笹間良彦著画「絵で見て楽しむ! 江戸っ子語のイキ・イナセ」遊子館発行を読んだ。この本は、言葉と意味などを並べた辞書的な本なのに、最初から最後まで一気に読んでしまった。
主として、江戸の言葉、文句についての話であるが、私の子どもの頃、昭和20年代の東京にもかなり残っていた言葉などがあり、懐かしく昔を思い出した。同時に現在でも時として使うことばが、どのように発生したかがわかり、なるほどと思う場合もあった。わかりやすい絵つきなのも良い。
最近はあまり使わない、懐かしい言葉の幾つかを以下に並べる。( )は私の感想。
決まり文句
ちゅうちゅうたこかいな:子どもがおはじきなどを二つずつ数えるときの言葉。
ちちんぷいぷい:子どもがどこかを痛めたとき、撫でさすりながらおまじないとして唱える。
その手は桑名の焼きハマグリ:そんな計略には引っかからないの意味。
恐れ入谷の鬼子母神(おそれいりやのきしぼじん):恐れ入ったときの表現。
合点承知之助(がってんしょうちのすけ):回状などを読んで了解した印に自分の名前の上に点を打ったことからの語。承知したときの表現。
こどもの遊び
ここはどこの細道じゃ:「ここはどこの細道じゃ、天神様の細道じゃ、ちょっと通してくだしゃんせ、御用のないもの通しゃせぬ、この子の七つのお祝いにお札を納めにまいります、通りゃんせ、通りゃんせ、行きはよいよい帰りは恐い、帰りのお土産なーに」。
(私の記憶では最後は、「恐いながらも、とーおりゃんせ」だと思った。場所、時代により異なるのだろう。余談だが、関西のプリペイド式回数カードの名前を募集したとき、私は、「通りゃんせ」と応募したのだが、「スルット関西」になってしまった。)
ずいずいずっころばし: 「ずいずいずっころばしゴマ味噌ずい、茶壷に追われてとっぴんしょ、ぬけたらどんどこしょ、お父さんが呼んでもお母さんが呼んでも行きっこなーしよ、それがほんとの鬼ごっこ、俵の鼠が米食ってちゅう、豆食ってちゅう、ちゅう、ちゅう、ちゅう」。
(これも私の記憶では、「それがほんとの鬼ごっこ」「豆食ってちゅう」は無かったと思うのだが)
表現
脂(ヤニ)に下がる:キセルの雁首を上に向けてタバコを吸うと脂(ヤニ)が吸い口に下がって苦くなる。粋とされたこの吸い方をする無理に気取っていること。
(キセルも分からない人もいるのでは?)
手鍋提げても:好きな男と一緒になれるなら、召使を使わず手鍋で炊事をするような貧乏な暮らしもいとわない。
(今時、死語ですね)
おしゃま:年齢の割りにませている女の子をいう。
(今の子はみんな「おしゃま」です)
お茶の子さいさい:お茶漬けのように簡単に食べられてしまうことから容易、簡単の意。
おちゃらかす:ふざけて相手をからかい、話をはぐらかすこと。
置いてけ堀り:江戸の錦糸堀付近で釣った魚を持って帰ろうとすると、どのからともなく「置いてけ、置いてけ」と声がするという怪談から、一人置いていかれることを「おいてけぼり」「おいてきぼり」と言うようになった。
(言葉通りと思っていました。こんな話があったとは)
あった、あった!
三助:銭湯で洗い銭をもらって客の背中を洗う若い男。客は番台に金を払って木札をもらい、洗い場に置いておくと三助が来て背中を洗ってくれる。
(子どものころ母親と女風呂に入っていて、さらしをまいた男が入ってくるのでびっくりした覚えがある。そういえば、一時期、女の人が髪の毛を洗うのにお湯を沢山使うので、髪洗い代を別に払い、木札を前に置いて自分で髪を洗っていました)
手水鉢(ちょうずばち):便所の外などにあって手を洗う水を張るための鉢。後に底の金具を押し上げると水が出るブリキ製の水入れを上から吊るした。
(そう言えば、ありました)
主として、江戸の言葉、文句についての話であるが、私の子どもの頃、昭和20年代の東京にもかなり残っていた言葉などがあり、懐かしく昔を思い出した。同時に現在でも時として使うことばが、どのように発生したかがわかり、なるほどと思う場合もあった。わかりやすい絵つきなのも良い。
最近はあまり使わない、懐かしい言葉の幾つかを以下に並べる。( )は私の感想。
決まり文句
ちゅうちゅうたこかいな:子どもがおはじきなどを二つずつ数えるときの言葉。
ちちんぷいぷい:子どもがどこかを痛めたとき、撫でさすりながらおまじないとして唱える。
その手は桑名の焼きハマグリ:そんな計略には引っかからないの意味。
恐れ入谷の鬼子母神(おそれいりやのきしぼじん):恐れ入ったときの表現。
合点承知之助(がってんしょうちのすけ):回状などを読んで了解した印に自分の名前の上に点を打ったことからの語。承知したときの表現。
こどもの遊び
ここはどこの細道じゃ:「ここはどこの細道じゃ、天神様の細道じゃ、ちょっと通してくだしゃんせ、御用のないもの通しゃせぬ、この子の七つのお祝いにお札を納めにまいります、通りゃんせ、通りゃんせ、行きはよいよい帰りは恐い、帰りのお土産なーに」。
(私の記憶では最後は、「恐いながらも、とーおりゃんせ」だと思った。場所、時代により異なるのだろう。余談だが、関西のプリペイド式回数カードの名前を募集したとき、私は、「通りゃんせ」と応募したのだが、「スルット関西」になってしまった。)
ずいずいずっころばし: 「ずいずいずっころばしゴマ味噌ずい、茶壷に追われてとっぴんしょ、ぬけたらどんどこしょ、お父さんが呼んでもお母さんが呼んでも行きっこなーしよ、それがほんとの鬼ごっこ、俵の鼠が米食ってちゅう、豆食ってちゅう、ちゅう、ちゅう、ちゅう」。
(これも私の記憶では、「それがほんとの鬼ごっこ」「豆食ってちゅう」は無かったと思うのだが)
表現
脂(ヤニ)に下がる:キセルの雁首を上に向けてタバコを吸うと脂(ヤニ)が吸い口に下がって苦くなる。粋とされたこの吸い方をする無理に気取っていること。
(キセルも分からない人もいるのでは?)
手鍋提げても:好きな男と一緒になれるなら、召使を使わず手鍋で炊事をするような貧乏な暮らしもいとわない。
(今時、死語ですね)
おしゃま:年齢の割りにませている女の子をいう。
(今の子はみんな「おしゃま」です)
お茶の子さいさい:お茶漬けのように簡単に食べられてしまうことから容易、簡単の意。
おちゃらかす:ふざけて相手をからかい、話をはぐらかすこと。
置いてけ堀り:江戸の錦糸堀付近で釣った魚を持って帰ろうとすると、どのからともなく「置いてけ、置いてけ」と声がするという怪談から、一人置いていかれることを「おいてけぼり」「おいてきぼり」と言うようになった。
(言葉通りと思っていました。こんな話があったとは)
あった、あった!
三助:銭湯で洗い銭をもらって客の背中を洗う若い男。客は番台に金を払って木札をもらい、洗い場に置いておくと三助が来て背中を洗ってくれる。
(子どものころ母親と女風呂に入っていて、さらしをまいた男が入ってくるのでびっくりした覚えがある。そういえば、一時期、女の人が髪の毛を洗うのにお湯を沢山使うので、髪洗い代を別に払い、木札を前に置いて自分で髪を洗っていました)
手水鉢(ちょうずばち):便所の外などにあって手を洗う水を張るための鉢。後に底の金具を押し上げると水が出るブリキ製の水入れを上から吊るした。
(そう言えば、ありました)