昨日、娘と孫達が九州へ帰る車に便乗し途中山口市で下車して徘徊した。先日桂公園北麓の妙見社を紹介したが、この妙見社は厳島神主家藤原氏が大内氏との結びつきが深かった時代か、神主家滅亡後大内氏の支配時代に守護神として祀られたものと思うと記した。
桜尾城に勧請したとみられる大内氏の氏寺、氏神であった氷上山興隆寺・北辰妙見社を参詣した。大内氏全盛頃は広大な伽藍であったようであるが大内氏の滅亡や明治の神仏分離で北辰妙見社と興隆寺の遺構は釈迦堂と梵鐘のみが残されている。
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