宮島桟橋待合所前広場の前面に潜龍門という小さなトンネルが見られる。要害山の岩鼻に設けられたもので手前は池浦、向う側は小浦で昭和40年代に地先海岸が埋め立てられ現在のようになった。
明治末期の絵図には要害山岩鼻には潜龍門はみられず、大正12年(1923)の絵図には潜龍門がみられるので大正時代に長浜方面への道が築造されたものとみられる。
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