考慮に入れ、記事そのまま紹介するのではなく、きちんと調べる必要があると思っている。

 さて、管賀江留郎氏(完全にペンネームである)は、この1942年の事件について「2 戦前は脳の壊れた異常犯罪のの時代」のなかに入れている。「脳の壊れた異常犯罪」ということばに、ボクは違和感を覚えるのだが、管賀江留郎氏はこの事件について、新聞記事と『日本の精神鑑定』から事件を組み立てているようだ。
 『戦前の少年犯罪』中の、上記の事件の書き方は、短いけれども、人権に関する配慮に欠けているように思う。

 ウィキペディアを基本的に利用しないが、いちおうこの事件の概要があるので紹介しておく。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E9%80%A3%E7%B6%9A%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 読んでみると、ウィキペディアのほうが、配慮した書き方をしている。
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6/19沖縄県民大会

2016-06-19 21:47:15 | その他
 大会の模様は、ここで見ることができる。

http://ryukyushimpo.jp/pages/page-385.html

 これに対する、米国の対応。なるほど、米国らしい。

http://ryukyushimpo.jp/news/entry-300701.html
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「悪」が集まる自民党

2016-06-19 10:41:58 | その他
 自民党の議員は、国会でも、地方議会でも、質の悪いものが集まっているといわざるを得ない。全国各地で、問題を起こしている。こういう議員を当選させている選挙民の責任でもあるが、日本という国家の民度の低さをあらわすものと断じざるを得ない。

http://buzzap.jp/news/20160618-sugawara-isshu-hate-demagogy/
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「信義誠実の原則」

2016-06-18 22:09:28 | その他
 民法第一条の第二項に「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。」とある。信義誠実の原則、それが見事に破られていた。破ったのは、『静岡新聞』である。

 今日、静岡へ行った。研究会の例会があったからだ。その席で、一冊の本を受け取った。『報恩の碑 義侠の医師 浅羽佐喜太郎と潘佩珠』、著者は柴田静夫氏。旧浅羽町域の歴史の研究家であった。あったというのは、もう亡くなられているからだ。

 柴田氏は、とても謙虚で温厚な方だった。私もこの地域の歴史を調査し、叙述する上でたいへんお世話になった方だ。

 さて、その本を帰りの電車で読んでいたら、「あとがき」にこうあった。「あとがき」の筆者は、柴田氏の娘さんである。

 2003年6月、仲介する方があり、静岡新聞から学芸部のお二人が浅羽町に来られ、同紙に連載( 30回)する、ということになりました。それまで何度も文章にし、またつい先年『浅羽町史 通史編』にも執筆したばかりで、本人としてはあまり気は進まなかったようです。
 それでも、一回1400字ほど、写真1、2点入れる、いうことで、毎回それなりに工夫をこらし、原稿を書きつぎました。父の日記で確認すると、 2003年暮れに第1回の原稿を郵送、最後の第30回の分を送ったのが2005年6月のことです。
 しかし、その間もその後も連載を実現せず、思い切って手紙や電話で問い合わせてもはっきりした返事はありません。結局連載の話はなくなったものとみて、返信用の切手を(大量に)同封して返却を求めた原稿と写真もついには戻ってはきませんでした。掲載できないのならできないと、きちんと言ってくれるべきでした。依頼されて書いたものが、有耶無耶のうちに葬りさられたのです。静岡新聞のこの信義に欠ける対応には、温厚で知られた父もかなり腹を立てていました。晩年の父がこのような目に遭っていたと思うと、私としても、穏やかならぬものが今も胸中に湧きあがります。


 柴田氏が「腹を立てていた」、とある。こんなことをされたら怒りを覚えるのは当たり前だ、しかし私は、柴田氏が怒っている姿は、一度も見たことはなかった。

 この本は、2009年に出版されている。柴田氏が静岡新聞に送った原稿は返されなかったので、その草稿をもとにして編集したのが、この本(私家版)である。

 それからもう7年が経過している。静岡新聞社は、当然、この件に関し、謝罪し、原稿などを返却していることと思う。もしそうでなく、ほったらかしにしているのなら、静岡新聞は、「信義誠実の原則」を踏みにじる会社であることが明確になる。口約束でも、法的には契約は成立している。その契約を一方的に反故にしているのだ。

 静岡新聞関係者の方々、この問題をどうしますか?


 静岡新聞社は些細なことだと思っているかもしれないが、こうしたこと一つでもあれば、同社の信用は落ち、その結果部数が減っていく、これは当然のことだ。


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