僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~京都 東山区 御寺 泉涌寺~

2018-02-04 20:10:10 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 泉涌寺といえば「楊貴妃観音像」が有名な寺院で、ぜひその美しい仏を一目見てみたいと泉涌寺を訪れました。
寺院の印象は抱いていた観音堂のような寺院とは全く違うもので、寺院に「御寺(みてら)」と名の付く皇室ゆかりの格式と厳かさを持つ菩提寺でした。
また今熊野観音寺をはじめとする山内塔頭寺院を数多く持つ広大な寺院でしたので、やはり寺院は参拝してみなければその寺院のことは分らないということですね。

創建は855年と伝えられますが、大伽藍が造営されるようになったのは1218年に月輪大師・俊じょうによって開山されてからと伝わります。
月輪大師は、律を基本に天台、東密(真言)、禅、浄土の四宗兼学の道場として開山し、現在は真言宗泉湧寺派の総本山となっています。



泉涌寺は中世以降、天皇家の御陵の地であり皇室によって保護されてきた寺院でしたが、大日本帝国憲法施行以来は宮内庁からの費用の負担が打ち切られて、維持困難な状態に陥ったようです。
現在は志を同じくする者が結集して「御寺泉涌寺を護る会」が結成され、寺院の維持や歴代天皇・皇后の奉祀にあたられているそうです。



寺院にはまず「大門」から入ることになりますが、この「大門」は元は京都御所の内裏の門だったとされ、桃山時代の建築と考えられている重要文化財の門になります。
横の壁は皇室との関係の深い寺院に見られる五本筋塀となっており、この大門から仏殿・舎利殿・本坊は一直線に配置されています。



入山して驚くのは参道の広さとその先に見える「仏殿」の大きさでしょうか。
幅はそれほど長くはありませんが高さのある唐様建築で、屋根の下の組物は複雑に組み込まれた見事な建築です。



「仏殿および泉涌寺の伽藍」は、応仁の乱でほとんどが消失してしまい、現在の「仏殿」は1668年に徳川家綱によって再建されたものとされており、国の重要文化財に指定されています。
京都の寺院には応仁の乱で失われたものが多いようですが、再建されずに消えていった寺院も多々あるのでしょう。





「仏殿」の中には入ることができますが、中央の大きな須弥壇には運慶作と伝わる「阿弥陀・釈迦。弥勒」の三世仏が祀られています。
幅に対して高い天井になっている特異な形のスペースの影響もあって、目の前に阿弥陀様が迫ってくるような感覚になる三尊像でした。

ふと天井を見上げてみると狩野探幽筆とされる「雲龍図」がありました。
よく見られる円を描いたような雲龍図ではなく、長方形に描かれた絵は見慣れないこともあって関心を引きます。


ポストカード

「仏殿」の中には開山・月輪大師の像が左隅に祀られ、御本尊の裏側にはこれもまた狩野探幽の作とされる「白衣観音図」が掛けられています。
「白衣観音図」の下には縦16m×横8mという日本最大の涅槃図が箱に入れられて保管されていましたが、「涅槃会」の日にしか公開されないようですので見ることは叶わずでした。

「仏殿」を後方からでるとすぐに「舎利殿」の前に出ますが、こちらも特別公開時以外は入ることは出来ないようです。
この奥には「御座所」があるのですが、この参道の広さは皇室御一行の行列が通りやすいようになっているのでしょうね。





「御座所」の中には御座所庭園があり、中へ入ることが出来ますが、部屋数の多さはさすが皇室の菩提寺だった歴史があるからなのでしょう。
皇族のための「御座所」、皇族のお付きの方の部屋の「侍の間」。ここは椅子とテーブルが置かれた間です。
また「女官の間」、「門跡の間」、「皇族の間」、「侍従の間(椅子とテーブル)」、「勅使の間(椅子とテーブル)」、一番格の高そうな「玉座の間」が並び、それぞれの部屋に襖絵や屏風絵がしつらえられた豪華な内装でした。





庭園で少し休んでいるとどこからともなく小鳥の囀りが聞こえてきます。
手水鉢に水浴しにきていたヤマゲラの声です。山の麓の寺院ですから小鳥の来訪者も多いのでしょうね。





勅使門の内側には「御車寄せ」というかつて皇族を乗せた牛車が車を寄せる場所がありました。
現在の建物は1818年に明治天皇よって京都御所から移築されたもののようですが、京都御所では牛車に乗って勅使門から御殿に入った雅な時代があったのでしょう。





泉涌寺の「浴室」は1897年に移築されたもので、いわゆるサウナ(蒸し風呂)だったようです。
大きな寺院では僧侶が多いため、湯に浸かるというよりも大勢が入れる蒸し風呂が重宝されたようですね。



浴室の隣には「泉湧水屋形」という寺号の起源となった清泉の湧き出す場所がありました。
内部は見えないので湧き出している様子は分かりませんが、湧いた清泉が溜められる溜めマスのようなものが前方に切り出されていました。



さて、「楊貴妃観音」になりますが、この仏像は絶世の美女と呼ばれる唐の皇帝玄宗の妃・楊貴妃をかたどった等身座像だとの伝承があるようです。
楊貴妃観音像は1230年に中国から湛海が持ち帰り請来されたと伝わります。

楊貴妃観音像(重要文化財)は像高約115cmと坐像としてはほぼ等身ですから大きな像ではありませんが、彫りが深く穏やかな表情をしておられます。
観音像の横には一六羅漢の内の六羅漢が祀られており、僧・湛海の座像も一緒に祀られていました。




ポストカード

御寺 泉涌寺には周辺に幾つかの塔頭寺院がありますが、今回は今熊野観音寺だけの参拝となりました。
泉涌寺および塔頭寺院が並ぶ泉涌寺道への入口には「総門」がありますので、最後に立ち寄って参拝の終わりとしました。

この総門から東山の山麓に至るまでが泉涌寺の寺域となるようで、この門から山麓に向かって広範囲に寺院が点在しており、塔頭寺院を巡る「泉涌寺七福神巡り(実際は九福神)」の行事があるそうです。
九福神の内、泉涌寺と新善光寺が番外。他に7つの塔頭寺院の七福神があり、成人の日に七福神巡りは開催されるようですね。



初めて観た「楊貴妃観音」には感慨深いものがありましたが、それ以上に仏殿の内部の空間での落ち着いた時間が印象に残ります。
京都には未知の寺院が数多くありますからまだ当分の間、寺社巡りは続くのかと思っています。


コメント
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