都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「キスリング展」 府中市美術館
府中市美術館(府中市浅間町1-3)
「キスリング展 - モンパルナスの華 - 」
10/13-11/18

はじめに申し上げてしまうとキスリングは苦手な画家の一人ですが、さすがにこれだけまとめて見ると印象深いものがありました。初期より晩年までの主に油彩、全60点にてその画業を辿ります。日本では15年ぶりとなるキスリングの回顧展です。

展覧会の構成は以下の通りです。時系列に作品が紹介されていました。
1「パリへ、そして戦争へ」(1891-1915)
ポーランドのクフラフにユダヤ人として出生。当地の美術学校で学んだ後、パリへと出る。第一次大戦では仏外人部隊に入隊して戦った。
2「モンパルナスの寵児として」(1915-1925)
戦争で負傷したために退役し、結婚。戦争の激化を受けて南仏へと活動の拠点を移すも、終戦後に再びパリへと戻った。以降、画家としての成功を勝ち得る。(モンパルナスの王)
3「南仏とパリを行き来して」(1925-1940)
南仏に別荘を借り、パリと行き来しながら制作を続ける。第二次大戦にてフランスがドイツに降伏すると、身の危険を感じ、1941年にアメリカへと亡命した。
4「アメリカヘ、そして帰国」(1941-1953)
アメリカでも画家の成功をおさめ、終戦後帰国。1953年に没するまで精力的な活動を続ける。
キュビズムの影響も濃いという最初期の静物画がなかなか充実しています。「果物と水差しのある静物」(1911)では、重厚なマチエールを醸し出す肉厚のタッチがキスリングの画風を示していますが、まだあの独特な色彩はなく、どこか内省的な色遣いでまとめられていました。しかしその後、例えば3年後の「青い花瓶のある静物」(1914)には、早くもまるで蛍光色を用いたかのような輝かしい色が登場します。そもそもキスリングの絵はどこかアクが強く、また対象より放たれる毒々しさや妖しさを見出すことも出来ますが、そのようなスタイルは早い頃の段階で確立していたのかもしれません。

キスリングといえば魅惑的な女性肖像画ですが、まずは真紅なセーターを纏う女性が編み物をする「赤いセーターの女」(1917)が印象に残ります。美しいとするよりもカッコ良いとした方が適切な女性が、かの鋭角的な線で颯爽とまとめられていました。またエコール・ド・パリの絵画ではお馴染みのキキをモデルとした作品、「赤いセーターと青いスカーフを纏ったモンパルナスのキキ」(1925)と「赤いワンピースを着たモンパルナスのキキ」(1933)の二点も見応え十分です。前者では、水色と白のツートンカラーのスカーフを巻いたキキが何やら慎ましい様で描かれ、後者では燃えるような赤に包まれる彼女が大きな眼を見開いて力強く佇む姿が表現されています。そして今回の展示の女性肖像画で白眉とも言える作品が、ちらし表紙も飾る「スウェーデンの少女、イングリッド」(1932)でしょう。凛とした気位の高さと、その後ろに見え隠れする艶やかさは、まさに黒という色の持つ魔力を最大限に生かしています。これは一推しです。

艶やかさと言えば、「女優アルレッティの裸像」(1933)が強烈です。「美しい裸の娘は私に喜びを、彼女を愛したいという思いを、幸せな感情をよびさます。」というキスリング自身の言葉があるそうですが、それを体現したのがまさにこの作品でしょう。あけすけとも評せるほどその全てを露にしたモデルは、頬を少し赤らめながらも、全てを画家に委ねるかのようにして美しいポーズを構えています。そしてそのような彼女を飾り立てるシーツなどの草花の模様も、驚くほど精緻に描き込まれていました。キスリングの愛が絵筆に乗り移った渾身の一枚です。展示のハイライトでもあります。
会期末ということもあるかもしれませんが、会場は結構混雑していました。また府中での会期は明日までですが、この後、23日より名古屋・栄の松坂屋美術館(11/23-12/24)へと巡回するそうです。(11/17)
「キスリング展 - モンパルナスの華 - 」
10/13-11/18

はじめに申し上げてしまうとキスリングは苦手な画家の一人ですが、さすがにこれだけまとめて見ると印象深いものがありました。初期より晩年までの主に油彩、全60点にてその画業を辿ります。日本では15年ぶりとなるキスリングの回顧展です。

展覧会の構成は以下の通りです。時系列に作品が紹介されていました。
1「パリへ、そして戦争へ」(1891-1915)
ポーランドのクフラフにユダヤ人として出生。当地の美術学校で学んだ後、パリへと出る。第一次大戦では仏外人部隊に入隊して戦った。
2「モンパルナスの寵児として」(1915-1925)
戦争で負傷したために退役し、結婚。戦争の激化を受けて南仏へと活動の拠点を移すも、終戦後に再びパリへと戻った。以降、画家としての成功を勝ち得る。(モンパルナスの王)
3「南仏とパリを行き来して」(1925-1940)
南仏に別荘を借り、パリと行き来しながら制作を続ける。第二次大戦にてフランスがドイツに降伏すると、身の危険を感じ、1941年にアメリカへと亡命した。
4「アメリカヘ、そして帰国」(1941-1953)
アメリカでも画家の成功をおさめ、終戦後帰国。1953年に没するまで精力的な活動を続ける。
キュビズムの影響も濃いという最初期の静物画がなかなか充実しています。「果物と水差しのある静物」(1911)では、重厚なマチエールを醸し出す肉厚のタッチがキスリングの画風を示していますが、まだあの独特な色彩はなく、どこか内省的な色遣いでまとめられていました。しかしその後、例えば3年後の「青い花瓶のある静物」(1914)には、早くもまるで蛍光色を用いたかのような輝かしい色が登場します。そもそもキスリングの絵はどこかアクが強く、また対象より放たれる毒々しさや妖しさを見出すことも出来ますが、そのようなスタイルは早い頃の段階で確立していたのかもしれません。

キスリングといえば魅惑的な女性肖像画ですが、まずは真紅なセーターを纏う女性が編み物をする「赤いセーターの女」(1917)が印象に残ります。美しいとするよりもカッコ良いとした方が適切な女性が、かの鋭角的な線で颯爽とまとめられていました。またエコール・ド・パリの絵画ではお馴染みのキキをモデルとした作品、「赤いセーターと青いスカーフを纏ったモンパルナスのキキ」(1925)と「赤いワンピースを着たモンパルナスのキキ」(1933)の二点も見応え十分です。前者では、水色と白のツートンカラーのスカーフを巻いたキキが何やら慎ましい様で描かれ、後者では燃えるような赤に包まれる彼女が大きな眼を見開いて力強く佇む姿が表現されています。そして今回の展示の女性肖像画で白眉とも言える作品が、ちらし表紙も飾る「スウェーデンの少女、イングリッド」(1932)でしょう。凛とした気位の高さと、その後ろに見え隠れする艶やかさは、まさに黒という色の持つ魔力を最大限に生かしています。これは一推しです。

艶やかさと言えば、「女優アルレッティの裸像」(1933)が強烈です。「美しい裸の娘は私に喜びを、彼女を愛したいという思いを、幸せな感情をよびさます。」というキスリング自身の言葉があるそうですが、それを体現したのがまさにこの作品でしょう。あけすけとも評せるほどその全てを露にしたモデルは、頬を少し赤らめながらも、全てを画家に委ねるかのようにして美しいポーズを構えています。そしてそのような彼女を飾り立てるシーツなどの草花の模様も、驚くほど精緻に描き込まれていました。キスリングの愛が絵筆に乗り移った渾身の一枚です。展示のハイライトでもあります。
会期末ということもあるかもしれませんが、会場は結構混雑していました。また府中での会期は明日までですが、この後、23日より名古屋・栄の松坂屋美術館(11/23-12/24)へと巡回するそうです。(11/17)
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