滋賀県には古来からの民俗行事である「勧請縄」や「オコナイ」など集落単位での神事が多く残ると共に、各集落や村で守り続けられている奇祭を耳にすることがあります。
祭りは、疫病退散や子孫繁栄、五穀豊穣への祈りにまつわるものが多く、大きな単位で行われる祭があれば、集落の神社単位で行われる祭りもあるようです。
祭り自体は実際に見てはなく本やネット等で見ただけのものが大半ですが、金山神社のヤッサは県内では他に類を見ない行事だと思います。
送り火や祭りの後に奉納物をお焚き上げをする訳ではなく、同じ場所に1年間吊るしておくのは、勧請縄信仰に通じるところがあります。
「金山神社」は甲良町の金屋集落にある神社で、集落の端辺りに祀られた村の鎮守の神社といった印象を受ける神社です。
御御祭神に金山彦命を祀ることから、鉱山の神や鍛冶の神との関係が考えられ、地名も「金屋」とついていることからかつては鉱山や鍛冶と関わりがあったことが推測されます。
金屋集落の東には多賀の山系や鈴鹿山脈が連なり、その山系には複数の鉱山があったとされますから金属関係と何らかの関係があったのかもしれません。
ただし、金山神社は創建は不明で歴史は分かっていないが、かつて金屋には石仏などの工房があったこが分かっているという。
金山神社地蔵堂周辺では90体余りの未完成(制作段階で割れなどにより廃棄された石仏)が発見されており、「金山神社境内未完成石塔群」として残されています。
境内には拝殿と本殿が祀られ、他には境内社として大将軍神社が祀られています。
現在の神社敷地の前側に結界を張るように2本のスギがあるが、拝殿の横にかなり年代を経たと思われるスギの切り株が2個あったので本来はこちらが御神木だったようである。
本殿は玉垣で仕切られた一段上のところに祀られ、木鼻に獅子や龍の彫り物の施された本殿の祠は覆い屋の中にあります。
この辺りは犬上川の扇状地の穀倉地域になり、かつては洪水や旱魃、水争いもあったようですが、「犬上ダム」の築造により水利は整えられたといいます。
本殿の右側には「道祖神 ヤッサの神」の御本体が鎮座していて祀られていて、「ヤッサ」は「野幸(やさち)」「家幸(やさち)」が転じた言葉ともされます。
起源は鎌倉時代にまで遡るとの説もあり、野の幸=五穀豊穣、家の幸=子孫繁栄を祈ることから転訛したとされます。
金山神社では毎年「千草盆」の日にヤッサが奉納されるとし、7日に一番近い土曜日に七日盆として奉納されるという。
七日盆はお盆に向けて、お墓や仏壇の掃除などの準備に入る「盆入り」の日とされており、旧盆では8月7日から盆入りとなるといい金山神社では旧盆に行事が行われるという。
ヤッサは本殿の裏にあるかつては大きな森だったと思われる鎮守の森のスギの木に吊るされており、森は独特の空気感を持った空間になっています。
ヤッサはかつて長男が生まれた家でヤッサを作って奉納したといい、跡継ぎ誕生の祝いの意味もあったといいます。
また、ヤッサは豊作占いにも使われていたといいますので、子孫繁栄・五穀豊穣の願いを込めた神事だったのだろうと思います。
金山神社のヤッサは2021年にも訪れたのですが、プリミティブな印象は同じでも細工は随分と違う印象を受けます。(胴の上の舟やデコ)
奉納された直後はもう少し花が付いていたものと思われますが、台風を挟んでしまいましたのでこれでもよく本来の姿を残しているほうだと思います。
この何とも不可思議な奉納物は落ちるまで吊るされているのかと思われ、過去に訪れた時には落ちて朽ちていくヤッサがあったことを記憶しています。
このヤッサも農村の抱える問題の例に洩れず、若い人の農業離れや少子高齢化の影響、男児だけを祝うという時代錯誤の考えなど問題はあるようです。
滋賀県の祭事の中でもかなり変わった部類に入る奇祭だと思いますので、時代に合わせた多少の変化はあったとしても継続していって欲しい神事です。
気が付いた範囲内では集落の入口2カ所に“ここは金屋 ヤッサの郷”と彫られた石碑がありました。
金屋の集落の中を少し歩いてみると、集落を流れる小川に驚くほどたくさんの小魚が泳いでいるのが見えます。
歩いても歩いても小魚の群れは絶えることのない魚影の濃い川です。
遥か遠い昔、当方が子供の頃に遊びに行った田舎の小川のような豊かさを思い出し、懐かしさを感じてしまいます。
祭りは、疫病退散や子孫繁栄、五穀豊穣への祈りにまつわるものが多く、大きな単位で行われる祭があれば、集落の神社単位で行われる祭りもあるようです。
祭り自体は実際に見てはなく本やネット等で見ただけのものが大半ですが、金山神社のヤッサは県内では他に類を見ない行事だと思います。
送り火や祭りの後に奉納物をお焚き上げをする訳ではなく、同じ場所に1年間吊るしておくのは、勧請縄信仰に通じるところがあります。
「金山神社」は甲良町の金屋集落にある神社で、集落の端辺りに祀られた村の鎮守の神社といった印象を受ける神社です。
御御祭神に金山彦命を祀ることから、鉱山の神や鍛冶の神との関係が考えられ、地名も「金屋」とついていることからかつては鉱山や鍛冶と関わりがあったことが推測されます。
金屋集落の東には多賀の山系や鈴鹿山脈が連なり、その山系には複数の鉱山があったとされますから金属関係と何らかの関係があったのかもしれません。
ただし、金山神社は創建は不明で歴史は分かっていないが、かつて金屋には石仏などの工房があったこが分かっているという。
金山神社地蔵堂周辺では90体余りの未完成(制作段階で割れなどにより廃棄された石仏)が発見されており、「金山神社境内未完成石塔群」として残されています。
境内には拝殿と本殿が祀られ、他には境内社として大将軍神社が祀られています。
現在の神社敷地の前側に結界を張るように2本のスギがあるが、拝殿の横にかなり年代を経たと思われるスギの切り株が2個あったので本来はこちらが御神木だったようである。
本殿は玉垣で仕切られた一段上のところに祀られ、木鼻に獅子や龍の彫り物の施された本殿の祠は覆い屋の中にあります。
この辺りは犬上川の扇状地の穀倉地域になり、かつては洪水や旱魃、水争いもあったようですが、「犬上ダム」の築造により水利は整えられたといいます。
本殿の右側には「道祖神 ヤッサの神」の御本体が鎮座していて祀られていて、「ヤッサ」は「野幸(やさち)」「家幸(やさち)」が転じた言葉ともされます。
起源は鎌倉時代にまで遡るとの説もあり、野の幸=五穀豊穣、家の幸=子孫繁栄を祈ることから転訛したとされます。
金山神社では毎年「千草盆」の日にヤッサが奉納されるとし、7日に一番近い土曜日に七日盆として奉納されるという。
七日盆はお盆に向けて、お墓や仏壇の掃除などの準備に入る「盆入り」の日とされており、旧盆では8月7日から盆入りとなるといい金山神社では旧盆に行事が行われるという。
ヤッサは本殿の裏にあるかつては大きな森だったと思われる鎮守の森のスギの木に吊るされており、森は独特の空気感を持った空間になっています。
ヤッサはかつて長男が生まれた家でヤッサを作って奉納したといい、跡継ぎ誕生の祝いの意味もあったといいます。
また、ヤッサは豊作占いにも使われていたといいますので、子孫繁栄・五穀豊穣の願いを込めた神事だったのだろうと思います。
金山神社のヤッサは2021年にも訪れたのですが、プリミティブな印象は同じでも細工は随分と違う印象を受けます。(胴の上の舟やデコ)
奉納された直後はもう少し花が付いていたものと思われますが、台風を挟んでしまいましたのでこれでもよく本来の姿を残しているほうだと思います。
この何とも不可思議な奉納物は落ちるまで吊るされているのかと思われ、過去に訪れた時には落ちて朽ちていくヤッサがあったことを記憶しています。
このヤッサも農村の抱える問題の例に洩れず、若い人の農業離れや少子高齢化の影響、男児だけを祝うという時代錯誤の考えなど問題はあるようです。
滋賀県の祭事の中でもかなり変わった部類に入る奇祭だと思いますので、時代に合わせた多少の変化はあったとしても継続していって欲しい神事です。
気が付いた範囲内では集落の入口2カ所に“ここは金屋 ヤッサの郷”と彫られた石碑がありました。
金屋の集落の中を少し歩いてみると、集落を流れる小川に驚くほどたくさんの小魚が泳いでいるのが見えます。
歩いても歩いても小魚の群れは絶えることのない魚影の濃い川です。
遥か遠い昔、当方が子供の頃に遊びに行った田舎の小川のような豊かさを思い出し、懐かしさを感じてしまいます。
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