街角でねずみつかいをして生計を立てている李という男がいた。雨が降ったり雪が降ったりすると、商売にはならない。だから李はいつも貧しい。生きていくことは苦しいのである。
芥川はこう書く。
何故生きてゆくのは苦しいか、何故、苦しくとも、生きて行かなければならないか。勿論、李は一度もそう云う問題を考えてみた事がない。が、その苦しみを、不当だとは、思っている。そうして、その苦しみを与えるものをーそれが何だか、李にはわからないがー無意識ながら憎んでいる。
李にとって、哲学的な問題は無縁であるが、その一歩手前まで考えはじめているのである。
だがいつも苦しい。李は飼っているネズミにこういう。
辛抱しろよ、己だって、腹がへるのや、寒いのを辛抱しているのだからな。どうせ生きているからには、苦しいのはあたり前だと思え。それも、鼠よりは、いくら人間の方が、苦しいかしれないぞ・・・・
ところがある日大雨に遭って、李は小さな廟に入り込む。そこで仙人にあうのだ。
李は生きてることの苦しさを語り、また乞食のような風情の老人に同情しつつ語りかける。
ところがその老人は仙人であった。廟にあった紙銭をあっという間に金銭や銀銭へとかえ、李は富豪となった。
李は、仙人に、何故に仙人であるにもかかわらず乞食をして歩くのかと問うたら、仙人はこう答えたという。
人生苦あり、以て楽むべし。人間死するあり、以て生くるを知る。死苦共に脱し得て甚、無聊なり。仙人は若かず、凡人の死苦あるに。
仙人は、苦を求めて彷徨っていたのである。
なかなか考えさせられる話である。死があるゆえに生を知り、苦があるが故に楽しみがあるのだ。
だが私はこう思う、死んでしまっては、苦を求めることはできないし、したがってまた、楽しみもなくなる。
生きつづけなければならない。
芥川はこう書く。
何故生きてゆくのは苦しいか、何故、苦しくとも、生きて行かなければならないか。勿論、李は一度もそう云う問題を考えてみた事がない。が、その苦しみを、不当だとは、思っている。そうして、その苦しみを与えるものをーそれが何だか、李にはわからないがー無意識ながら憎んでいる。
李にとって、哲学的な問題は無縁であるが、その一歩手前まで考えはじめているのである。
だがいつも苦しい。李は飼っているネズミにこういう。
辛抱しろよ、己だって、腹がへるのや、寒いのを辛抱しているのだからな。どうせ生きているからには、苦しいのはあたり前だと思え。それも、鼠よりは、いくら人間の方が、苦しいかしれないぞ・・・・
ところがある日大雨に遭って、李は小さな廟に入り込む。そこで仙人にあうのだ。
李は生きてることの苦しさを語り、また乞食のような風情の老人に同情しつつ語りかける。
ところがその老人は仙人であった。廟にあった紙銭をあっという間に金銭や銀銭へとかえ、李は富豪となった。
李は、仙人に、何故に仙人であるにもかかわらず乞食をして歩くのかと問うたら、仙人はこう答えたという。
人生苦あり、以て楽むべし。人間死するあり、以て生くるを知る。死苦共に脱し得て甚、無聊なり。仙人は若かず、凡人の死苦あるに。
仙人は、苦を求めて彷徨っていたのである。
なかなか考えさせられる話である。死があるゆえに生を知り、苦があるが故に楽しみがあるのだ。
だが私はこう思う、死んでしまっては、苦を求めることはできないし、したがってまた、楽しみもなくなる。
生きつづけなければならない。