気比神宮に参拝した後に同じ敦賀市にある金崎宮にも参拝してきました。
金崎宮は桜の名所として有名な所で、以前に桜見物に来たことがあります。
桜の季節はまだ先ですから、その時のにぎやかさとは違ってひっそりと参拝客があるのみの状態でしたけどね。
このお宮さんは別称『恋の宮』と呼ばれているそうですが、この日は当方も含めて恋の季節はすっかり終わった方々だけが参拝しておりました。
御朱印蒐集を始めてから石段ばっかり登っているような気がします。
先は見えてはいたけど登っていくのも運動不足の身にはシンドかったですよ。
金崎宮は金ケ崎山の麓に建てられていますが、ここにあった金ケ崎城は南北朝時代や戦国時代に合戦の舞台になったところでもあるようです。
現在の社殿が創立されたのは1890年とされており、御祭神は尊良親王(たかながしんのう)と恒良親王(つねながしんのう)。
この山にまつわる話で“金ヶ崎城の戦いに勝った信長の元へ浅井長政の謀反の知らせが入り撤退した”って話は戦国ドラマによく出てきますよね。
山のてっぺんにはそんな歴史のある金ヶ崎古戦場の碑がありますので、また息を切らしながら石段を昇る。
展望台からは敦賀港が見下ろせます。
物流の拠点となってきた大きな港で琵琶湖ではありえない大きさです。沖のタンカーもでっかいわ。
ところで、最初の石段の登り口でメジロがよく鳴いていたので帰りに見ようと思っていたけど、降りてきた頃には姿はなくこっちは見逃してしまったよ。
金崎宮は桜の名所として有名な所で、以前に桜見物に来たことがあります。
桜の季節はまだ先ですから、その時のにぎやかさとは違ってひっそりと参拝客があるのみの状態でしたけどね。
このお宮さんは別称『恋の宮』と呼ばれているそうですが、この日は当方も含めて恋の季節はすっかり終わった方々だけが参拝しておりました。
御朱印蒐集を始めてから石段ばっかり登っているような気がします。
先は見えてはいたけど登っていくのも運動不足の身にはシンドかったですよ。
金崎宮は金ケ崎山の麓に建てられていますが、ここにあった金ケ崎城は南北朝時代や戦国時代に合戦の舞台になったところでもあるようです。
現在の社殿が創立されたのは1890年とされており、御祭神は尊良親王(たかながしんのう)と恒良親王(つねながしんのう)。
この山にまつわる話で“金ヶ崎城の戦いに勝った信長の元へ浅井長政の謀反の知らせが入り撤退した”って話は戦国ドラマによく出てきますよね。
山のてっぺんにはそんな歴史のある金ヶ崎古戦場の碑がありますので、また息を切らしながら石段を昇る。
展望台からは敦賀港が見下ろせます。
物流の拠点となってきた大きな港で琵琶湖ではありえない大きさです。沖のタンカーもでっかいわ。
ところで、最初の石段の登り口でメジロがよく鳴いていたので帰りに見ようと思っていたけど、降りてきた頃には姿はなくこっちは見逃してしまったよ。