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個人的には湖西地方の神社・仏閣で作られている『西近江七福神めぐり』のお参りを兼ねての参拝ということです。
白髭神社は近江最古の大社といわれており、社記によると第11代天皇の垂仁天皇25年に皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が社殿を御創建とあります。
垂仁天皇25年が西暦で何年になるかは神話の世界になってしまいますので、詳しい年代は分かりませんが、紀元前か紀元の頃の年代になるようです。
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第40代天皇の天武天皇の時代の675年には勅使を持って「比良明神」の号を賜るとありますから、古代から現代に至るまで続いてきた社になります。
神社は琵琶湖のすぐ横で道を挟んだ反対側にありますが、琵琶湖にある大鳥居へ行くには車がビュンビュンと通る道路を渡らなければならないのが少し難点でしょうか。
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道路の琵琶湖側からみた神社の鳥居が上の写真で、境内の中から見た湖中鳥居が下になります。
2つの鳥居が重なって見えるため「鳥居in鳥居」となりますが、走行する車がなかなか途切れず写りこんでしまうのが困りものでした。
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境内へ入るとすぐに拝殿・本殿があり、まず拝殿から参拝することになります。
拝殿は1879年の建築ですが、本殿は豊臣秀吉の遺命を受けて、秀頼が1603年に建立したもので片桐且元書の棟札が残されているそうです。
豊臣家が天下を治めていた頃の神社仏閣建立に片桐且元の名がよく登場しますので且元が普請を仕切っていたのでしょうけど、これだけあちこちで名前を聞くということは当時の豊臣家の財政はかなり豊かだったのだろうと思います。
尚、本殿は国の重要文化財に指定されています。
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本殿のすぐ左には若宮神社があり、この社殿も秀頼による“再建の記録(棟札)あり”と棟札が残されているようです。
神社の境内は山に向かって連なっていて、本殿の後ろの石段を登っていくと境内社が並びます。
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摂社は「伊勢両宮(天照皇大神宮・豊受大神宮)」「八幡三社(加茂・八幡・高良)」「天満神社」「波除稲荷社」「岩戸社」「寿老人社」「弁財天社」と10柱のお社があり、全ての社に参拝するのは大変です。
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白髭神社の御祭神は、導き・道開きの神とされる「猿田彦命」を祀っており、“大にしては国の行く手を示す神であり、小にしては道の守り神として悪いものを防ぎ、よき方への導きの神”といわれます。
高島は南に大津・京都、北に敦賀へとつながる道中にあり、琵琶湖の海運の拠点の一つになりますから、道の守り神となってきたとも思えます。
七福神めぐりでの白髭神社の神は「寿老神」ですが、その寿老神の祠はひっそりとした感じで高台にある弁財天の祠と並んで建てられていました。
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更に上へ行くと最後の祠は岩戸社があります。
この岩戸社は古墳の上に建てられていますが、この地域は「白髭古墳群」と呼ばれて古墳が多く残り、山の山頂には磐座と古墳群が残っているそうです。
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岩戸社は古墳の石室を祀るようにして建てられており、祠の中には石室の開口部があります。
祠の後部には石室の天井部とされる石が祀られていました。
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また、祠の横には大きな磐座が結界の中に祀られています。
神々しい感じがするこの磐座は、白髭神社の背後にある三尾山の上にある磐座に方位を示しているといわれていると書かれているものもあります。
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さて、琵琶湖の湖中大鳥居はやはり見ごたえがありますね。
道路端から58.2㍍、高さ12㍍、柱幅7.8㍍の威風堂堂とした姿です。
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高島市には複数の古墳群が残されているようですから、古墳時代には有力な豪族達が存在したと考えられています。
第26代継体天皇は高島市の生まれだそうですが、地方出身者で直接的な天皇後継者(血縁者)でなかった継体天皇がなぜ即位できたのか?
話には諸説あるようですが、継体天皇の出自とされる古墳時代の高島は特殊な地域だったのかもしれませんね。