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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~和歌山市 紀三井山 金剛宝寺護国院(紀三井寺)~

2019-03-08 05:50:05 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 「紀三井寺」の正式な寺名は「金剛宝寺護国院」ですが、「護国院」と言われてピンとくる人はおそらく少なく一般的には紀三井寺で知られる有名寺院だと思います。
紀三井寺は西国三十三所巡礼の第2番札所にあたる寺院で、救世観音宗の総本山となる寺院です。

西国巡礼寺院であることや和歌山の有名寺院ということもあって、観音巡礼の熱気のある寺院のイメージを想像していましたが、どちらかというと弔いの寺院・供養の寺院といった印象を強く受けました。
そこには紀州徳川家とのつながりが深かったことや、宗派名(救世観音宗)から受ける印象も影響しているのかと思います。

 

寺院は770年、唐僧・為光上人によって開基されたと伝承されています。
上人が諸国を巡る行脚の途中に、名草山山頂あたりに霊光を観じられて翌日登山され、そこに千手観音様の尊像をご感得したとされます。



その後、歴代天皇の御幸があり、また後白河法皇が当山を勅願所と定められたこともあり、鎌倉時代には500人を越える僧呂が止住したといいます。
また、江戸時代に入ると紀州徳川家歴代藩主が頻繁に来山され、「紀州祈祷大道場」として尊崇されたともされます。



山門は室町時代の1509年に建立され金剛力士像を祀っていますが、現在の建物は重要文化財の指定はあるものの、かなり改修されているように見えます。
金剛力士像は室町期のものなのかと思いますが、どちらかというとスリムで鎌倉期にあるような筋肉隆々でデフォルメされた仁王様ではありません。

山門を抜けると“ざんげ(懺悔)と招福の水場”があり、まず身を清めます。
寺院全体でも石像や石碑が多く、奉納する方や寺院で新たに造られたものが多くあるようですね。



紀三井寺本堂へは合計231段の石段を登ることになりますが、石段は女厄33段・男厄42段・還暦厄60段などそれぞれの石段に厄の名前が付けられています。
幅の狭い急な石段ですので登りにくいことこの上ないとはいえ、登ることで厄除けの御利益があるとのことでゆっくりと登っていく。

この石段は「結縁坂」と呼ばれており、若き日の紀の国屋文左衛門の逸話が残されているようです。
母を背負ってこの坂を登って観音様にお参りしていた文左衛門でしたが、ある日途中で草履の鼻緒が切れて困っているところに玉津島神社の宮司の娘が通りかかり、鼻緒をすげ替えたのをきっかけに二人は結ばれたそうです。
文左衛門は宮司の出資金によるみかん船で大儲けしたそうですから、出会いの妙ということなのでしょう。



「紀三井寺」には3つの霊泉(清浄水・楊柳水・吉祥水)が湧くことから、紀州の三井水の意味で名前の由来となっているといいます。
最初にある井戸は「清浄水」といい、不動明王が祀られてる上から霊泉が落ちてきています。



清浄水の近くから道を外れて山道を少し進んだ先にあるのは「楊柳水」になりますが、こちらは井戸にカバーが掛けられて石仏が安置されているのみです。





石段に戻ると、途中に「波切り不動」や「見返し大師」の堂宇があります。
見返し大師で御朱印(上の2枚目)を頂き、丁寧な対応をしていただいた後、再び残りの石段を登ります。





還暦にはまだ年数があるけれど還暦厄の60段の石段を登りきると、そこからは平坦な境内地となります。
まず鐘楼が目に入りますが、この鐘楼は1588年建立の重要文化財だそうです。
修復されて朱色が塗られていると年月を感じさせない姿になりますね。



本堂は1779年建立とされており、六角堂・大師堂・放生池の先に建てられています。
紀三井寺は桜の名所と聞いていますが、確かに桜の木が非常に多い寺院でした。





本堂のすぐ前にはソメイヨシノの標準木があり、この桜は和歌山地方気象台気象観測用になっていることから、近畿地方に春の到来を告げる開花宣言の基準となる桜木になっているそうです。
現物を見たので春の開花宣言の時にこの桜の木を思い起こすことができそうですね。



外陣は多くの奉納額が掛けられて西国巡礼寺院特有の佇まいが感じられます。
御堂の正面に懸仏が掛けられているのも実に魅力的です。





内陣へは入れませんでしたので地下にある霊宝殿へ入ってから本堂を後にします。
さらに本堂の上層エリアにある境内には多宝塔があるため上へと登ってみました。

多宝塔は1449年の建立で1441年に倒壊した塔に替って再建されたとされ、重要文化財に指定されています。
紀三井寺の重要文化財の堂宇はよく整備がされているので古さを感じない外観になっています。



ところで、紀三井寺では新仏殿が建てられ、内部に日本最大の観音である「大千手十一面観音像」が安置されています。
この仏殿は遠くからもよく見える背の高い堂ですが、それもそのはずで内部には高さ12mの仏像が安置されているのです。

仏像は2008年に現代の仏師・松本明慶によって造られた仏像だといいます。
まだ落慶してから10年ほどの仏像ですので、これから時代を刻んでいく仏像なのでしょう。





さて、ここまで3つの霊泉のうち2つは確認出来ましたが、あと一つの吉祥水が見つかりません。
改めて地図を確認してみると、どうやら紀三井寺には裏門があり、そちらに「吉祥水」があるようです。

まず山門を出て裏門まで歩いていき、裏門におられた方に聞いてみると、さらに300mほど先に井戸はあるようです。
裏門は駐車場はあるものの、人の往来が少ないのか何とか門が残されているといった状態です。



住宅地を歩いていくと目印だと教えてもらった地蔵さんの祠があり、そこから民家のすぐ横を通る石段を登っていきます。
石段を登りきると不動明王を祀った「吉祥水」がありました。
山につながる湿気の多そうな場所に湧く霊泉ですが、手入れはよくされています。



最後に楽しみにしていたのは和歌の浦の風景でした。
残念ながら曇り空で景観はいまいちでしたが、片男波公園には興味を惹かれました。

片男波公園は、和歌浦湾に注ぐ和歌川の河口部に沿うようにできた延長千数百メートルにも及ぶ狭長の砂州半島だそうで、天橋立を連想させる景観です。
天気がいい日は淡路島が見えるようですが、曇り空では海の向こうは霞んでしまって見えないですね。



それではとばかりに和歌山城を探してみたが、裸眼では見えない。
あたりをつけて望遠で見ると...ありました。
1957年の再建とはいえ、徳川御三家の紀伊徳川家の居城になります。



まだまだ満願には遠い西国三十三所巡礼ですが、これで和歌山エリアは終了です。
2019年中には満願して、もう一度「谷汲山 華厳寺」へ参れそうな気配となってきました。合掌。


コメント
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