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“男のためのガーデニング”改め

「金華山」馬の背登山道から瞑想の小径(水手道周回)で登る~タイワンリスのペアに遭遇!~

2023-09-07 17:20:20 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 「美濃を制すものは天下を制す」と称された岐阜城(稲葉山城)は、美濃の大名・斎藤道三の居城として整備され難攻不落の城として知られたという。
その後、1567年に織田信長に城を攻略され、信長は地名を「岐阜」に「稲葉山城」を「岐阜城」に改めたとされます。
岐阜市の市街地に入ると「金華山」と山頂に再建された「岐阜城」が視界に入り、山頂に建つ岐阜城は金華山と共に岐阜市のランドマークになっています。

金華山に登るには最初に岐阜公園の中を横切って登山口まで行くことになりますが、岐阜公園は桜や紅葉の名所でもあり日々のウォーキングが楽しそうな所です。
公園内には滝があり、早朝に通った時は水が流れていなかったのに、下山してきたら勢いよく滝が流れ落ちていて不思議に思う。
歩いている地元の人らしき人に聞いてみると“昔は金華山からの滝だったが今は池の水を汲み上げて流している。”とのことで、滝が流れたり消滅したりする謎は解明です。



池の対面に巨石の壁があって驚きましたが、金華山はチャートという硬い岩石で出来ていて、約2億6000万~2億3000万年前に南半球の赤道付近に堆積してできた地層だという。
チャートは放散虫というプランクトンの遺骸で出来ているとされ、プレートの移動によって北上して大陸の縁にくっついたと考えられているそうです。



岐阜市内から見える「金華山」は聳えるように見えますので標高が329mしかないのが不思議ですが、山頂まではロープウエ-が通じており、10の登山道が整備されているようです。
10の登山道は、小さな子供を連れた家族連れ向けから、四つん這いになって登らないといけないような健脚向けのコースがあります。
今回は「瞑想の小径」から「馬の背登山道」で山頂まで行って、「瞑想の小径」で下山するという周回コースにしましたが、「馬の背登山道」はなかなか楽しませてくれましたよ。



「瞑想の小径」コースはあまり傾斜のない九十九折の道が続く登山道としては最長ルートになります。
登山コースが多いので山頂までの分岐で別の道から登ってこられる方もいて、既に全コースを歩き切った方もおられるのではないかと思うほど、地元の人の憩いの山の印象を受けます。



山麓に「伊奈波神社」という大きな神社があるのですが、中世以前の稲葉山(金華山)は伊奈波神社の社地でこの「烏帽子岩」のある場所には昭和初期頃まで社殿が存在したといいます。
神社が遷されたのは斎藤道三の稲葉山城築城の際にということらしいのですが、現在も「烏帽子岩」のある丸山では例祭が行われているようです。



「烏帽子岩」まで登ってくるといよいよ「馬の背登山道」の分岐があり、本日のお楽しみの岩の馬の背を登っていくことになります。
【注意】の看板には“(健脚向き)この道は、途中断崖や難所が多く危険です。”とあり、“老人・幼児には無理です。”と言い切ってあります。



「馬の背登山道」は途中からワクワクしてくるような岩場が続き、四つん這いで登らないといけない場所があるものの、ルートは確保されています。
ただ困ったのは、岩場になってから運動量が増えて汗が吹き出してくるようになり、何度も汗を拭いながら登ることになったこと。



急斜面ではあるがロープやチェーンがないのは手を使えば登れるからですが、どこまで続いているのか終わりが見えないのは不安になります。
下りてきた人にもう半分くらい来てます?と聞いてみると、“まだ1/3にも満たないよ。この辺は序の口だ。”と言われ少し気が遠くなる。



こんな猛暑の中でなければもう少し余裕が持てたと思いますが、やはり真夏の暑さに体力を奪われてしまいます。
上へ行くに従って木の根が剥き出しになっているので足がかりにはなるものの、足の置き場を考えないと滑ったり引っ掛かったりしそうなので要注意。



金華山は観光地ですので観光ハイキングかと思いきや、随分とハードな道なのに驚きます。
これでは繁華な市中の観光の山や公園ではなく、人里離れた山を一人登っているような感覚になります。



結局、3人ほどに抜かれて当方が抜き去った人はなかったが、時間的にはコースタイム通りに岐阜城に到着しました。
岐阜城前で休憩している人が多かったのですが、みなさん暑さに負けず自力で登ってきた人ばかりなので茹で上がったような顔色になっていました。

岐阜城は鎌倉期に砦があったようですが、斎藤道三が稲葉山城を築き、その後織田信長が侵攻して岐阜城に改め、天下統一の足がかりにした話が有名です。
現在の天守閣は1956年に彦根城を参考に設計したとされたため、本来の城とは形は違うといいます。



天守閣はまだ開城されていない時間ですので周辺を散策してみると天守閣を正面に見られる場所がありました。
平たい感じの天守閣は、言われてみれば確かに彦根城の天守と似た印象を受けます。



山頂には基本天守閣しか残っていませんが、一部石垣や巨石列の巨石が残されており、天守閣と上台所を結ぶ通路の石垣は信長の入城後に築造されたものという。
谷の下から天守閣のあるエリアを見上げると、攻略の難しい城だったことが伺われます。



石垣の下には本丸井戸として貯水用の井戸が残されており、命をつなぐ水がここにあったようです。
金華山の山頂周辺では水の豊富さをあまり感じませんでしたので、貯水井戸は貴重な水資源の場所だったのでしょう。



ところで金華山には「宮三角点」が3つと「二等三角点」が一カ所あるということでしたので、国家基準点の「二等三角点」を探してみました。
「宮三角点」は明治時代に御料林とされ皇室所有の土地としたときの標石とされ、「〇等三角点」は三角測量によって地球上の位置(経緯度)が定められた点とされています。
金華山の二等三角点はかなり分かりにくい場所にありますので、見つけるのに悩んでしまうかもです。



お城の下には長良川と岐阜の山々が見えます。
霞んでしまっていて奥の方は見えませんが見晴らしの良い日には御岳山なども見られるのかもしれません。
山頂部には御嶽山と思われる方向に「金華山御嶽神社」の祠があり、御嶽信仰が伺われる。





では下山することにしますが、下山は「瞑想の小径」ルートで下ります。
「瞑想の小径」は距離が「馬の背登山道」のちょうど2倍になりますが、九十九折で歩きやすいとされています。ただし頂上付近は急坂・岩場が続きます。
途中のビューポイントでは鷺山・百々ヶ峯、遠くに伊吹山や養老山脈がみえるといいうものの、霞んでいて見えない。



この日のサプライズはタイワンリスとの出会いでした。
金華山には野生化したタイワンリスが生息していて餌付けしている人もいるとかでリスに出会える可能性ありと聞いていましたが、そんなに運のいい偶然はないだろうと思っていました。
ところが突然、あれっ?リスやん!といった感じで2頭のリスと会えたのは“ないだろう”と思っていただけにラッキーでした。



金華山のタイワンリスは1936年に岐阜公園で行われた「躍進日本大博覧会」の会場から逃げ出して野生化したとされ、エサを撒く人がいるので警戒心は薄い。
自然の中で出会うニホンリスはかなり警戒心が強いのですが、このタイワンリスは目の前の木を行ったり来たり、登ったり下りたりでした。



愛想が良かったので動画でも撮ってみました。
やぶ蚊が多く手に蚊が留まっているのが見えていましたが、撮り終えるまではひたすら我慢して献血です。



金華山山麓に建つ岐阜公園三重塔は、木々の緑の中に朱色がひときわ鮮やかに映え、岐阜公園のランドマークとして市民に親しまれてきました。
この三重塔は、大正天皇の即位を祝う、御大典記念事業として企画され、市民から寄付を募り、大正6年に岐阜市が建立したものです。
タイミングが良ければロープウエーとのコラボ写真も撮れるかもしれませんね。






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