僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

湖北の巨樹を巡る8~「日吉神社のエノキ」「下坂浜のサイカチ」「大通寺のクロマツ」~

2020-09-01 06:15:15 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 「無礙智山 大通寺」は、1602年に長浜城跡に創建された真宗大谷派の寺院で、現在地には長浜城が廃城になった1606年に移されたとされます。
寺伝によると、伏見城の殿舎を徳川家康から寄進された教如(東本願寺第十二代)が、東本願寺の御影堂として用いていたものを移建したのが、大通寺の「本堂(阿弥陀堂)」だといいます。

浄土真宗の親交の厚い湖北地方の拠点となっていた寺院となりますが、長浜市民には「御坊(ごぼう)さん」と親しまれる寺院となっています。
近所の子供たちの遊び場や大人たちの休憩場所でもあると同時に、毎日の参拝を欠かさない人や観光客も多く訪れる和みの場所といえます。



この大通寺の山門から塀伝いに米川へ向かうと、「日吉神社」というこじんまりとした神社があり、祠の後方には大きな桜の木とエノキがあります。
坂本(大津市)の日吉大社(山王権現)から勧請された御祭神は「大山咋神」で、旧長浜町の鬼門守護の神として1810年に鎮座されたと伝わります。



神社としては祠が祀られているだけですが、後方に植えられた2本の木は、狭い場所にも関わらず樹勢の良い姿を見せてくれます。
石標の左側にあるのが桜の木で、枝が道路側にまで伸びていることから、桜の季節には絶景の桜となります。



右側の木が米川の川辺へと伸びるエノキで、幹が水上にあることもあって、苔が広がり独特の姿を見せてくれます。
このエノキは幹周が1.3m、樹高は9.8mで、樹齢は推定で80年(平成15年当時)とされています。



米川は、長浜市の中心部を何度も曲がりながら流れて、旧長浜港の辺りで琵琶湖に注ぎ込む。
市街地では街並みの間を流れる川として、古い町並みの趣を残し長浜御坊表参道や曳山博物館の辺りでは風情のある景色が見られます。



現在の市中の様子からは想像が付きませんが、日吉神社は旧長浜町の鬼門守護の神だったといいますから、この辺りまでが城下町で、ここから少し東の方向からは田園地帯だったのかと思われます。
「長浜曳山まつり」の13基の曳山のある山組の配置からみても、北は「知善院」、東は「八幡神社」、南は長浜港近くとなり、この山組の配置内が長浜城下町の範囲だったのでしょう。



エノキを下から見上げても樹冠が盛り上がっており、実に樹勢の良い木なのが分かる。
湖北のエノキとしては「えんねのエノキ」が有名ですが、樹齢250年を超えるエンネのエノキとは違った味わいがあります。



米川の橋の上から日吉神社のサクラとエノキを眺める。
右後方にあるのは大通寺の塀で、大通寺とは市道を挟んだ近距離にある。



この日吉大社は、「山王宮」、「山王さん」と呼ばれているといい、例祭には子供神輿の渡御が行われるといいます。
大通寺の表参道(ながはま御坊表参道商店街)のすぐそばにある神社の祭典ですから、にぎやかに催されるのかと思います。

<大通寺のクロマツ>

大通寺の境内に戻り、参拝を済ませると庫裡の前方にある「保存樹指定樹木標識」が目に入ってきた。
標識には樹木名クロマツ、幹周2.3m、樹高17mで樹齢は400年と書かれている。

クロマツは海岸や湖岸に防風林として植えられている事が多く、庭園でもよく見かけます。
また、松は1年中緑が絶えないことから不老長寿の縁起のいい木とされ、正月飾りや障壁画の題材として取り上げられることが多い木です。



寺院の庭園などで造形の美しい松をじっと見ることはありますが、身近な樹木なので自宅の庭に松を植えている人か盆栽趣味でもなければ、じっくり見る機会はあまりないように思います。
普段見る松の印象と比較すると、このクロマツは幹の太さが感じられ、松の樹齢400年とはこうなるのかというのが感想です。



大通寺の境内にはもう1本のクロマツがありますが、こちらは円錐状に選定されて整った感があり、馴染みやすい形をしています。
この位置から境内を眺めると、「広間附玄関」「本堂」「太鼓楼」を見渡すことが出来ます。



かつて長浜城にあった大通寺を街の中に移そうとする話があった時、賛成派と反対派の人々が東本願寺に決めてもらおうと本山に向かったといいます。
反対派は途中に立ち寄った茶屋の娘・お花はんが気に入って、お花はんに足止めされている間に東本願寺より移転の沙汰があったといいます。
これは「近江むかし話」に伝わる長浜御坊さん(大通寺)の「お花きつね」の話です。

<下坂浜のサイカチ>

湖岸道路を南から長浜市方面へと走行すると、見えてくるのは「良畴寺の長浜びわこ大仏」ではないでしょうか。
初代のびわこ大仏は、戦前の1937年に開眼したコンクリート製の大仏で、現在の2代目は1994年に建てられた高さ28mの青銅製の大仏となる。

「長浜びわこ大仏」があるのは下坂浜町といい、下坂浜町から田村町へと続く湖岸には現在は湖水浴場としては機能していないようですが“さいかち浜水泳場”があり、マリンスポーツのメッカとなっている。
「さいかち浜」と名前が付くのは、湖岸にかつて「サイカチ」の木が数多く生えていたことに由来しますが、今は湖岸から少し離れた場所に1本の老木を残すのみとなっています。



このサイカチは幹周が3m、樹高が5mあるといい、樹齢は400年とされています。
老木ですので幹に空洞が出来ていたりしますが、樹冠はこんもりと茂り、まだまだ樹勢は良いようです。



「サイカチ」は、マメ科の落葉高木に分類され、秋には実を付けるといいます。
サイカチの木の後方に田園が広がりますが、ここは下坂浜の古い住宅街の外れになる。
近くの新興住宅地には新しい家や店舗が立ち並んでいますので、この老木は歴史の生き証人となっている。



主幹は太く、何本かの幹に複雑な形に枝分かれしていて力感がある。
緑色の小さな葉っぱがぼんやりとしたトーンを描き出していて美しく感じます。



かつて織田信長と浅井長政らが戦った「小谷城の戦い」や「姉川の合戦」の主戦場は、もっと北にありますが、このサイカチ辺りでも合戦があったようです。
15代将軍・足利義昭に呼応した石山本願寺の指令により、浅井方に味方した湖北の真宗門徒が一向一揆の勢力として立ち向かった戦い(1571年)の一場面です。

湖北の真宗門徒は数は多かったとはいえ、戦いにかけては素人。
信長方の秀吉軍などに打ち破られて後退し、この「さいかち浜」で最後の一戦を交えて敗れ去ったと伝わります。


コメント
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