江川紹子が、最近活躍している21人の娘に父親について取材し、さらに3人の父親(鳥越俊太郎、丸山和也、永六輔)に娘について取材した「父と娘の肖像」小学館文庫を読んだ。
横峰さくらの父は、押しかけキャディで、いろいろ横暴な点が多い。しかし、さくらは大人で、「少しずつ子離れしてね」と言う。一時、父は酒や賭け事に溺れていたが、娘とともに成長、立ち直ってきたらしい。
アメリカで教育を受けた大石静の父は、恥ずかしさで気を失いそうになる娘の前で「クリスティーン!」と呼ぶ。
阿川弘之は、幼稚園児の佐和子が、「あのね、きょうね、幼稚園でね」と言うと、「結論から言え!」と一喝した。
どうも娘に対する愛情が強いほど、娘に対し横暴、偏屈、身勝手になる父親がいるらしい。父も娘も母を介した三角コミュニケーションしかとれないケースが多い。
鈴木宗男が拘置所に入っていたとき、「開封の際は愛情があふれ出るおそれがあります、取り扱い注意」などという手紙が毎日娘から送られてきたという。こちらの方は、本文を読んでも、なぜこんなに良い関係になっているのか分からない。
鳥越俊太郎の長女はすっぱり父から独立し、鳥越の娘であることを知られるのを嫌がり、ハグするのも嫌がる。次女は父親べたりで、今でも腕を組んで町を歩く。なんでこの差ができたのかはよくわからない。
この本は各界で成功している娘が、結局は父親と良好な関係になる話だが、世の中にはもちろん父娘関係が破綻したままの人たちもいるだろう。また、現に苦境にある娘から見た父親との関係とも異なる場合が多いのだろう。
娘も、姉も、妹もいない私には、父と娘との関係は、想像はできても、永遠の謎だ。
三姉妹である人から子供のころの話を聞いた。遅く一人で夕飯を食べている父親の傍に、3人並んで座り、おかずを分けてくれと、おねだりする。お父さんがときどき箸でおかずをつまんで、開いている口に一人づつポイと入れる。「これがなぜか本当においしいのよね」と言う。まるで餌をねだるひな鳥だ。お父さんは可愛かっただろう。うらやましい。
年頃の娘の帰りが遅いと、お父さんは玄関をウロウロ。
「どうしたのかな。駅まで迎えに行ってみようか」
「落ち着きなさいよ。大丈夫ですよ」と、奥さんにたしなめられる。
なにかというと心配でしょうがないお父さん。
でも、それさえも、私にはうらやましい。