hiyamizu's blog

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落合恵子「母に歌う子守唄」を読む

2008年02月22日 | 読書
落合恵子の「母に歌う子守唄 わたしの介護日誌」2004年8月朝日新聞社発行を読んだ。

落合恵子といえば私にはいまだに文化放送の「セイ!ヤング」の「レモンちゃん」のイメージがあって、その後の女性問題への取り組みなどの印象はあっても、介護というのがぴんとこなかった。

母一人子一人で育った落合さんは、講演、執筆など忙しい毎日の中で、ヘルパーの助けを得ながらも、1999年からお母さんを自宅で介護した。この本は、要介護度5の母親の介護に迷い、苦しみ、抗議し、しかし喜びも得たその記録だ。

介護に関する日々細かい実際的なノウハウ、ヘルパーさんとの付き合い方など頑張り屋で、なによりお母さんを大切にする落合さんならでのエッセイだ。同時に、人権に敏感で、権利主張・普及に努力してきた落合さんらしく、セカンドオピニオンだけでなくサードオピニオンまで求め、医者の無理解、不親切へ徹底的追求も行っている。

具体的な母の介護を奥さん任せにしていた私だが、それでも、「そうそう、そうだった」と思う点ばかりだ。この点については次回述べたい。

しかし、一方では、一般の人の介護の現場との乖離も感じられる。経済的にも苦しく、医者やヘルパーさんを追及する力もなく、もっと苦しい状況で苦しんでいて、場合によっては、年寄りにあたってしまって、自己嫌悪によりさらに苦しむなどの人もいるだろう。悲惨な状況の人から見れば、落合さんの常に正しくありたいという行動は縁のない話との反感もあるかもしれない。


2004年8月発行のこの本にはないが、2007年8月、落合さんは7年間寝たきりだった84歳のお母さんを自宅で看取った。
その最後は夕刊フジBLOGによれば、以下のようだった。

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その日の朝も、いつもと変わりなく母・春恵さんの好きなエンヤの曲をかけ、手を握り肩を抱いて耳元でずっと話しかけた。「お母さん、よかったらもう一度、私を産んでくれる?」すでにあごの息だった春恵さんが、かすかにほほえんだ気がした。「その表情は私の宝物になり、自宅で看取れたことが小さな心の支えになりました」
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