山口市宮島町にある御堀厳島神社で江戸期の防長寺社由来には厳島大明神は大内家芸州厳島を勧請とある。社殿内には市重文の小さな多宝塔があるようで、これは山口厳島社から移されたようである。
山口厳島社は防長寺社由来によると応永14年(1407)大内盛見が芸州厳島より勧請したようであるが、幕末の混乱期元治元年(1864)に藩庁が萩より現在の県庁場所に移されてこの地にあった山口厳島社は御堀厳島神社に合併されたようである。
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