僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~京都市左京区 東山 慈照寺(銀閣寺)

2019-03-17 13:55:55 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 応仁の乱が起こらなかったら京都には膨大な数の国宝や重要文化財が残されていたのではないか?と思うことがあります。
それは京都の寺院へ参拝するたびに“応仁の乱により灰塵に帰し”という言葉を何度も聞くからなのでしょう。

応仁の乱のトリガーの一人に足利義政がいますが、義政は政治よりも黄鯛の数寄者として名を馳せた将軍だといわれ、「東山文化」を築いて銀閣寺こと慈眼寺を建立し“わび・さび”の文化を発展させた方とされます。
もしかすると義政が政治的に無能だった訳ではなく、もはや将軍一人の力では武将を抑えきれない時代になっていたのかもしれませんけどね。

 

慈眼寺(銀閣寺)は臨済宗相国寺門派の塔頭寺院で、1490年に義政によって造営され、夢窓疎石によって開山されたといいます。
よく足利義満が建立した金閣寺と並び称されることがあり、金箔を貼った金閣寺のように銀閣寺には銀箔を貼っていたと思いがちですが、銀箔は貼ってなかったという調査結果があるそうです。
極端にいうと秀吉と利休のような違いともいえなくはありませんね。



総門までの石畳は雰囲気のある参道となっており、総門も質素な造りの門となっています。
人の姿が少ないのは駐車場に停まっていた大型バス2台が発車時間になっていたから。
ただし境内にはそれなりに人は多かったですけど、京都の有名寺院にしたら少ない方でした。



総門を抜けると銀閣寺垣という大刈込の通りになります。
高さがあるだけに迫力がありますが、葉刈りはさぞや大変なことでしょう。



中門から境内に入ってすぐに目に入ってくるのは「向月台」という大きな盛砂になるでしょうか。
高さが180cmもあるということですが、かつては向月台の上に座って東山にある月待山から昇る月を眺めるためのものだったといいます。



本堂の前に広がる砂の庭は「銀沙灘」という白砂を66cmの高さに盛り上げて造られているそうです。
砂を使った枯山水の庭園を観る機会は多いですが、ここ銀閣寺の向月台と銀沙灘は規模といい、独特の世界観といい、他には類を見ない庭園になっています。
ただし、この数奇な盛砂は義政の時代にこの形になったのではなく、江戸後期になってからということですので、当時の嗜好とは少し違っているようです。



花頭窓から銀沙灘と月待山の借景へと続く庭を覗いてみます。
禅宗の寺院によく見られる花頭窓は鎌倉時代に中国から伝来したものとされ、神社や城郭にも使われるようになったといいますが、やはり禅宗の寺院のイメージが強いのではないでしょうか。



銀閣寺といえば、錦鏡池をはさんで対岸に見える「銀閣(観音殿)」の印象が強いですが、「本堂(方丈)」は別に存在します。
建物は江戸時代初期の再建だとされており、内部には本尊・釈迦牟尼仏を安置し、池大雅・与謝蕪村の襖絵があるといます。
この位置から本堂を見ると、正面に向月台と銀沙灘が観想することができるようです。





「本堂」と「東求堂」の間には珍しい形をした「銀閣寺形手水鉢」があり、四角い形の鉢に格子文様が彫り出されています。
上部にある水溜めは円形の形をしており、数寄者好みの手水鉢となっていました。



国宝に指定されている「東求堂」は1486年の建立で、檜皮葺きの現存する最古の書院造りとされます。
仏間には阿弥陀如来を安置し、「同仁斎」と呼ばれる四畳半の間は茶室の始まりとも言われているそうですが、内部は特別拝観時にしか観られないようです。



庭園の奥の方には「洗月泉」と呼ばれる小さな滝がありました。
細く落ちてくる滝の下の池は澄んで水面は安定しており、映し出された月を眺めるのでしょうか。
池には大量の硬貨が投げ入れられといて、アルミと銅の色合いに不思議な美しさがありましたね。



さらに山側には「お茶の井」という義政公お茶用の湧水があります。
この庭園の石組は昭和6年に発掘されたものといい、西芳寺(苔寺)の竜淵水石垣を模範に造られたとされます。
この「お茶の井」の水は現在もお茶会等の飲料水に使用されていると書かれてあります。



定番すぎるほど定番なのが錦鏡池の向こうに見える銀閣(観音殿)の風景でしょうか。
国宝に指定されている銀閣は当地に義政が造営した東山山荘が始まりでしたが、義政は銀閣寺の完成を待たずにこの世を去ったとされています。





銀閣の閣上には鳳凰が置かれ、銀閣に祀られている観音菩薩を守護しています。
銀閣は横や後ろからなら近くで見ることが出来ますが、錦鏡池越しに見るのがやはりベストになります。



さて、少し離れた山の斜面には「被爆アオギリ里子運動-アオギリの願い-」として、広島の原爆投下で大火傷しながらも生き続けたアオギリの木の子孫が里子にきて植林されています。
赤いコーンが吊るされて目印となっており、核兵器廃絶と生きることの命を大切に...と平和を訴えるアオギリの願いを伝えています。



銀閣寺の高台から見る銀閣寺の境内と、遠く見えるのは北白川の町並みでしょうか。
京都の寺院から見える市内の様子は、盆地ゆえにいろいろな方向から見ることができるのも京都の寺院巡りの楽しみの一つですね。



寺院を出た後は琵琶湖疎水沿いの哲学の道を少し歩いてみました。
春には桜の小道となるようですが、殺風景な冬の小道で思案に暮れてみる。




コメント
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