
奈良にはまだ参拝したことのない寺院は多数ありますが、今回は西国三十三所の巡礼の目的もあって第7番札所の「龍蓋寺(岡寺)」への参拝から始めました。
「岡寺」の正式な山号・院号・寺名は「東光山 真珠院 龍蓋寺」となるようですが、古代から「岡寺」として親しまれていることから現在の宗教法人名も「岡寺」とされているようです。
岡寺(龍蓋寺)の創建は663年、草壁皇子(天武天皇の皇子)が住んでいた岡の宮に義淵僧正によって建立されたとされます。

岡寺のある高市郡明日香には高松塚古墳やキトラ古墳があり、古墳の被葬者は天武天皇の皇子の誰かではないかという説があります。
その説の中に草壁皇子は含まれていませんが、それは27歳で早世していることで被葬された時代が合わないからということのようです。

義淵僧正は元興寺で唯識・法相を学んだ方で、弟子に玄昉・行基・隆尊・良弁などがいるとされ、奈良仏教の先駆者の僧たちの師とされている方だといわれます。
岡寺は江戸時代までは法相宗興福寺の末寺でしたが、江戸時代には長谷寺の末寺となり、現在の岡寺は真言宗豊山派となっています。

仁王門は1612年の再建の建築物で重要文化財となっており、扁額には「龍蓋寺」と刻まれています。
金剛力士像が結界で睨みを効かせていますが、この仁王像は再建当時に祀られたものかとも思われます。


まず手水舎で清めますが、手水鉢には色とりどりの浮き玉が浮かべられ、すぐ横にある小さな池には献花された花々とすでに花期を終えて葉だけが残り、とても情緒のある光景でした。
岡寺は花の寺でもあり、春には約3000株の石楠花やシャクナゲ・牡丹が寺院を彩り、池には天竺牡丹(ダリア)が浮かべられて参拝者を出迎えてくれるようです。

鐘楼へ行き梵鐘(1808年の銘)を撞かせていただきましたが、静かな明日香の地にゆっくりと響くような音色で余韻の長い梵鐘でした。
梵鐘には7つの穴が開けられており、これは戦中に供出のため鐘の材質を調べる為にあけられた穴の跡だとされます。
鐘を供出させられた寺院は多いのですが、岡寺の梵鐘は幸運にも供出を逃れたようです。

義淵僧正の話に戻りますが、かつてこの地には農地を荒らす悪龍がいたといいます。
義淵僧正は悪龍を法力によって小池に封じ込め、多い石で蓋をしたとされます。
その伝説が「龍蓋寺」の原点になっており現在も「龍蓋池」として残されています。


境内には小型の楼門があり奥に古書院などがありますが、そちらは非公開のため楼門から先には入ることが出来ません。
この楼門も仁王門と同様に1596~1615年の建立と考えられていますが、何とも小ぶりな楼門です。

本堂へ行く前にまずは三重塔を目指して進みます。
最初にあるのは大師堂。
昭和の始めに建立されたもののようですが、弘法大師の石像が堂々たる姿で立たれています。

石段を登っていくと三重塔がだんだんと姿を現してきます。
三重宝塔は鎌倉初期にあったとされますが、復興されたのは昭和61年で実に514年ぶりの再建となったようです。
扉絵・壁画・琴などのは平成13年に完成し、現在は年に一度「開山忌」の時にだけ公開されているようです。


最近、寺院へ参拝した時に本堂には最後にお参りする習慣になっており、今回も本堂を通り過ぎて奥の院へと向かいます。
まず瑠璃井という古井戸があり、小さな滝の前には不動明王と地蔵菩薩の石仏が祀られています。
井戸は、弘法大師ゆかりの厄除の湧き水とされていますが、何と横に吊るされたバケツで水を汲み上げるようになっています。
バケツを井戸の中へ降ろして水を汲み上げましたが、想像以上に井戸は深く水量が多いのには驚きましたね。

瑠璃井からさらに奥に進むと鎮守社の「稲荷明神社(如意稲荷社)」と「奥の院石窟」への石段が見えてきます。
「奥の院石窟」は「弥勒の窟」といわれる石窟堂のことですが、ここで境内は終わり後方は山となる寺院の終点となる場所です。


石窟の数m先の奥には「弥勒菩薩座像」が祀られており、独特の気配を醸し出す窟となっていました。
いつの時代かに人力で彫ったと思われる石窟ですが、中は聖域でとても入れる雰囲気ではありません。
石窟の入口から拝んで「弥勒の窟」を後にします。

奥の院は高台になっているため、帰りの道からは本堂の姿が垣間見えます。
現在の本堂は1805年の棟上げで完成まで30年以上かかったと伝わる建築物です。

本堂は西国三十三所巡礼の札所らしい雰囲気が漂い、活力と熱さが感じられます。
しかし、本堂の拝所の奥に見える大きな仏像には圧倒されてしまいました。


高さ4m以上の「如意輪観世音菩薩(重要文化財)」は弘法大師の作と伝わる塑像でインド・中国・日本の土で造られたとされています。
塑像としては日本最古の仏像で、如意輪観音としては日本最大の塑像であることはさておき、圧倒的な迫力のある像でした。
本尊の如意輪観音の右には「愛染明王」、左には「不動明王」。
後陣には右肩から下が欠損している「毘沙門天(平安期)」「不動明王(平安期)」「菩薩半跏像(京都国立博物館所蔵品の分身)」など興味深い仏像が多かったのも良かったことの一つにあげられます。

こういう素晴らしい仏像を拝観すると、薄汚れた自分が浄化されるような気持ちになることができますね。
当日の晴天のように気持ちが晴れましたので、岡寺の高台から望む明日香の風景を撮りました。

明日香の地の不思議なところは、かつて飛鳥京が置かれた都の地でありながら、今は周囲には田園や山々が拡がるのみの閑散とした地となっていることでしょうか。
とはいえ、蘇我氏や聖徳太子との縁の深い明日香の地は、今のままの姿で残されていく方がいいのだと思います。