京都市左京区岡崎にある京都国立近代美術館では『世紀末ウィーンのグラフィック デザインそして生活の刷新にむけて』をテーマに世紀末ウィーンのグラフィック作品約300点が公開されました。
このコレクションはアパレル会社キャビンの創業者である平明暘氏が蒐集したもので、現在は京都国立近代美術館の所蔵品となっているようです。
(キャビンはファーストリーディング社の子会社となった後に消滅したブランド)
美術作品を理解するには縦の系譜(美術史)を概要だけでも知っていた方がいいのか?観た時の感覚が大事なのか?ということがありますが、今回の世紀末ウィーンのグラフィック デザイン展は後者の方でした。
唯一名前を知っていたのはグスタフ・クリムトだけでしたし、そもそも「ウィーン分離派」とはなんぞやといった状態でした。
美術の世界では(だけではないが...)常に新しい芸術の潮流があり、時代背景の影響などを受けてきたとすると、このウィーン分離派とはどの辺りの位置になるのでしょうか?
流れを大きく分けると、写実主義・印象派・象徴主義・キュビズム・形而上絵画・アールヌーボー・アールデコ・ダダ・シュールレアリズム・ポップアートといった流れがあると思いますが、ウィーン分離派はアールヌーボーからシュールレアリズムの辺りと書かれているものもあります。
ただし、展示されている膨大なコレクションに登場する作品には統一感はなく、それぞれのアーティストが独自の作品を作られている印象です。
入館した入口には「リヒャルト・ルクシェの女性ヌード(1905年頃)」像と窓の奥には「分離派会館」が見えるように構成されています。
展示は「Ⅰ ウィーン分離派とクリムト」「Ⅱ 新しいデザインの探求」「Ⅲ 版画復興とグラフィックの刷新」「Ⅳ 新しい生活へ」の4部構成でしたが、やはり人気のあったのはクリムトのコーナーでした。
クリムトの絵は女性を題材にしたものが多く、実際にクリムトの家には多くの女性が出入りしていて、生涯結婚はしなかったものの、多くのモデルと愛人関係にあったといいます。
「パラス・アテナ(1898年)」はギリシャ神話の登場する最高の女神の名をタイトルとしているようです。
「ユディットⅠ(1901年)」は旧約聖書外典に出てくる美しい女をモチーフにしている官能的な絵でした。
クリムトの作品はインパクトが強いのでじっくりと見ましたが、これらは原画ではなく「グスタフ・クリムト作品集(1918年発行)」のもの。
実際にウィーンで見てきた方に聞くと、原画はもっと大きなキャンバスに描かれているそうです。
「接吻(1907-1908年)」はクリムトと恋人エミーリエ・フレーゲをモデルにした絵。
見れば見るほど虜になるような絵で、崖には花がたくさん描かれていますが、実に危うい愛の印象があります。
そのエリーミエを描いたのが「エリーミエ・フレーゲの肖像(1902年)」。
クリムトは黄金色を使った作品もインパクトがありますが、色彩が鮮やかで色の表現が見事な方ですね。
「乙女(1913年)」はクリムト晩年近くの作品だとされ、何と6名?7名?の女性が折り重なるように描かれています。
美術展にあったクリムト作品の中ではかなり異質な感じがします。
クリムトは「ウィーン大学講堂天井画」も描いたそうですが、残念なことに第二次大戦でナチスの手によって焼失してしまったそうです。
18才だったアドルフ・ヒットラーがウィーン分離派とほぼ同時代の1907年にウィーン美術アカデミーを受験して失敗し、失意のどん底にいたことを考えると人生とは皮肉なものです。
「Ⅱ 新しいデザインの探求」では「ウィーン・ファッション1914/15」が気になります。
今の時代なら服飾デザインとしてよく見かけるようになっていますが、当時の最先端のファッションスタイルを斬新に伝えるものだったのでしょう。
19世紀末の芸術文化には貴族趣味のようなものから、新しい(現代的な)デザインへの試行が始まって、数多くの図案集が発行されたようです。
ベルトルト・レフラー 「ディ・フレッヒ(平面}」の図案集には、かなり現代的なデザインが見られます。
「Ⅲ 版画復興とグラフィックの刷新」になると写真の発明によって衰退方向にあった版画の模索が始まったようです。
特にウィーンで公開された日本の浮世絵に影響を受け技法を学び、さらにそれぞれの芸術家たちが独自性を生み出していったといいます。
ルードリッヒ・ハインリッヒ・ユングニッケルの「七羽の鸚鵡(1914年頃)」にはどこか日本的なものを感じますね。
「Ⅳ 新しい生活へ」では人々の生活とより直接的な関係を持つ応用芸術で生活や社会を刷新することを目指したウィーン分離派の作品が展示されています。
今の時代には雑誌や街角のポスター、インターネットなどに様々なグラフィックが溢れていますが、媒体を使って作品を発表するのはその先駆けだったのかもしれません。
作品はフランツ・フォン・ツューロウ「月間帳(1914/15年)」
個人的に好きなのはフランツ・ヴァツィークの「ミュンハウゼン男爵(1904年頃)」でした。
ミュンハウゼン男爵とは「ほら吹き男爵の冒険」の冒険奇譚の主人公として有名で、子供の頃に何回読み返した物語です。
この絵は、カモ狩り名人を自称するほら男爵があまりの大猟だったために、飛び立ったカモと一緒に飛んでいってしまう話の一場面なのでしょう。
展示作品は多岐にわたり多様性を感じる作品揃いでしたが、少し前の日本の漫画に出てくるようなデザインのものもありました。
上:ベルトルト・レフラー「童子(1910年頃)」、下:コロマン・モーザー「フリッツ・ヴェルンドファーの蔵書票(1903年)」
お腹が少々空いてきたので、近代美術館のカフェ(café de 505)でランチをいただきましたが、これがなかなかの優れものでした。
自家製生パスタ(デュラムセモリナ粉100%)のパスタはコシのある麺で、ソースによく絡みます。
特殊な皿を使っていて最後まで熱々ですので、猫舌の方は食べ終えるのに時間がかかるかも?
注文したのは“パンチェッタとフレッシュマッシュルームのカルボナーラ仕立て”で、ソースはくどくないけど濃厚な味で美味しかったですね。
カフェではカルボナーラソースとトマトソースのドリアがメニューにありましたので、あのソースの濃厚な味で作ったドリアも美味しいだろな...とは今後の楽しみ。
あとは恒例の平安神宮の大鳥居。
工事中の京都市美術館は今年中にはリニューアルオープンの準備を終える予定だそうです。
ところで、2019年の春から12月にかけて東京と大阪で「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」の開催が決定しているようです。
クリムトは今回は作品集でしたが、次の美術展では絵画が見られそうなので今から楽しみです。
同時に日本へ上陸するエゴン・シーレも魅力的な作品を描かれる28才で早世した画家です。
「世紀末ウィーンのグラフィック デザインそして生活の刷新にむけて」展 図録
このコレクションはアパレル会社キャビンの創業者である平明暘氏が蒐集したもので、現在は京都国立近代美術館の所蔵品となっているようです。
(キャビンはファーストリーディング社の子会社となった後に消滅したブランド)
美術作品を理解するには縦の系譜(美術史)を概要だけでも知っていた方がいいのか?観た時の感覚が大事なのか?ということがありますが、今回の世紀末ウィーンのグラフィック デザイン展は後者の方でした。
唯一名前を知っていたのはグスタフ・クリムトだけでしたし、そもそも「ウィーン分離派」とはなんぞやといった状態でした。
美術の世界では(だけではないが...)常に新しい芸術の潮流があり、時代背景の影響などを受けてきたとすると、このウィーン分離派とはどの辺りの位置になるのでしょうか?
流れを大きく分けると、写実主義・印象派・象徴主義・キュビズム・形而上絵画・アールヌーボー・アールデコ・ダダ・シュールレアリズム・ポップアートといった流れがあると思いますが、ウィーン分離派はアールヌーボーからシュールレアリズムの辺りと書かれているものもあります。
ただし、展示されている膨大なコレクションに登場する作品には統一感はなく、それぞれのアーティストが独自の作品を作られている印象です。
入館した入口には「リヒャルト・ルクシェの女性ヌード(1905年頃)」像と窓の奥には「分離派会館」が見えるように構成されています。
展示は「Ⅰ ウィーン分離派とクリムト」「Ⅱ 新しいデザインの探求」「Ⅲ 版画復興とグラフィックの刷新」「Ⅳ 新しい生活へ」の4部構成でしたが、やはり人気のあったのはクリムトのコーナーでした。
クリムトの絵は女性を題材にしたものが多く、実際にクリムトの家には多くの女性が出入りしていて、生涯結婚はしなかったものの、多くのモデルと愛人関係にあったといいます。
「パラス・アテナ(1898年)」はギリシャ神話の登場する最高の女神の名をタイトルとしているようです。
「ユディットⅠ(1901年)」は旧約聖書外典に出てくる美しい女をモチーフにしている官能的な絵でした。
クリムトの作品はインパクトが強いのでじっくりと見ましたが、これらは原画ではなく「グスタフ・クリムト作品集(1918年発行)」のもの。
実際にウィーンで見てきた方に聞くと、原画はもっと大きなキャンバスに描かれているそうです。
「接吻(1907-1908年)」はクリムトと恋人エミーリエ・フレーゲをモデルにした絵。
見れば見るほど虜になるような絵で、崖には花がたくさん描かれていますが、実に危うい愛の印象があります。
そのエリーミエを描いたのが「エリーミエ・フレーゲの肖像(1902年)」。
クリムトは黄金色を使った作品もインパクトがありますが、色彩が鮮やかで色の表現が見事な方ですね。
「乙女(1913年)」はクリムト晩年近くの作品だとされ、何と6名?7名?の女性が折り重なるように描かれています。
美術展にあったクリムト作品の中ではかなり異質な感じがします。
クリムトは「ウィーン大学講堂天井画」も描いたそうですが、残念なことに第二次大戦でナチスの手によって焼失してしまったそうです。
18才だったアドルフ・ヒットラーがウィーン分離派とほぼ同時代の1907年にウィーン美術アカデミーを受験して失敗し、失意のどん底にいたことを考えると人生とは皮肉なものです。
「Ⅱ 新しいデザインの探求」では「ウィーン・ファッション1914/15」が気になります。
今の時代なら服飾デザインとしてよく見かけるようになっていますが、当時の最先端のファッションスタイルを斬新に伝えるものだったのでしょう。
19世紀末の芸術文化には貴族趣味のようなものから、新しい(現代的な)デザインへの試行が始まって、数多くの図案集が発行されたようです。
ベルトルト・レフラー 「ディ・フレッヒ(平面}」の図案集には、かなり現代的なデザインが見られます。
「Ⅲ 版画復興とグラフィックの刷新」になると写真の発明によって衰退方向にあった版画の模索が始まったようです。
特にウィーンで公開された日本の浮世絵に影響を受け技法を学び、さらにそれぞれの芸術家たちが独自性を生み出していったといいます。
ルードリッヒ・ハインリッヒ・ユングニッケルの「七羽の鸚鵡(1914年頃)」にはどこか日本的なものを感じますね。
「Ⅳ 新しい生活へ」では人々の生活とより直接的な関係を持つ応用芸術で生活や社会を刷新することを目指したウィーン分離派の作品が展示されています。
今の時代には雑誌や街角のポスター、インターネットなどに様々なグラフィックが溢れていますが、媒体を使って作品を発表するのはその先駆けだったのかもしれません。
作品はフランツ・フォン・ツューロウ「月間帳(1914/15年)」
個人的に好きなのはフランツ・ヴァツィークの「ミュンハウゼン男爵(1904年頃)」でした。
ミュンハウゼン男爵とは「ほら吹き男爵の冒険」の冒険奇譚の主人公として有名で、子供の頃に何回読み返した物語です。
この絵は、カモ狩り名人を自称するほら男爵があまりの大猟だったために、飛び立ったカモと一緒に飛んでいってしまう話の一場面なのでしょう。
展示作品は多岐にわたり多様性を感じる作品揃いでしたが、少し前の日本の漫画に出てくるようなデザインのものもありました。
上:ベルトルト・レフラー「童子(1910年頃)」、下:コロマン・モーザー「フリッツ・ヴェルンドファーの蔵書票(1903年)」
お腹が少々空いてきたので、近代美術館のカフェ(café de 505)でランチをいただきましたが、これがなかなかの優れものでした。
自家製生パスタ(デュラムセモリナ粉100%)のパスタはコシのある麺で、ソースによく絡みます。
特殊な皿を使っていて最後まで熱々ですので、猫舌の方は食べ終えるのに時間がかかるかも?
注文したのは“パンチェッタとフレッシュマッシュルームのカルボナーラ仕立て”で、ソースはくどくないけど濃厚な味で美味しかったですね。
カフェではカルボナーラソースとトマトソースのドリアがメニューにありましたので、あのソースの濃厚な味で作ったドリアも美味しいだろな...とは今後の楽しみ。
あとは恒例の平安神宮の大鳥居。
工事中の京都市美術館は今年中にはリニューアルオープンの準備を終える予定だそうです。
ところで、2019年の春から12月にかけて東京と大阪で「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」の開催が決定しているようです。
クリムトは今回は作品集でしたが、次の美術展では絵画が見られそうなので今から楽しみです。
同時に日本へ上陸するエゴン・シーレも魅力的な作品を描かれる28才で早世した画家です。
「世紀末ウィーンのグラフィック デザインそして生活の刷新にむけて」展 図録
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