串戸地区にある広田神社は江戸期には宮内村下組の氏神であった。現在の社殿は昭和54年(1979)に藤掛山の開発に伴って新築されたものである。拝殿には明治27年(1894)1月1日に奉納された三十六歌仙額が35面掲額されているが吹き曝しのために劣化して歌人の姿がかろうじて残っているのみである。
十数年前の注連縄
平成26年以前の注連縄
平成26年の注連縄
平成27年の注連縄
平成28年の注連縄
平成29年の注連縄
上画像は十数年前に拝殿に架けられていた注連縄で菰の編紐が見えないような手法であり、単独で製作されていたので誰も手法を習ってなく制作を止められてから、平成25年の製作まで藁束を捩りながら綯っていく一般的な注連縄であった。
平成26年に大野地域の大頭神社に菰巻きの注連縄づくりを習得するために数名が訪れてこの年から菰巻きの注連縄づくりが始まったのである。この菰編みは編紐が見える手法であるが編紐が見えないようにするにはどのようにすればよいのか色々と試行錯誤しているが・・・
昨日は速谷神社神社の注連縄づくりで社殿に参詣の後、注連柱、斉館、儀式殿、境内社の岩木神社、稲荷神社に架ける大小6本の注連縄と大小の飾り房など手分けして製作した。先日製作していた拝殿に架ける大注連縄は飾り房、吊下げ準備をして拝殿前に架け集合写真を撮って当神社の注連縄づくりが終了した。
菅原神社
出雲大社
諏訪大社
厳島神社・天満宮
このブログで何度か紹介しているが当ブログ主は注連縄づくりに関わっているので他神社の注連縄が気になる。今年訪れた各地の神社で特徴ある注連縄を紹介する。熊本県和水町のトンカラリン上にある菅原神社の注連縄は藁束を紐で束ねてあり捩りも綯いも少ないものである。出雲大社神楽殿の大注連縄は以前訪れた飯南町の大しめなわ創作館で製作されたものである。長野県下諏訪町の諏訪大社下社の大注連縄も向きは逆であるが出雲大社のものとよく似ているものである。丸亀駅近くの厳島神社・天満宮注連縄中央の飾り房と飾り縄、注連縄端の飾り縄が特徴的である。
先日、椎茸のホダ木用にクヌギの木を伐採したことを紹介したが、素人山師のすることで倒れ側に切れ目を入れていなかったので大きく裂けて3m位ホダ木に使用出来なくなった。裂けた部分はワラキ(薪木)とするために小割りにした。寒く時折り時雨もあったが家に籠っているよりと運動のつもりで小汗を流した。
見晴し山に登っていると枯れ木の両側に白いクソナバがびっしりと生えていた。このキノコにも名前があるのだろうが名前が分からないキノコのことを当ブログ主はクソナバと称しているが・・・
速谷神社の西側にある山の山字は堂垣内であるが、かつて見晴し山(矢印ケ所)と言われていた。明治初期に現在の速谷神社境内に上平良村の小学校があって、見晴し山頂が運動場であったようである。見晴し山頂の運動場は当時父兄や村人などが鍬やモッコなどで開墾造成奉仕をしたようである。当ブログ主が子供の頃には山頂は広場であったが、現在は下画像のように山林化して見晴しも出来ないような状態である。
JR廿日市駅の駅舎工事や北口広場の整備が終わってから日数が経っているが南口の整備が遅々として進んでいなかった。現在、南口広場と接続する道路の整備事業が、多くの重機や作業員によって大がかりに行われていた。今年度内には整備完了するのではなかろうか。
当ブログ主や隣接の市民菜園の人達も猪被害には泣かされ防護のために出費させられたことを何度か紹介したことがある。有害鳥獣駆除の檻を設置してもらった場所がよかったのか、猪の絶対数が多すぎるのかこの場所での捕獲数はこの2匹で合計12匹ということである。
昨日紹介した拝殿に架ける大注連縄の作成が順調に進んだので、今まで長老が自宅で作成されていた前垂れ注連縄の作り方を習得するため手分けして作成した。前垂れ注連縄は神門前の参道に下画像のようにして架けられる。
菰編み作業が終わったので昨日は藁芯を作る作業からはじめ藁束の太さを整えながらビニール紐で締めていき藁芯を3本作って菰を周囲に巻き付けて編み紐の端で縛り付けて綯う前の単体3本が出来上がる。菰巻きの単体2本を捩りながら綯っていくのであるが、太さがあり柱に結わえ付けて9人がかりで綯った。3本目も捩りながら綯っていく力のいる作業であり、人手が要ったので作業途中の画像を撮ることが出来なかった。3本を捩り綯っていくと注連縄の形となったが、菰編みの際の藁の継ぎ目が飛び出しているので鋏で切り取って下画像のように綺麗になった。13日に飾り房など仕上げて拝殿に架ける予定である。
新春に向けて拝殿に架ける注連縄は菰巻きとするために準備作業が昨日から有志によって始まった。編み紐を「ツヅラコ」に巻いて菰編み台にセットし、アクタを取り除いた稲藁5~6本づつを編み上げていくのである。(編み途中の画像は内側で藁の継ぎ目が多く見える)平成26年に初めて菰巻き注連縄を作り始めて4回目の作業であり少し慣れたのであろうか昨日3枚編み上げた。
編み紐を巻いている鼓のような形の名称は上平良地区では「ツヅラコ」「コマ」、佐伯地区では「カチコ」、旧湯来町では「ツロロ」、旧千代田町では「ツヅラコ」、島根県の旧津和野町や旧日原町では「ツツロ」などと言われていたようである。
自家用の椎茸栽培をしているが昨年補充しておらず古いホダ木が腐朽してきたので、補充用にと昨日クヌギの木を伐採した。大きな木であり周りの雑木でうまく倒れず伐採や運搬には一苦労した。伐採したホダ木は野積みにしておいて春になったら植菌して2年後くらいして椎茸が生えてくるようになるのである。
廿日市13代目桜島大根(手前)と廿日市3代目切葉松本地大根(向う側)の現在の生育状態で、桜島大根はどのように育っていくだろうか。切葉松本地大根を2本抜いてみるとこの大根の特長である根型が尻詰まり型でなく、1本は丸大根のようで煮付けにしたら美味しいものであった。もう1本は青首大根の短いようなもので大根おろしにしたら強烈に辛く切葉松本地大根の性質を受け継いでいるようであった。
熊本県には石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋などが沢山築造されているようで、昨日は厳島神社の石造アーチ橋を紹介したが、山鹿市豊前街道沿いにある金剛乗寺の石造山門は眼鏡橋の築造技術で文化元年(1804)に築造されているようである。また、同県には装飾古墳も多く本物の古墳は保護のために見学できないので、山鹿市鹿央町にある装飾古墳館には代表的な古墳のレプリカが展示してあった。画像は千金甲1号古墳で石障に幾何学文様が刻されて彩色されている。