永六輔の「先生といえば親も同然、親といえば先生も同然」と副題のある「あなたの「いのち」をいただきます」ヴィレッジブックス2007年11月発行を読んだ。
1933年生まれの永さんが、昔の家庭と学校での教え方について語る。といっても永さんのこと、説教じみたところや、押し付けがましいところはない。また、2006年に上海の日本人学校で行った「学校ゴッゴ」と題する授業の講演記録があり、子供達の生き生きとした様子がうかがえる楽しいしゃべりになっている。
永さんは私より10年ほど先輩なので、「そこまではちょっと」というところはあるが、いくつか拾い出したい。
ある小学校で母親が、「給食の時間に、うちの子には「いただきます」と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいんではないか」と申し入れたという。
永さんは言う。食べるものはみんな「いのち」だ。僕たちは、その「いのち」を食べて、「あなたの「いのち」を私の「いのち」にさせていただきます」と言うのだと。この本の題名はここからきている。
欠食児童だった私は食べ物を絶対粗末にしないし、食べ物への感謝の気持ちも忘れない。また、外食時に「いただきます」とは言わないが、レジでお金を払うときに、たいていの場合「ごちそうさま」と店の人に言う。店の人もお金のためのほかに、少しでもおいしく食べてもらいたいと努力しているはずなので。
永さんは子どもでも大人として扱うので、自分の子どもにも敬語を使い、「何々していただけますか」と言う。永さんの父も、子どもたちに、「もしよかったら新聞を持ってきていただけませんか」と言ったという。
私も子どもの人格を認めているので、幼子のときから名前を呼び捨てにしなかった。何々くんと呼ぶ。さすがに、敬語は使わないが。
永さんは言う。我々は、戦争中も戦後も親が一生懸命必死に生きている姿を見ている。だから、いつか親を楽させてあげようと思っていた。今の親は、ビールを飲んでテレビの前でゴロゴロしているし、お母さんはおしゃれをして出かけていく。今の子ども達には、親たちは楽そうにみえる。家庭が大きく変わったのはこの辺にあるのではないか。
私は、子どもに勉強しろとは言わなかった。ただ、茶の間でもあえてよく英語の技術記事や論文を読んでいた。会社ではやりにくい仕事関連の勉強をして、学んでいる姿を見せたかったからだ。幼い息子は、「お父さんの仕事は英語を読むことなの?」と聞いてきたが。
永さんは言う。君たちのお母さんは出産のときは大変な思いをした。君たちが生まれた日にお母さんは一番大変な思いをしたのだから、君たちの誕生日は「母の日」でもある。自分の誕生日にはお母さんに感謝しよう。
私も奥さんの陣痛を見て、男はとてもあんな痛みに長時間耐えられないと思った。日ごろか弱い奥さんに原始の力を感じた。まあ、あの苦痛に耐えられるだけお母さんになる喜びが大きいということなのだろう。どうも、この項、ひとごとになってしまい、育児にほとんど参戦しなかったことを蒸し返されそう。誰かさんに読まれるとまずい。ここだけの話でした。