上平良大原地区に祀られている都地蔵でこの地蔵菩薩坐像は宝暦4年(1754)に地域の人達が願主で寺田村(佐伯区)の石工により造立されている。都地蔵付近は江戸期の地誌絵図にミヤコ垣内とあり、明治期の地券申受帖に都垣内の田んぼがみられる。地域の人はこの地蔵を都井手の守り地蔵であるといっておられた。
大正期の地誌には「国庁所在地は大原都地蔵の辺りならんかと思わる」とあり、荒唐無稽な記述がされている。地蔵がある用地は一般県道廿日市環状線の用地内となっており先行きはどのようになるのであろうか。
上平良大原地区に祀られている都地蔵でこの地蔵菩薩坐像は宝暦4年(1754)に地域の人達が願主で寺田村(佐伯区)の石工により造立されている。都地蔵付近は江戸期の地誌絵図にミヤコ垣内とあり、明治期の地券申受帖に都垣内の田んぼがみられる。地域の人はこの地蔵を都井手の守り地蔵であるといっておられた。
大正期の地誌には「国庁所在地は大原都地蔵の辺りならんかと思わる」とあり、荒唐無稽な記述がされている。地蔵がある用地は一般県道廿日市環状線の用地内となっており先行きはどのようになるのであろうか。