日本では2020年に始まった新型コロナウイルス感染症の流行によって、生活や働き方に大きな変化があり、人によっては人生そのものの大きな変化点になってしまわれた方がおられると思います。
また、国際的にも近隣国家との摩擦が解消されないままに、ロシアのウクライナ侵攻があり、直接の関係はない方が多いものの、間接的には物価上昇など大きな影響があります。
今回の展覧会の案内文には、
“世界が変わらずに繰り返されることと、心の安寧とを、同じように考えることがあります。
同じことを繰り返すことへの志向を持ち、常同的世界の創造に、平穏な日々を支える足場の役割を与えようとします。”
と紹介されています。
日々の反復の行為の繰り返しの中に「平和」を見るーとはどういった意味なのか、今回の展覧会のテーマになります。
草原に寝転び、遠くを見つめる少女を描かれる横山奈美さんの「forever」という作品は、前日に描いた絵を見ながら、新しい絵を1日に1枚描いておられます。
いっけん転写された絵のようですが、全く同じ絵ではなく、特に“forever”の文体は日々違い、細部には僅かに違いが見られます。
横山さんは、ネオンをモチーフにして発光体や電線やフレームまでを克明に描く作品や、樹脂で造った彫刻にLEDライトを入れて光るオブジェを造られたりしているアーティストだといいます。
今回のために描き下ろされたという展示作品は、木炭紙に木炭で描かれたドローイングで、転写の中に日々変化する少女の姿は、日々の感情の変化が感じられます。
『やまなみ工房』からの参加となる吉川秀昭さんは、「目、目、鼻、口」と唱えながら無数の穴を打っていかれるのだという。
顔が見て取れる作品もありますが、ほとんどの作品は吉川さん独自の法則によって造られた「顔」なのでしょう。
吉川さんの作品を見る機会は時々ありますが、今回は紙にマーカーペンで描かれた作品も展示されています。
紙の作品を見るのは初めてでしたが、この作品もタイトルは「目、目、鼻、口」と付けられており、吉川さん独自の表現・感性で描かれています。
カラフルな丸を描き込まれているのは佐々木早苗さんの作品。
興味深いのは、所属する福祉施設での仕事「さをり織」の機械に糸をセットする合間に造った刺繍作品とデザインが酷似していることでしょうか。
日常的な作業の繰り返しの中で、素材を変えながらも作品には共通する個性が映し出されています。
鈴木かよ子さんは、福祉施設の支援者によれば、7歳から60歳くらいまで、この絵を描き続けられたとあります。
「少女」、「花」、「太陽」のモチーフを同じ構図で描き続けてこられたのは、変化する自分や環境に対して、原点となるような自己を持ち続けてきた証なのではないでしょうか。
2階へ上がると小林椋さんと篠原尚央さんのコラボレーションの間となっている。
何のための装置か分からない作品は「ヤシ煎る目を刈ろ」という作品で、青い手のような部分が動いている。
生産性とは無縁な装置はの反復運動は、作者から謎かけをされているようです。
部屋の中では時々声が聞こえてくるが、声の主は「凝るところ見るとすると凍る」という作品から発せられている。
丸い2つのディスプレイには不規則に動く手の平が映し出されており、「手」とつぶやくような声がこれまた不規則に流れる。
無機質な造形にゆっくりとした不規則な手の動き。不思議な作品です。
篠原尚央さんは「かぎかっこ」をカスタマイズした「カキカコ」という作品を描かれています。
絵は古代の文字のようでもあり、出口のない迷路のようにも見えますが、それぞれの絵は全く違う形となっています。
「かぎかっこ」の機能をなくしてしまったような「カキカコ」を使って自由に表現されている様子が感じられます。
中庭の奥にある蔵の中では「ちはる」と題された15分ほどの映像が上映されています。
ちはるさんは、お父さんやお母さんと出かけてはチラシを入手し、母親がもらってきたダンボールを切って小さな箱を造り、切ったチラシを丸めて詰めていく。
造った作品は部屋を覆いつくすように量産され、お父さんに作ってもらった無数の棚に陳列される。
作品で埋め尽くされた部屋を見ていると、小さな博物館や図書館のような印象を受けてしまうようでもあり、ちはるさんにとって満たされた空間なんだろうと感じます。
アールブリュット作品の造形スタイルには、繰り返し同じ系統の作品を製作し続ける作品が多いように思います。
同じことを繰り返すことで乱された心を落ち着かせ、落ち着いた気持ちになることを求めることは誰しもあると思います。
それが「平和」なのかどうかは悩ましいところですが、日常の中で“わたしがわたしらしくある”ことを再確認する行為は大事なことかと思います。
また、国際的にも近隣国家との摩擦が解消されないままに、ロシアのウクライナ侵攻があり、直接の関係はない方が多いものの、間接的には物価上昇など大きな影響があります。
今回の展覧会の案内文には、
“世界が変わらずに繰り返されることと、心の安寧とを、同じように考えることがあります。
同じことを繰り返すことへの志向を持ち、常同的世界の創造に、平穏な日々を支える足場の役割を与えようとします。”
と紹介されています。
日々の反復の行為の繰り返しの中に「平和」を見るーとはどういった意味なのか、今回の展覧会のテーマになります。
草原に寝転び、遠くを見つめる少女を描かれる横山奈美さんの「forever」という作品は、前日に描いた絵を見ながら、新しい絵を1日に1枚描いておられます。
いっけん転写された絵のようですが、全く同じ絵ではなく、特に“forever”の文体は日々違い、細部には僅かに違いが見られます。
横山さんは、ネオンをモチーフにして発光体や電線やフレームまでを克明に描く作品や、樹脂で造った彫刻にLEDライトを入れて光るオブジェを造られたりしているアーティストだといいます。
今回のために描き下ろされたという展示作品は、木炭紙に木炭で描かれたドローイングで、転写の中に日々変化する少女の姿は、日々の感情の変化が感じられます。
『やまなみ工房』からの参加となる吉川秀昭さんは、「目、目、鼻、口」と唱えながら無数の穴を打っていかれるのだという。
顔が見て取れる作品もありますが、ほとんどの作品は吉川さん独自の法則によって造られた「顔」なのでしょう。
吉川さんの作品を見る機会は時々ありますが、今回は紙にマーカーペンで描かれた作品も展示されています。
紙の作品を見るのは初めてでしたが、この作品もタイトルは「目、目、鼻、口」と付けられており、吉川さん独自の表現・感性で描かれています。
カラフルな丸を描き込まれているのは佐々木早苗さんの作品。
興味深いのは、所属する福祉施設での仕事「さをり織」の機械に糸をセットする合間に造った刺繍作品とデザインが酷似していることでしょうか。
日常的な作業の繰り返しの中で、素材を変えながらも作品には共通する個性が映し出されています。
鈴木かよ子さんは、福祉施設の支援者によれば、7歳から60歳くらいまで、この絵を描き続けられたとあります。
「少女」、「花」、「太陽」のモチーフを同じ構図で描き続けてこられたのは、変化する自分や環境に対して、原点となるような自己を持ち続けてきた証なのではないでしょうか。
2階へ上がると小林椋さんと篠原尚央さんのコラボレーションの間となっている。
何のための装置か分からない作品は「ヤシ煎る目を刈ろ」という作品で、青い手のような部分が動いている。
生産性とは無縁な装置はの反復運動は、作者から謎かけをされているようです。
部屋の中では時々声が聞こえてくるが、声の主は「凝るところ見るとすると凍る」という作品から発せられている。
丸い2つのディスプレイには不規則に動く手の平が映し出されており、「手」とつぶやくような声がこれまた不規則に流れる。
無機質な造形にゆっくりとした不規則な手の動き。不思議な作品です。
篠原尚央さんは「かぎかっこ」をカスタマイズした「カキカコ」という作品を描かれています。
絵は古代の文字のようでもあり、出口のない迷路のようにも見えますが、それぞれの絵は全く違う形となっています。
「かぎかっこ」の機能をなくしてしまったような「カキカコ」を使って自由に表現されている様子が感じられます。
中庭の奥にある蔵の中では「ちはる」と題された15分ほどの映像が上映されています。
ちはるさんは、お父さんやお母さんと出かけてはチラシを入手し、母親がもらってきたダンボールを切って小さな箱を造り、切ったチラシを丸めて詰めていく。
造った作品は部屋を覆いつくすように量産され、お父さんに作ってもらった無数の棚に陳列される。
作品で埋め尽くされた部屋を見ていると、小さな博物館や図書館のような印象を受けてしまうようでもあり、ちはるさんにとって満たされた空間なんだろうと感じます。
アールブリュット作品の造形スタイルには、繰り返し同じ系統の作品を製作し続ける作品が多いように思います。
同じことを繰り返すことで乱された心を落ち着かせ、落ち着いた気持ちになることを求めることは誰しもあると思います。
それが「平和」なのかどうかは悩ましいところですが、日常の中で“わたしがわたしらしくある”ことを再確認する行為は大事なことかと思います。
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