僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

菩提寺山(甲西富士・龍王山)~辰年の最後は龍王山~

2024-12-31 14:31:12 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 今年も数だけはそこそこ山に登ったなぁ~。と年の瀬に2024年登った山を思い出してみますが、低い山ばかりなんですよね。
当方が山登りに行くのは3月から6月頃の春のシーズンと、9月から12月前半までの秋のシーズンで積雪のない時期(山)だけになります。

雪山大好き!と雪山シーズンを楽しみにしておられる方も居られますが、スキルも雪山登山の装備もない当方には雪山はちょっと無理怖いですね。
そもそもが、スノーシューやチェーンスパイク・アイゼンや、グローブ、アイウエア・ピッケルとか必要な道具を所持していないのです。
まぁ登ってみたら数cm雪があったくらいなら有り得る話ですが、ラッセルとかして登ることはないので装備は取り合えずは必要はなさそうです。



この日は午後に用事があり、午前中に下山したかったのでサクッと登って下りれる菩提寺山(甲西富士・龍王山)に登ってみました。
菩提寺山は以前にも登ったことがある山で、何ヶ所か景観の良い展望台があり、353mほどの低山ながら岩場も多い楽しい山行です。
林道を歩き始めると途中に手作り感が満載の水場があり、飲めそうな感じはしないものの、鍋が掛けられていて足場も組まれています。



林道の終点からは登山道になり、岩を削って階段状になっている登山口にはロープが下げられています。
山中で出会った人の話だと、この山は何人かの人が手入れをされているとのことで、山頂までに何本ものロープ場が整備されています。



しばらく進んだ場所には石垣があり、上には何層も石垣が見える。
石垣を見ていると後から登ってきた方が地元の方らしく、詳しい話を聞くことが出来ました。

元々この山には山名にもなっている「小菩提寺」はかつて良弁が開基した寺院があり、金勝寺の大菩提寺に対して小菩提寺と呼ばれていたという。
この石垣のある場所には小菩提寺の宿坊が並んでいたとされますが、織田信長と佐々木六角の戦いによって焼かれて廃寺になったとのことでした。



道は段々と急登や岩場が増えてきて楽しみが増してきます。
菩提寺山は何時間もかけて登る山ではありませんので、多少は急登部があっても疲れる山ではないのが何よりです。



岩が縦に並んだように見える大岩があり、この巨石群は「重ね岩」と呼ぶとのことです。
ここで先述の方が追い付いてこられて“今歩いている場所も土の下は大きな岩で、ここは巨大な一枚岩の上にいるんだ。”と教えてもらう。
山の中にいた間中、何度も追いついたり追い越されたりで、その都度山の説明をして頂いたので、ガイドツアー付き山登りのような感じでありがたかった。



最初に展望が開けた場所からは「十二坊」が望めます。
思えば、まだ登ったことのない山は多いとはいえ、滋賀の低山はいろいろ登ったなぁと山から見える過去に登った山を見て記憶が蘇ることも多い。



菩提寺山の見所の一つに、せり出した岩場へ渡る手作りの橋でしょうか。
渡っても大丈夫かと最初は不安を感じますが、きっちりメンテされているので安定した橋です。



橋に使われている木はまだ新し感がありますし、岩の上には予備の木も準備されています。
こういう手作りのアドベンチャー感ってワクワクしますし、メンテされている方々には感謝の橋です。



橋を渡った先には東展望所という幾つもの巨石が重なるような小さなスペースがあります。
見えているのは菩提寺の町並みや十二坊でしょうか。
それぞれの岩の形の面白さもあって絶景が望める場所です。



ここからしばらくは巨石の間を抜けたり迂回したりと金勝山のような雰囲気があります。
急登や岩場には必ずロープが張られて整備されていますので、岩場の急坂でも難なく登ることが出来ます。



湖東の山を登ると必ず目にすることが出来るのが三上山で、この角度からだと逆お椀型の三上山と女山がよく見えます。
三上山は別称「近江富士」、菩提寺山は別称「甲西富士」と呼ばれ、見る位置によって菩提寺山は富士のような逆お椀型に見えるようです。
また甲西の由来となっている地名は、甲西町が甲賀市の西側に位置することから甲西の地名が付いたのだといいます。



三上山の周辺にはこの菩提寺山の他にも妙光寺山や東光寺日陽山・東光寺不動山や天山などがあり、三上山の見え方がかなり違います。
一時期、三上山が近くに望める山登りをしていた時がありましたが、個人的には菩提寺山や天山もいいけど東光寺日陽山から見る三上山が好きかな。



西に目をやれば、守山の平野の向こうに琵琶湖が見え、その向こうには比叡山。
直下に流れる野洲川は、琵琶湖への流入河川では最長であり、「近江太郎」の通称があるという。



岩場を越えて山頂を目指しますが、岩場は途中でなくなり、木々の間から明るい光が見えてきてゴールが近いことが分かる。
あっという間の山登りとはいえ、岩場や東西の展望台など見所の多い山です。



そして山頂です。
山頂表示が幾つもあり、「菩提寺山(甲西富士)」と書かれているものがあれば、「菩提寺山 別名 竜王山」と書かれているものもある。
何が正しいか不明なものの、一般的には「菩提寺山」が正式で別名が「龍王山」。
「甲西富士」は、「三上山」を「近江富士」と呼ぶのと同じようなもののように思います。



菩提寺山には北峰と南峰の2つのピークがあり、山頂とされて三角点があるのは北峰になります。
知らないと北峰の山頂で折り返してしまいそうですが、龍王の名と深いつながりがあるのは南峰のようです。



南峰には「龍王社」という祠があり、雨乞いの竜神を祀っています。
野洲川は農耕する人からは水をもたらし、時に渇水で水争いが起こったり、洪水や氾濫してきたと考えられます。
「龍神社」は、流域の人々は川を竜に例え、水の恵みを与え、氾濫を抑える龍神として祀り続けてきた祈りの場であったのでしょう。



眼下に流れる野洲川は、御在所岳を源流とし鈴鹿スカイラインと並行しながら甲賀市・湖南市に至り、栗東・守山・草津の平野部を通って琵琶湖に流れ込みます。
野洲川下流では弥生時代中期からの遺跡が見られるという長く人と関わってきた川ですが、水争いや水害がなくなったのはダムや放水路が完成した1980年代頃だといいます。



2024年は辰年で「龍」の年で、来年は巳年で「蛇」の年。
“来年の事を言えば鬼が笑う”という諺はありますが、もう2025年の干支の話をしてもいいでしょう。
ホント、あっという間に年を取ってしまいますね。


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岩の山「金勝山」に登る!-竜王山~後天狗岩~天狗岩~国見岩を巡る!-

2024-12-26 07:03:15 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 年に何度か登るお気に入りの山が幾つかあるのですが、金勝山もその中のひとつになります。
一言で金勝山と言っても全ての登山コースを歩くには1日では足らず、その日に見たい光景によってコースを決めて登っています。

オーソドックスなコースは、上桐生から落ヶ滝~(鶏冠山)~天狗岩~狛坂摩崖仏~逆さ観音~上桐生コース。それに白石峰~龍王山まで足を延ばすコースがあります。
ショートカットコースだと、馬頭観音堂~龍王山~白石峰から天狗岩(鶏冠山)方面または狛坂摩崖仏のピストン。



今回は馬頭観音堂~龍王山~後天狗岩~白石峰~天狗岩~国見岩をピストンで巡り、「後天狗岩」「耳岩」「天狗岩」の巨岩を登る計画でした。
登山口には熊注意!の看板。以前はあった記憶がないけど熊の目撃情報が多くなってきたということでしょうか。
今まで金勝山ではあまり熊は気にしていなかったのですが、急に怖くなって熊鈴をダブルで鳴らしながら山へ入りました。



金勝山は上桐生から登っても、馬頭観音堂から登っても最初のうちはフラットな尾根筋が多く、体慣らしに丁度良い。
歩き始めてすぐに「金勝寺八大龍王本殿」の祠のある場所に到着します。
金勝寺八大龍王本殿は金勝寺鎮守の大野神社の境外社で水の恵みの神。かつては旱魃時に雨乞い行事が行われたといいます。



登山道を進んでいくと「龍王山」への分岐がありますので、龍王山の山頂に立ち寄ります。
金勝山は「龍王山(標高604.8m)」と「鶏冠山(標高490.8m)」の2つのピークがあり、馬頭観音堂から龍王山はあっという間に登頂出来ます。
山頂からの景観はあまりありませんが、山頂表示の板が少し変わったようでした。





さて次は知る人ぞ知る「後天狗岩」へ行きます。
道ははっきりしているものの、この道でいいのか不安になるような道ですが、時々細い枝にテープが巻いてあるのが目印。

以前にも後天狗岩を登ったことはありましたが、こんなに急な岩登りだっけ?と少し足が竦みます。
天狗岩だと万が一落ちても人が多いので何とかなりそうですが、ここでは人に会うことがほとんどないので転落して動けなくなったら...。
想像するだけで怖い。



岩のやや突き出た部分に手を掛けて登っていると、脆い花崗岩ゆえにボロッと崩れて肝を冷やしたりもする。
岩の上は天狗岩ほど広くはないものの、歩き回っていると590mの山頂標識があった。



見晴らしは良いのですが、この日は強い風が吹きつけていたので、不安定な岩の上では体勢を崩してヨロメキそうになる。
西側からの景色は、円錐形の鶏冠山とその奥には琵琶湖も見える。
鶏冠山へ縦走することも出来ますが、急登が続き山頂には景観がないので一度行ったらもういいかといった山です。



元の登山道に戻って歩き出すと、舟形に内刳りされた巨石の中に「茶沸観音」が祀られています。
この「茶沸観音」は鎌倉時代に彫られたと推定されているといい、かつてお茶屋さんがあったことからこの名前が付けられたとも言われているようです。



観音さまは像高24cmと小さな摩崖仏で、如来立像と言われていますが、今となれば「茶沸観音」でよいのではないでしょうか。
誰かお世話をされているのでしょう。色づいた葉とお水が添えられていました。



分岐となる「白石峰」は金勝山の交差点のような場所になっていて、ここを分岐の起点として金勝山の各所への分岐となります。
まずは「耳岩」から「天狗岩」方面へと向かい、岩登りを楽しむことにします。



白石峰から天狗岩方向には道沿いに巨石が増えてきて、写真を撮り始めるとキリがないほど次々と巨石に巡り合います。
巨石好きには堪らない山で、ザレた道と巨石の間を歩いて行くと思わず “コンゼ~♪は 信楽守るヤマ♪”なんて鼻歌を口ずさんでしまう。



「耳岩」なぜ耳なのか未だに分からない名前が付いた巨石です。
上に登ってみましたが、やはりなぜ耳なのかの疑問は解けず、また次の機会に理由を探ってみよう。



登山道沿いの巨石の中でも何か曰くありげに見える岩です。
巨石一つ一つに名前が付けられるようないろいろな形状の岩があり、それぞれの岩に名前を付けて楽しまれている方もいるのでは?



この辺りから見る景色は、手前に天狗岩、次に三上山みたいな形に見える鶏冠山、奥に三上山が見える。
三上山のある野洲の方は雲がかかってきているみたいですが、金勝の辺りは晴れているのでこれはありがたかった。



そうこうしている間に「天狗岩」の真下に到着。
いつもは大勢の人でにぎわっているのにこの日はなぜか閑散としたもの。



「天狗岩」はロープや鉄橋が掛けられているので登りやすいとはいえ、ちょっと誤れば落下して大怪我につながります。
リックをデポして登りますが、先ほど「後天狗岩」に登ったばかりなので怖さはあまり感じずに登ることが出来ます。



高さがあるのに素人でも登れてアドベンチャー気分が楽しめる岩って、この天狗岩だけかもしれませんね。
何年か後には、山には登るけど岩を登るのは自重するような年齢になるのかも知れないと思いつつ今を楽しむ。



天狗岩は下から見ると尖った岩のように見えますが、岩の上から見ると象のお尻のように見えます。
いつもなら人の多い最上部ですが、この日は独り占めです。
ゆっくり散策しても良かったのですが、風が強いので寒いのと岩の端で風に煽られたら怖いので短時間の滞在で下りることにします。



「天狗岩」から下りるとその先へは進まず白石峰まで戻り、まだ時間があるので「重岩」「国見岩」へ立ち寄ります。
今にも落ちそうな姿で重なっているこの岩には、室町期と推定されている摩崖仏が薄く残っています。





「国見岩」まで行き、広場から眺める景色は左に「鶏冠山」、中央奥に「三上山」、右に「天狗岩」と先程とは違った配置で山が見えます。
三上山は、滋賀県のあちこちでかなりの確率で見ることができ、今いる場所が大体どの辺りか図るには最適な指標になる山です。



「狛坂摩崖仏」へは何度も行っているので今回はパスして、「国見岩」で折り返し「馬頭観音堂」方向へ下山します。
下山後に別の摩崖仏へ立ち寄ろうということで「泣き地蔵」に立ち寄りました。



泣き地蔵は栗東市から信楽に抜ける難所の旧道があったため、通行人の安全を祈願して1865年に彫られたものといいます。
右から薬師・釈迦・阿弥陀の3躰の如来像は、長らく草木に埋もれていたものを2014年に現在の形まで整備されたそうです。



金勝山は急登箇所もあるとはいえ、歩きやすい道も多いのにも関わらず、毎回足に疲労が残ります。
山登り以外に岩登りをしますので、いつもとは違った筋肉を使うからだと思いますが、変化に富んで楽しみの多い山です。


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八幡山(鶴翼山)縦走!後編~八幡山・高取の峠・八王子山・北ノ庄山・望西峰・岩崎山~

2024-12-22 15:50:15 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 八幡山(鶴翼山)の縦走は、「八幡城跡」散策から「高取の峠」を越えて「八王子山」までやってきました。
八幡山の全景の写真で見ると、一番左のピークが八幡山(鶴翼山)の山頂で、鞍部を経て2つ目のピークを過ぎた辺りまで来ています。
写真は下山してから撮りましたが、登山時は晴れていた空も下山後には雲がかかってしまいましたので、いいタイミングでの縦走でした。




「北ノ庄城跡」のエリアに入ると城の縄張図がありますが、「北ノ庄城(岩崎山城)」は詳細がよく分かっていない「謎の山城」とされています。
一説には六角氏綱の二男の八幡(川端)左馬頭義昌の居城であったともされていますので、豊臣秀次の八幡城より前にあった城になります。



城跡に入るとまず「土橋」があり、これは空堀を渡るための土の橋だといい、渡ったところで斜めに土塁を上がって城内に入るという。
敵が攻めてきたら土塁の上から矢を射かけて、戦が始まれば土橋を崩して撤去することができる構造になっている。



土橋を過ぎると「北ノ庄山」山頂の「南西側監視台」があります。
ここからは八幡山城・水茎岡山城・星が丘城が遠望でき、毎年11月に開催される「琵琶湖一周のろし駅伝」ののろし上げ会場になっているという。
また、「北ノ庄山」は標高254mの山で別名には「八ツ岩」「深谷山」「鶴尾山」などの呼び方があるようです。



ここには南西側の監視台と南東側の監視台があり、西の湖や安土山が望めます。
有り難いのは西南方向は朝は曇って暗かったが、蜘蛛が消えて太陽の光が差し込むようになり、視界が明るくなったこと。



「北ノ庄城跡」の城内には4つのルートがあり、城跡全てを見て回ることはしなかったが、西土塁ルートを散策してみます。
城跡ファンだと土塁や虎口などが人目で分かると思いますが、城跡に詳しくない当方には説明看板の記述を見て現地を確認することになります。



土地を読む能力が不足していますので、多分これが土塁・空堀だろうとか、ここが虎口のようだという程度しか地形を読み取れない。
開けている広い平坦地は「上段曲輪」といい、約8700㎡の土地には城本丸が建てられていたのではないかと考えられているようです。



直径2mくらいの窪地が六ケ所点在するのは「七つ池」という場所で、豊臣秀吉が飲料水確保のために掘らせたという伝説がある。
また秀次の息女が履き慣れないポックリで足を滑らせて溺死したという悲話が残るという。



北ノ庄城跡を出るとまた展望台があり、ここは「長命寺港展望台」と名が付いている。
長命寺港と名前は付いてはいるが、実際には長命寺港は樹木が邪魔で見えず、水茎岡山城跡や比叡山・比良山系がよく見える。



北ノ庄城跡を出た場所には「北虎口上展望台」があり、西の湖・安土城側と琵琶湖側の眺望が広がる。
いったい何ヶ所の展望台があるのかと数の多さに驚く事となるが、景色は同じように見えても場所は縦走で移動しているので少しづつ違いがあります。





北虎口上展望台から鞍部に向かって急坂を下った後、「望西峰」へと向かう急坂が続きます。
縦走中に急坂の登り下りは何ヶ所かあったものの、この登りが一番きつかったように思え、額にうっすら汗をかきながら登ります。



縦走の間に見た唯一の巨石です。
磐座かと思ったが信仰の形跡はないようでありましたが、湖東の山にしては珍しく巨石があまり見られない山でした。



「望西峰」は「向山」「ボンサン山」などの呼び名があるようですが、八幡山山系のピークの分類は複数あるようでどれが正解か分からない。
いずれにしろこの「望西峰」が標高278mと山系の中では最高点となるのには違いがないようです。



いよいよ最後のピークの「岩崎山」になりますが、ここも標高278mでカッコの中には「向山・望西峰」とあり、どこが正しいか分かりづらい。
看板が新しいので現在はこちらが正解ということかと考えた方が良いのかと思います。



「西の湖展望台」からは西の湖と安土山、その後方には繖山山系(繖山・猪子山・観音寺山)が見える。
あの辺りの山は当方にとっては慣れ親しんだ山で、登ったことのある山を別の山から眺めるのも山登りの楽しさのひとつです。



たくさんあった展望台はこの「重要文化的景観展望台」が最後となり、西の湖とヨシ原の様子を確認することが出来ます。
「近江八幡の水郷」は「重要文化的景観」として文化庁にから選定されています。

滋賀県では高島市の「海津・西浜・知内の水辺景観」「針江・霜降の水辺景観」「大溝の水辺景観 」や東近江市の「伊庭内湖の農村景観」。
米原市の「東草野の山村景観」、長浜市の「菅浦の湖岸集落景観」があり、東草野の山村景観を除けば、琵琶湖や周辺の内湖が対象となっています。



最後に日陰の地味な道を下っていくと「百々神社」の本殿横に下山できます。

「百々神社(ももじんじゃ)」は宇多天皇の時代に長命寺川に架かる橋の下に棲む蛇が行き来する人を悩ましていた。
人々はたまたま通りかかった宇多天皇の第八皇子・敦実親王に蛇を退治してもらい、橋の側に蛇の魂を祀ったのが始まりとされている。
従って主祭神は渡合橋に現れた大蛇となる。来年は巳年ですので来年に向けて少し巳と縁が結ばれたかな?



さて車の方はと言うと「日牟礼八幡宮」にありますので、「百々神社」から歩いて戻ります。
バスの路線ではあるものの、バスに乗り慣れていないので歩きましたが、結局1時間近く歩くことになりました。

「ラコリーナ近江八幡たねや」までが遠い。ラコリーナから「日牟礼八幡宮」も遠い。
せっかくなのでラコリーナでバームクーヘンを買ってお土産にする。



八幡山の山頂から百々神社までの縦走にかかった時間は約2時間で、百々神社から日牟礼八幡宮までが約1時間。
ピークの前後に急坂が何ヶ所かあったけど、展望台が何ヶ所もあり、山の中にいた間は天候にも恵まれました。
琵琶湖と西の湖の景観を楽しむという意味では、お腹いっぱいになるくらい景観を楽しめましたよ。


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八幡山(鶴翼山)縦走!前編~八幡山・高取の峠・八王子山・北ノ庄山・望西峰・岩崎山~

2024-12-19 06:25:25 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 近江八幡市の八幡山(鶴翼山)は標高272mの低山ですが、近江八幡市のシンボルとも言える山で、羽柴秀次の居城があったことで知られています。
秀次の築いた城下町は商業都市として発展し、近江商人発祥の地のひとつとして八幡伝統的建造物群保存地区が現在も残ります。

時代劇の舞台としてよく登場する八幡堀は、かつては近江商人が利用した水運として、現在は観光地として観光に訪れる人が多い場所です。
八幡堀の横には「左義長まつり」「八幡まつり」で有名な日牟禮八幡宮があり、神社は八幡山縦走のスタート地点になります。



日牟礼八幡宮は主祭神に誉田別尊・息長足姫尊・比賣神を祀り、室町時代には足利将軍家や六角氏より寄進を受けたという。
秀次の時代には八幡山城を建築するため山頂から麓の社に合祀したといい、近江商人の守護神として八幡さんは崇敬を集め現在に至ります。



日牟礼八幡宮をスタートして山を縦走して百々神社に下山する予定ですが、百々神社から日牟礼八幡宮へのロード歩きが1時間ほどかかります。
そこで何度か登ったことのある八幡山まではロープウエイを利用してショートカットで4分間の観光の旅です。



山頂に到着するとまず「西の丸址」へ向かいます。
天気は良かったものの気温は低く、風が強い日でしたので帽子を飛ばされそうになりながら景色を撮ります。

眼下には平野が広がりその向こうには青い琵琶湖。
右は長命寺山で左は水茎岡山城跡、対岸の比良山系もこの日は綺麗に見えていました。



平野部に目をやると、右奥に比叡山が望め、左に三上山が見えます。
この山を縦走すると何ヶ所も展望台があるので、山の上からの景色を楽しみたい人には打ってつけの山です。



山の下からも目にすることが出来る出丸跡の石垣は、1585年の築城当時のものだといいます。
石垣の周囲が登山道になっているのですが、冷たく強い風に吹きさらされて中々の苦行でした。



出丸跡の石垣の進行方向には三上山。戻ってくると今度は長命寺山が見えます。
ここから見る琵琶湖は、対岸に比叡山と比良山系が見えるのですが、琵琶湖の水面が青く見えたのがこの日の特典でした。





城跡を石垣に沿って進んで行くと八幡山(鶴翼山)の頂上に着きます。
山頂は271.9mとあり、山頂部の城跡を一周すると約30分くらいの散策コースになっているようです。





山頂部で「西の丸跡」から「出丸跡」を経て「北の丸跡」に行くと、今まで見えていなかった「西の湖」側が見える場所があった。
朝のうち西南の琵琶湖側は晴れていたものの、東南側は曇り空。
手前は晴れているのに安土の辺りは曇ってるので、景色は雲のご機嫌次第ってところになるかな。



北の丸跡からは石垣に沿った道を歩いて行き、分岐から登山道に入ります。
八幡城跡では何組かの観光客が城跡を散策されたり「村雲御所瑞龍寺門跡」に参拝されたりしていましたが、ここから先は一人っきりでした。





分岐から先は歩きやすい城跡とは打って変わって、登山道へと変わります。
少し紛らわしい場所があったが、いくつもテープが貼ってあって分かりやすい道なのでコース通りに登れます。



「北ノ庄沢展望台」からは紅葉の残る山の向こうに西の湖が見えます。
この辺りにはシダが多いため、シダと紅葉がグラディエーションになっている。



登山道はアップダウンを繰り返しながら3つあるピークの前後は急坂となる。
しかし道は整備されていて各所にロープが張ってあるので登り下りの時に頼りになります。
坂以外の道は尾根筋になり、道の両方に低木が生えているため風を遮ってくれるので、急坂ではむしろ汗ばんでくる感じであった。



「高取の峠」を越えて、まず最初にあるピークは「八王子山(標高220m)」となる。
この八王子山の山頂からは長命寺山と奥津山がよく見え、対岸の比良山系がよく見えます。





八幡山(鶴翼山)縦走!はまだまだ続くのですが、長くなりそうなので前編と後編に分けます。
後編は「北ノ庄山」から「望西峰」を経由して「岩崎山」へ縦走して、百々神社へ下山します...続く。


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湖東の紅葉!~リフレクションと水晶玉の世界~

2024-12-13 06:30:00 | 風景・イベント・グルメ
 今年の紅葉は色づきが遅れているようでしたが、そろそろ見頃かな?と紅葉狩りに行ってみたらジャスト・タイミングで見頃を迎えていました。
紅葉は、色づき具合・天気の光加減や太陽の位置、落葉の状態など条件がいろいろある中で、色づきと光の加減は丁度良い時に恵まれたのではないでしょうか。

近年は、紅葉に限らず青紅葉や庭園のリフレクションが写せるようにされている所が多く、床や机の上には鏡面のシートが準備されていました。
みなさん机の上にカメラを載せたり、床に転がってリフレクションの出る位置を探したりします。



今回はリフレクションの紅葉を水晶玉に写し込むという技を教えて頂き、撮影することが出来ました。
紅葉はリフレクションで撮影するとスマホでも雰囲気が出るものなんですが、さらに水晶玉に写し込めば景色は反転する。
教えて頂いた上に撮影までさせて頂いた方には大大大感謝!です。



社務所の間での外にある大きな紅モミジの木はまさに今が見頃。襖絵のように見える艶やかな色づきです。
黄色く色づいたモミジと黒い幹や障子の枠との対比があり、グラディエーションも楽しめます。



障子4枚をリフレクションで撮ってみました。
額縁の中に描かれた絵画のような雰囲気がありますが、ガラス障子の上の部分が摺りガラスなのも雰囲気を出しています。



紅く色づいた方のモミジのリフレクションを社務所の方に教えてもらって、寝転がって撮ってみる。
順番を待ってカメラを持った方々が次々に寝転がって撮影している面白い時間でした。





次は部屋の中で寝転がる方向を変えて黄色いモミジを撮ります。
その場に居た人は状況が分かっているから良いものの、後から来た人は人が交互に寝転がって撮影しているのを見てさぞや驚かれたことでしょう。



犬上川は水量もそこそこあって、削れた川岸の岩々に迫力があります。
安全のためか、川岸へ下りることが出来なくなっていましたのは少し残念でした。



せっかくなのでもう一カ所、紅葉スポットに立ち寄ってみます。
この位置から見える木々は紅葉しているのですが、この角度からは日陰になって色合いが出ないのが惜しい。



長閑な参道には紅いモミジが覆いかぶさり、奥には黄色や橙色の紅葉の奥に銀杏の大木が見えます。
神社や寺院の境内に銀杏があることが多いのは、銀杏は貯水性が高い樹木なため防火の役割があって多いのだとされます。



石段の上には紅や黄色や橙色に緑の葉がグラディエーションを作り、カラフル!と声に出しそうになるような美しさです。
真上を見上げてみたら絵の具で描いたような色彩ですが、これは人が絵の具で描くより美しいのでは?と感じてしまいます。





鐘楼の周辺のモミジは横にある石段にある紅葉共々、色鮮やかな紅葉に囲まれています。
まだほとんど落葉していないので、次は落葉した紅葉の時期へと変わって行くのでしょう。





2躰のお地蔵さんの後方には銀杏の木。
境内奥にある銀杏の大木より樹齢は若いと思いますが、地蔵と銀杏の黄色い葉の組み合わせは今だけ見られる光景です。



寺院へとつながる舗装道は彩りの道。
自然が醸し出すカラフルさは人為的には作り出せないものだと思います。



次の週末は天気が崩れる気配ですので、今年の紅葉はこれが最後かな!?
とはいえ、今年の紅葉にジャスト・タイミングだったようで運が良かったな。


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太郎坊山(赤神山)は紅葉に染まる!~「太郎坊だんご」に舌鼓~

2024-12-08 17:00:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 紅葉のシーズンも終盤に差しかかり、急に思い立って「太郎坊宮(阿賀神社)」の紅葉を見ようと車を走らせました。
道中は曇り空でしたので心配しながらの走行だったものの、到着とほぼ同時に空は晴れに変わり、天気予報も当たるもんだと関心する。

車を停めて歩き出すと紅葉で色づいてカラフルになった赤神山に見惚れることになる。
太郎坊宮に向かって歩いている人は、顔を上にあげて柔らかい表情をされている方が多いので、美しく染まった山を見て心が和んでおられるのだと思う。



下から眺めると雑木が多いのか黄土色の雑木紅葉が多く見られるが、山の中に入ると紅く染まったモミジが多い。
色の染まり具合も見事ですが、赤神山の南峰の剥き出しの岩や参集殿がアクセントになって見映えがします。



よく観光写真に使われているアングル(紅いモミジと黄色い銀杏の後方に赤神山が見える)がどこか探してみたものの一致する場所は見当たらない。
角度的に合っていると思われる場所に銀杏はあったがモミジがないので、おそらくかつてはあったが折れたか枯れたかで無くなったものと思われます。



太郎坊宮や赤神山には参拝や山登りで何度も訪れていますが、紅葉の季節は初めてでこんな綺麗だったのかと驚く。
今までここを知らなかったのは損したなと思うくらいの見事な紅葉です。



太郎坊宮へはまずは赤神山 成願寺への石段を登ります。
石段は742段あるといい、一番上の阿賀神社(太郎坊宮)は勝運の神様をお祀りしていますので、勝運に恵まれたかったら石段を登りきれということになります。



参集殿のある所まで登ってくると今が見頃の紅葉が出迎えてくれます。
色彩豊かに鮮やかに色づいた紅葉は一瞬のキラメキの後、静かに散っていき、ある意味で桜の開花と散り際にも似た感性を感じます。
それだけ自然や季節の微妙な変化を日本人は愛しているということなのでしょう。



石段を上から振り返ってみると、紅葉が覆いかぶさる石段の下に団子屋さんがみえます。
初詣の時期にもこの「ふる里」の「太郎坊だんご」のお店が出ていますが、紅葉の時期にも出店されているようで団子はよく売れていましたよ。



石段を更に登ると「龍神舎」という御神水の井戸があります。
この井戸の横から縦走登山が出来るのですが今回は見送って紅葉を楽しみます。



「阿賀神社」の本殿の前にある夫婦岩は、神の霊力によって切り開かれたといい、高さ数十mの2枚の巨岩があります。
夫婦岩の間の道は、善良な者が通れば願いが叶い、邪悪な者が通れば岩に挟まれるという伝説がある。



幅80cm長さ12mほどの間道を通ったが、幸いにして挟まれることはなく当方が善良な人間であることが証明されました。
と冗談はさておき、いろんな場所で岩の間をすり抜けたりしているので幅80cmもあれば結構余裕があるように感じました。



通り抜けた後、振り返って夫婦岩を見る。
滋賀県の湖東地方から湖南地方にかけては巨石が多く、また磐座として祀られている場所も多いので巨石の宝庫と呼べるかと思います。





本殿に参拝して見晴台に出ると、紅葉した黄色い葉と赤い実を付けたタマミズキと湖東平野が見降ろせます。
タマミズキは初詣の季節だと赤い実だけが残っていますが、今の季節だと黄色く紅葉した葉が残っていて、これは初めて見る光景でした。





裏参道から下りてくると咲いている花がありましたが、モチツツジの狂い咲きのように見えます。
花の少ない季節ですから、美しく咲いている花を見ると穏やかな心持ちになれます。



というところで、“花(紅葉)より団子”とはいいませんが、紅葉を充分に堪能したのでお腹が減ってきました。
団子は「みたらし団子」「黒蜜きな粉団子」「抹茶団子」がありましたので、普通のみたらしと抹茶を注文。

もちろん一人で6本食べるわけではありませんが、食べ比べると抹茶団子の方が好きかなという感想です。
初詣の時に並んで食べる場所が空かないので持ち帰ることがありますが、今のシーズンは空いている場所があるので暖かいまま食べれます。



駐車場まで戻って山を振り返る。
何度も登った山だが、右から太郎坊山~箕作山~小脇山~十三仏が連なり、4山の縦走が出来ます。



縦走路は変化が多くて楽しめるで縦走路ですが、十三仏から太郎坊宮前まで戻って来るロード歩きが結構長い。
この日もそのルートを歩いているらしい二人組を見掛けましたが、天気に恵まれて楽しそうにおしゃべりしながら歩いておられましたよ。


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「輝く個性! こだわりストたちの世界」-たいぞう×Abeille'sアーティストコラボ展-~近鉄百貨店 草津店~

2024-12-06 07:18:18 | アート・ライブ・読書
 芸術家プロダクション“アベイユ”は、障がいのあるアーティストのマネージメント・プロデュースを行い、アーティストたちの社会参加をサポートする会社です。
この秋に長浜市で開催されたアート・イン・ナガハマでアベイユの存在を知った際に近鉄百貨店 草津店で原画展が開催されると教えてもらい、近鉄百貨店にやって来ました。
今回の美術展では吉本興業とアベイユのコラボ展となっており、吉本興業の“たいぞう”さんとアベイユ所属の8人の33作品が展示販売されています。

アベイユでは作品の展示販売だけでなく、作品を使ったグッズの販売しており、収益から作家にデザイン使用料が入る仕組みを作られているそうです。
たいぞうさんは、以前は吉本新喜劇などで活躍されていたお笑い芸人だったといい、現在は画家としての活動がメインになっているようです。



会場は近鉄百貨店 草津店2Fのアカリスポットというスペースで開催されており、会場内には原画やアーティストのグッズが並びます。
作品はそれぞれのアーティストの個性豊かな作品が並び、コンセントをデザインしたスペースの印象も良く、明るい感じのする美術展でした。



展示されている原画は各アーティスト3~4点といったところで、楽しい感じのする絵が多かったように思います。
作家さんの中にはイラストレーションなどを学ばれた方も居られますので、アールブリュットの定義で括られない自由な表現の作品揃いです。



カラフルで精密な絵を描かれる“あん”さんは、まだ20代前半の女性で絵以外にも詩を創作され、両部門で賞の受賞歴があるそうです。
左の「コレクション オブ パーソナリティ」と題された大きな絵には無数の花が描かれ、様々な個性のものが凝縮されているような作品です。



一方で「コーヒー豆」という作品では膨大な量のコーヒー豆が画面いっぱいに描き込まれています。
中央にある“coffee”と書かれているのはコーヒー豆の入ったカップでしょうか?なんか気になるパーツですね。



モチーフの中に升目状にカラフルな色を塗り込んだりする作品はアールブリュットの作品感を感じてしまいます。
「たけのこ!」という作品は、たけのこというよりも違う物体にも見えますが、タイトルに「!」が付いていて元気よくはじけた感じを受けます。



奥山優さんという作家さんも20代の若い方で、幼い頃から動物をモチーフにして絵を描いてこられたという。
独特の明るい色彩を使った漫画チックな感のする絵からはほのぼのとした優しさを感じます。



左はバクの絵と思われ、タイトルは「素敵な夢をあなたへ」。右のフレンチドッグも何とも言えない愛嬌とデザインの良さを感じます。
真ん中の絵は「赤✖黒」という絵で、ヤギのような動物を対照的な色使いで描き分けられています。



今回、もっとも楽しみにしていたの長谷川良夫さんの絵で、3点の原画が展示されていました。
長谷川さんは重度の障がいを抱えられているため、元々は全身が硬直して筆を持つことが出来なかったので最初は足に筆を挟んで描かれていたのだという。
現在は少し手が動かせるようにはなったが、机などに置いた肘と同じ高さで手先だけを動かして描かれているそうです。



上の絵は「ごろ寝」という絵で猫?がまどろみながらごろ寝していますが、目はこちらを見ていて、のんびりとして安心した様子が伺われます。
舌は「無題」という絵で、長谷川さんは絵本では社会の不条理さや自分では思うようにならない憤りを絵と言葉で表現されています。



力強くもユーモラスな感じがするのはキリンの絵のようです。
このキリンがどういう心境なのかは、見るこちらの方の心理状態によって大きく変わるのかもしれませんね。



同じキリンの絵でも羽戸康貴さんの描くキリン(写真一番左)は同じキリンでも全く印象が異なります。
右のアニマルの「アムール」「ルームア」絵は表裏になっていて、表側には像の前にトラやライオンがいて、裏側にはワニがいる。
キリンとカバが表裏で部分的に見えるのも面白い構図ですね。



羽戸さんは幼少の頃に岡本太郎の「太陽の塔」を見て衝撃を受け絵を描き始められたそうですが、「怒」という作品は“芸術は爆発だ!”と力強い。
羽戸さんは力強くラフな感じのする絵から描写力のある絵まで幅広い作風の方のようで、好きな音楽アーティストのジャケットデザインを手掛けるのが目標のようです。



たいぞうさんのコーナーには極彩色の色鮮やかで可愛い感じの作品が並びます。
たいぞうさんは大人になってから発達障がいであると診断されたといい、大阪府障害者芸術・文化大使を務められているそうです。



今回展示されていた作品はケースに納められているので白紙の部分がありますが、普段は白紙部分を埋め尽くすように描かれるといいます。
展示作品でも横側(厚み側の面)にもびっしりとマークのようなものが描かれており、その傾向が伺われます。



さて、美術展を見終えた後はもう一つ楽しみにしていた「551蓬莱」で遅めの昼食を取りました。
以前から食べに行きたいと思いつつ縁がなかったのですが、やっと食べれた蓬莱では「海鮮飯」を注文。もちろんお土産に豚まんも購入です。



普段スーパーで買い物をしますので、デパ地下(1階だけど)で買い物する機会はあまりありませんが、購買意欲をそそるような食品が多いのに驚きました。
もちろんお値段もそれなりの値が付いていますので、買えずに通り過ぎましてけどね。


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ボーダレス・アートミュージアムNO-MA20周年企画 vol.2 ボーダレス ー限界とあわいー

2024-11-30 07:20:20 | アート・ライブ・読書
 ボーダレス・アートミュージアムNO-MA美術館の20周年企画のvol.2は『ボーダレス ー限界とあわいー』展でした。
今回の企画展はフォークシンガーの小室等さんが企画され、詩人・谷川俊太郎さんの詩と音楽がミックスされた美術展となっています。

会場内に流れて、ヘッドフォンによるリスニングも出来る音楽は谷川賢作さんの音響デザインによるもので、常時流れている詩の朗読は佐野史郎さん。
普通の美術展とは少々趣向の異なるこの企画展には7人の作家の絵やオブジェが展示され、多様性に富んだ音・絵・言葉が交差する空間になっていました。



入館して最初のスペースには辻勇二さんの絵「心でのぞいた僕の街」と谷川俊太郎さんの「死んでから」という詩が展示されています。
「死んでから」はもう一つの詩と口語に会場内で繰り返し朗読され、環境音楽のような音楽も流れている。



辻勇二さんは、記憶と空想が混在したような架空の街を鳥瞰図で精密に描かれます。
5点の絵は制作年代は違うものの、全て「心でのぞいた僕の街」というタイトルが付いていて、夢の中で鳥になって見た風景とでもいうような作品群です。



西岡弘治さんは、楽譜を模写することで作品を生み出されているというが、描き進むにつれ絵は歪みはじめて、独特の構図の絵になっていくようです。
絵と一緒に展示されているのは「ジョン・レノンへの悲歌」という詩で、死を前にしたジョンへの悲しみを感じる詩です。



描かれた譜面がどんな音を奏でるのかは分かりませんが、どことなくユーモラスな五線譜作品からは可愛いさが伝わってきます。
譜面を模写する際に好きな音楽の楽譜を選んだりされるのか気になるところですが、音符を読むというより、音符の流れの美しさで選ばれているのかもしれませんね。



さて、個人的に一番の目玉作品は、塔本シスコさんの大作3点です。
塔本シスコさんは本格的に絵を描くようになったのは53歳で、その後92歳で亡くなるまで描き続けられました。

シスコという名は、養父が自身のサンフランシスコ行きの夢を託して命名された名で、大正時代にしてかなりモダンな名前です。
家庭の事情から小学校を中退して20歳で結婚、46歳の年には夫が急逝するも53歳より絵を描き始めます。



絵は幼少期の故郷の思い出や家族(夫と過ごした日々や一男一女の子供や孫たち)、近所の公演や自宅で見た花や生き物たちが色鮮やかに描かれる。
「私の窓からのながめ(1995年)」は、シスコ・パラダイスとでも呼べる華やかな対策ですが、阪神・淡路大震災の余震が続く中で描かれたという。

「アロエの花(2004年)」は晩年を迎えたシスコさんが描いた絵。
この当時、91歳を迎えたこともあって絵の華やかさや力強さはなくなって、アロエの花が最後の命が燃えているような印象を受ける絵です。



「自分で植わったカボチャ(1998年)」は、自宅の庭か家庭菜園かで勝手に育ったカボチャを絵にしています。
花々が咲き誇り、身近なパラダイスのような絵ですが、実になったカボチャの上にはカマキリの姿が見えますね。



絵を見て音楽が耳に入ってくるなかで詩が朗読されているが、詩は詩を効くというより断片的に言葉が響いてくる感じです。
あちこちに詩が文字として描かれていますので、絵を見るように詩を読む。



2階への階段には古賀翔一さんの立体作品が並べられています。
古賀さんは最初に新聞紙で体のパーツを造って、セロハンテープで貼り固めて人形のオブジェを制作されるそうです。
作品は階段の隅などに置かれてあり、妖しい気配を感じるとそこにオブジェがあるといった感じです。





2階の和室にはソファが3つ用意されていて、ヘッドフォンで音楽や絵本の朗読を聞きながらくつろげる空間です。
絵本は平和や人の死がテーマとなっており、音楽を聴きながら谷川俊太郎さんの詩と3人の絵本作家の絵に埋没していってしまう。



信楽青年寮に暮らす村田清司さんの絵は、パステル調の色彩で暖かさを感じるやさしいタッチの絵です。
村田さんは田島征三さんと何冊か絵本を出版されているそうです。



村田さんの絵は展示されていた10点ともタイトルは「無題」ですが、なんともいえない味わいのある絵を描かれます。
思いのまま、心の赴くまま筆を進めて描いた結果、こういう絵になったと思われ、そこに作為的なものはないのでしょう。



紙をホッチキスで留めて立体的な家を作るのは後藤拓也さん。
自宅をリフォームした時に内装・外装・水回りの工程を見たことが作品制作のきっかけになったという。
子供の頃に頭の中に描いた設計図で紙工作をした記憶が蘇る作品です。





NO-MA美術館では小室等さんらが出演するイベント(ライブやトークショー)が企画されているようです。
以前に大津プリンスホテルで開催されたアールブリュットのイベントで小室等さんと東大の教授の福島智さん(盲ろう者)のトークイベントの記憶が蘇ります。

土砂降りの雨で蔵へ行くのにも難儀しましたが、中庭に展示されていた詩は駆け足で蔵に行ったので読み切れず。
蔵では展示されていた絵の画像と詩の朗読とエンドロール風に流れ、静かに響く音楽が暗い蔵の中で今日の復習のように空間を作っていました。



会場に置いてあった3冊のうちの1冊が販売されていたので購入。(文:谷川俊太郎、絵:noritake)
平和な時と戦争の時をシンプルな絵と言葉で表現されており、どんな状況(戦争でも平和でも)にあっても人も赤ちゃんも太陽も同じであると訴える。
描かれた絵と短い言葉に心が締め付けられるような作品です。

 

ところで、『ボーダレス ー限界とあわいー』展に訪れたのは谷川俊太郎さんの訃報を聞く前でした。
まさか開催中にお亡くなりになるとは誰も考えてはおられなかったでしょう。

詩と絵本、音楽とアールブリュット。
シンプルな言葉が訴えかける力や深みやその余韻。
楽しさやわけの分からなさも含めて、もう少し谷川さんの詩を感じてみたいのでもう一冊読んでみる。




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小谷城シャトルバスで戦国タイムスリップ!

2024-11-25 07:30:30 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 小谷城では毎年春と秋にシャトルバスが運行しており、城跡では観光ガイドの方を語り部として小谷城についての解説が聞けます。
いつもならシャトルバスを降りたら小谷山山頂のある大嶽城跡まで行くのですが、今回は家族と一緒でしたので山王丸跡まで行って折り返しました。

小谷山は低山ながら熊出没注意!の看板のある山ですが、シャトルバスが運行される時期は山中に人が多く、安心して散策出来るのが助かります。
また普段バスに乗る生活をしていませんので、バスで林道を登っていくと観光気分にひたれるのもこの企画の好きなところです。



絵図では麓から現在地と記載された“番所”までシャトルバスで登り、そこからは各ポイントでガイドさんの説明を聞きながら“本丸”まで進みます。
“本丸”で説明は終わりとなりそこで解散しますが、すぐ下りてしまうのも勿体ないので、中丸~京極丸~小丸~山王丸まで行きました。



まず絵図を見ながらガイドさんの城跡全体の説明があり、その先は山道を登りながら説明を聞きます。
ガイドさんが子供の頃の小谷山は松茸が豊富に採れた山で、松茸の季節には弁当のおかずに松茸が入っていたと羨ましい話をされていました。



登り始めてすぐの場所に眺望の良い「虎御前山展望所」があります。
眼下には虎御前山、琵琶湖の手前にオオワシの居る山本山、琵琶湖には竹生島が見渡せます。
湖北では珍しい爽快な晴天に恵まれて視界は良好、空と琵琶湖のブルーが美しい。



城郭の主要部への入口となる場所には「番所跡」があり、ここは検問所の役割があったといいます。
もし番所の入口を突破したとしても、その上部にある曲輪から攻撃されるので、正面突破は困難な堅牢なお城ということになります。



「御茶屋跡」は茶屋でもあったような優雅な名前をしているが、実際は軍事施設だったようです。
主郭の先端にあり、番所を怪しいものが突破すればすぐに攻撃できてその先には進めない。



「御馬屋跡」への道は三方を高い土塁で囲まれていて、ここまで突入してきても崖下へ追いやられ逃げる場所がなく討たれてしまいます。
番所や御茶屋を抜けられてもここで攻撃されて、先へ進めたとしてもごく僅かな人数になってしまうと説明がありました。

御馬屋跡には井戸跡があり、雨水などを溜めて籠城しても水が得られるようにしていたそうです。
しかし、数千人もの人が必要な水は雨水だけでは得られず、清水谷というところから汲み上げてもいたという。



ガイドさんに付いて20名少々が説明を聞きますが、止まって話を聞いていると少し寒さを感じる。歩いている時は心地よい天気なのですけどね。
小谷城は浅井氏滅亡後に羽柴秀吉らによって完膚なきまでに破城されたといい、この周辺にあった石垣は跡形もなく消えて、隅石だけが残っています。





眺望が開けた場所に出ると、横山や伊吹山に姉川の堤防が見えます。
「姉川の戦い」は“血原”や“血川”が地名に残ったりした血生臭い激戦だったと伝わります。
が、ガイドさんの話だと姉川の戦いは朝倉・浅井軍の奇襲があっただけで、大きな戦ではなかったとの説があるとも言われていました。



「首据石」は浅井家初代・亮政が六角氏との合戦の際、敵に内通していた家臣の今井秀信の首をこの石の上に晒したと伝わる石です。
戦国時代は下剋上・内通・裏切りの時代にあって、裏切り者は見せしめの意味で裏切ったらこんな仕打ちを受けるということを示したのでしょう。



かつてここに門があったことが容易に想像出来る両側にある巨石と真ん中にある石段は「黒金門跡」。
VRでは往年の黒金門は扉に黒金(鉄)を貼った門扉ではありませんが、門扉など関門の仕組み全体を「黒金門」と呼ぶことがあるそうです。





「桜馬場跡」には浅井家家臣供養塔があり、崖側まで行くとパノラマが広がる展望所があります。
桜馬場から見る景色はお市や浅井三姉妹が眺めた姿と、400数十年たった今でも変わりないのかもしれないと思わずにはいられない光景です。





さてガイドの最後は「本丸跡」です。
いまは石垣の一部を残すのみですが、VRでは上下2段の城で安土城建築以前の山城の姿がバーチャルの中で再現されています。
また城の後方(大広間跡の反対側)には尾根を寸断して作られた巨大な大堀切があり、重機のない時代に人力で作った労力に驚かされます。





ここから先はガイドなしでの散策ですが、まずは「中丸跡」を通り抜けます。
中丸は大堀切の北側にあって三段からなる階段曲輪となっており、上段には「刀洗池」という井戸跡が残ります。



「京極丸跡」は京極氏(浅井氏の主家)の屋敷があった場所とされ、大広間に次ぐ広大な曲輪だという。
小谷城は正面から攻めると難攻不落の堅固な山城ですが、秀吉は調略で仕入れた情報から城の裏側に侵入して浅井久政と長政の間を分断したという。
策略家の秀吉の戦の巧妙さは、正面からの攻撃には強くても後方から攻められると弱いという小谷城の守りの盲点を突いた作戦勝ちだったのでしょう。



「小丸跡」は2代城主・久政が居住していた所とされており、秀吉の攻撃によって長政軍と分断されてしまった久政はここで自刃したとされます。
時に久政49歳、長政享年29歳。ガイドさんの話だと長政は歴女に人気が高く長政が自害した「赤尾屋敷跡」には長政の命日に訪れる歴女の方がおられるとか。



「山王丸跡」は4段から成る詰めの曲輪とされ、崩れてはいるが石垣の一部が残っている。
矢印に「大石垣」とあり、そちらへ行くと高さ5mほどある石垣が往時の姿を偲ばせる。

大石垣は規模で本丸の石垣を上回るといい、石垣は浅井氏の権力の象徴でもあったという。
それ故かどうかは分かりませんが、秀吉が石垣の大半を完膚無きまで破壊し、痕跡すら残さなかったのにも意味があったのかと思います。





「山王丸」は主郭部の最も北にあり、名前の通り山王権現が祀られていたとされる場所です。
山王丸から大嶽城跡(小谷山山頂)への道の途中には「六坊」という6つの寺院があり、この一帯は神と仏が祀られていた場所になります。



11月は小谷城スマートIC利用促進キャンペーンで「秋の紅葉散策✖小谷城スマートインターチェンジ利用キャンペーン」が開催中でした。
高速道路を利用して小谷城ICから降りれば、シャトルバスの料金の割引・カフェのコーヒー2杯無料券・御城印2枚プレゼントの特典があります。
キャンペーンをフルに活用しましたので総額2000円分のプレゼント特典を頂くことが出来ましたよ。


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「人生はボーダレス! 作家たちの今と回想録」~ボーダレス・アートミュージアムNO-MA20周年企画vo.1~

2024-11-21 06:06:06 | アート・ライブ・読書
 ボーダレス・アートミュージアムNO-MA美術館は開館から20年を迎えるといい、滋賀県とアールブリュットの深く長い歴史が感じられます。
当方は2015年にぶらりと立ち寄ってNO-MA美術館を知ってアールブリュットの魅力にとりつかれて以来、沢山の作家さんの素晴らしい作品に出会うことが出来ました。

今回の企画展はキュレーターだった「はたよしこ」さんに同行していたカメラマンで、現NO-MA館長の大西暢夫さん始めとする方々の作家との出会い・再会の軌跡でもあります。
かつて出会い撮影した作家たちが20年の間どのように過ごしてきたかを聞きたいと企画た本展では、過去に取り上げられてきた7人の作家の現在と過去を見つめます。



館内は1F・2F・蔵の3ヶ所に分かれていて、それぞれの作家がブースのようにコーナーを構えて、作品展示やプライベート的な写真が展示されています。
入ってすぐの場所にブースのある宮間英次郎さんは自分自身が作品と化すパフォーマーといえます。
またガラクタ(愛着があるモノなのでしょう)を集めて並べたオブジェの数々。



大きな帽子にド派手な衣装。人形やら花やらを付けて横浜の街を疾走する姿は、街を歩く人の度肝を抜くような存在感があります。
それは人を驚かせて奇をてらいつつも、すれ違う人が思わず微笑んで思わず和ませるようなパフォーマンスのように感じられます。
今回の取材では89歳になられた宮間さんのインタビューをされているが、高齢になられた宮間さんはもうパフォーマンスを卒業されているそうです。



吉澤健さんは街で見た企業名や看板をノートに記録しながら歩かれているという。
ノートはかつては表と裏表紙に雑誌誌や新聞・広告などの切り抜きでコラージュしてセロハンテープで封印していたといいます。
現在はコラージュも封印もされていないとのことですが、作品の制作は続けられているようです。



ノートを埋め尽くすように書かれている文字は何て書いてあるか読めないが、吉澤さんには意味が分かっているはず。
吉澤さんはもう還暦近いはずですが、両親と暮らしながら30年近く仕事も制作も続けられているという。



喜舎場盛也さんはカラフルなドットで紙一面を埋め尽くします。
喜舎場さんも吉澤さんのように最初はアルファベットや漢字を書き込んでおられたそうですが、その後にカラフルなドット画に変わっていったそうです。



喜舎場さんに取材で会いに行かれた沖縄は4月にも関わらず25度を超えていたという暑さだったそうです。
制作現場での喜舎場さんは、急に姿が見えなくなったり、気が付くと自分の席で描いていたりするらしい。
毎日新聞を取りに行くのが日課で、図書館に行くと熱心に本に見入っておられたとか。



佐々木早苗さんには制作のブームがあり、紙に書かれた丸や四角、縫い込まれた刺繍作品などバラエティに富む。
2017年頃からは“丸”をモチーフにした作品が多いそうですが、多様な変化は続いているという。



佐々木さんを訪問された時の様子に“佐々木さんの制作風景を観察していて、喜舎場さんがそれに気づくと手は止まってしまう。”
“見ていた人たちは一斉に目を逸らして、他の人の作品を見たり、空を見たりする。そんな光景がおもしろかった。”とある。
その言葉だけでもシャイな佐々木さんと訪問者の暗黙のやりとりが目に浮かぶように思います。



西本政敏さんは札幌市内を走る実在のバスを木材で製作されていて、そのバスは細部に至るまで現物を再現しています。
バスの車体の側面にゴジラこと松井秀喜の応援の言葉が書かれていましたが、今なら大谷翔平なんでしょうね。
ちなみにバスは2005年の作品でしたのでニューヨーク・ヤンキース時代のゴジラ松井への応援です。



西本さんのバスの模型も面白かったのですが、個人的には腕や足、指などの関節まで動かせるほど精巧に作られた女の子の人形に魅かれます。
人形にはそれぞれフルネームで名前が付けられていて、調べるとタレントや声優など実在する人物がモデルになっているようです。



以前の人形作品は関節まで動くように作られていたとのことですが、現在は一枚板で製作されているようです。
髪の毛も以前は糸を骨組に編み込んでいたようですが、今は彫刻刀で彫られています。



2Fには西本さんの作品が展示されていて、次は蔵へというところだったのですが、外は雨足が強くなってきた。
焦って雨の中、中庭を歩いていく必要もありませんので、展覧会カタログや専門書籍などが置いてあるライブラリーで一休み。
ライブラリーにも宮間さんのコレクションが展示されてありました。



そうこうしているうちに雨が小降りになりましたので中庭を通って蔵の中へ。
蔵の中には伊藤喜彦さんの粘土作品が展示されています。

伊藤さんは信楽青年寮で約60年生活し、30年に渡って粘土作品を制作されていた方だそうです。
伊藤さんは松茸を取りに山へ行って、山の中で亡くなられたといい、それは2005年のことだったそうです。



最近、アールブリュット作品とコラボした商品やパッケージをお店やネットで目にする機会が増えました。
それは斬新なデザイン性や色彩の組み合わせの美しさが商品にマッチして、目にした人が興味深く魅かれるということなのではと感じています。
また、自分の作品が世に出ることで、新たな作品作りへの意欲につながるといいですね。


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