昨日紹介した立岩ダムの堰堤が見える場所から安芸太田町の押ケ垰集落が遠望できるが今は無住のようである。ここ押ケ垰集落跡の最奥部に広電バスの押ケ垰車庫跡が残されている。広電社史の営業路線図などをみると押ケ垰線は昭和23年度末現在の運行路線でみられるが昭和24年10月、昭和30年のものではみられず、昭和50年の路線図にはみられるなどと押ケ垰線の運行状況の詳細は明らかでない。
昨日紹介した立岩ダムの堰堤が見える場所から安芸太田町の押ケ垰集落が遠望できるが今は無住のようである。ここ押ケ垰集落跡の最奥部に広電バスの押ケ垰車庫跡が残されている。広電社史の営業路線図などをみると押ケ垰線は昭和23年度末現在の運行路線でみられるが昭和24年10月、昭和30年のものではみられず、昭和50年の路線図にはみられるなどと押ケ垰線の運行状況の詳細は明らかでない。